夜から夜明けまで 第四話
夜の闇は液体となり、その部屋を満たしている。
窓から忍び込む白い月の光は、刃となって闇に切れ目を刻んでいた。
淡い光を放つランタンを手にしたおとこたちが、壁に付けられた燭台へ灯をつけてゆく。
広い部屋で、あった。
天井も高く、闇に包まれている。
その部屋は燭台の明かりで照らしだされるが、それでも冥界のように薄暗く色がない。
その部屋を、ひとりのおとこが横切ってゆく。
長身の逞しい身体を持つ、おとこだ。
閲覧用に設えてあるらしい大きな椅子に、深く腰をおろす。
そして、手にしたランタンから紙巻き煙草に火を点け、息を吸い込む。
薄闇の中に、おとこの顔が浮かび上がる。
眼光が鋭く、彫りの濃い顔だ。
無精髭がういた口許には、獣の笑みが貼り付いている。
いわゆる第三種軍装を、身に付けていた。
第三種とは、この辺境の地では事実上ただの略装のことである。
それは略装とはいえ、ならず者のようなこのおとこを、辛うじて軍属に見せていた。
そのおとこを追うように、兵たちが入ってくる。
皆同じような略装を身に付け、雷管銃を手にしていた。
兵たちは、おとこの左右に並んでゆく。
彼らは略装をといいながら、それぞれ勝手な装飾をその軍装にほどこしていた。
それはここよりずっと東方の騎馬民族が使う飾りであったり、辺境の部族が使う呪いの護符であったり、中には士官がつけるはずの肩章をつけているものもいる。
それが本物ならおとこは貴族ということになるが、おとこの野性味たっぷりの顔と表情がそれを裏切っていた。
椅子に腰をおろしているおとこは、煙草のけむりを吐き出す。
おとこの名は、ミハイルといった。
ミハイルは、待っている。
ふたりの、おとこを。
行商人と名乗る、おとこたちを。
最後に軍装の上に漆黒のマントを纏ったおとこが入ってきて、ミハイルの隣に立った。
夜の闇をマントにして纏ったおとこは、抜き身の刃が持つ殺気を漂わしている。
腰には無造作に、長剣が提げられていた。
マントのおとこは、整った顔に少し苦い笑みを浮かべてミハイルへ声をかける。
「ミハイル隊長ご自身が、お会いになる必要などないでしょうに」
「まあそう言うなよ、アレクセイ」
ミハイルは、苦笑を浮かべる。
「退屈な夜にうってつけの、余興じゃないか。それに」
「それに?」
アレクセイと呼ばれたおとこは、切れ長の鋭い目を少し曇らせて問う。
「いや、まあいい」
ミハイルは、らしくもなく言葉を濁らせた。
アレクセイは、若く峻烈なおとこだ。
ミハイルの感じた行商人のおとこたちへの違和感は、理解できまい。
むしろ怪しむより前に、斬り捨てるはずだ。
そうではないということを判らせるのは、少し面倒な気がする。
アレクセイは煮えきらない態度の上官に対して、肩を竦めただけで何も言わなかった。
ミハイルは、部屋を見渡す。
本当の客人をもてなす正規の客間ではないが、捕虜を尋問する殺風景な部屋というわけでもない。
ある意味、どちらつかずの広間であった。
ミハイルの、行商人と名乗るおとこたちへの気持ちもまた、どちらつかずのものである。
ミハイルは、左右に並んだ兵たちを見た。
一応軍装を身に付けているとはいえ、見るからにならず者でもある。
まあ、どちらつかずと言えば、おれたちはそもそもそんなものだ、とも思う。
ミハイルは、とりとめもなく考える。
おれたちを、ただの山賊と区別するものはなんだろうか。
例えば、正式に軍属を承認されていることはどうだ。
そんな山賊は、それほど珍しくはない。
そいつらは、戦時調達と称して略奪する。
そして、領主の召喚に応じて戦争に参加した。
まあ、おれたちと同じである。
では、キエフの砦という拠点を持つことか。
同じように放棄された砦を占拠して拠点とする山賊は、いくらでもいる。
強いて言うなら、おれたちにはウルクアイの街があるということだ。
人口が千人に満たないとはいえ、ウルクアイはひとつの街であり、おれたちと持ちつ持たれつも関係にある。
街を守護する山賊は、おれたちを除いて多分いない。
それは、税の徴収をはじめとする色々やっかいなことに関わる必要がでるからだ。
しかし、その分衣食住にさほど不自由しないといった有利な点もでてくる。
(それと、もうひとつ)
ミハイルは、しかしその理由をこころの中で否定した。
その理由が、あまりに身勝手なような気もしたからだ。
そこで、ミハイルの思考が中断される。
ふたりの行商人が、入ってきたからだ。