夜から夜明けまで 第三十七話
その水晶は、どんなガラスや水よりも尚透明で透き通っていたため、闇の中で人形を視認することはとても難しい。
けれど微かに屈折する月の光が、水晶人形の外観を少しだけ浮かび上がらせる。
それはか細い絹糸で描かれた、ひとの絵のようだ。
水晶人形は、とても美しく優美なラインを闇の中へ描き出している。
その姿は、エルフの貴婦人の体型を模倣したかのようだ。
優美な姿を持つ水晶人形ではあるが、その両手からは針のように鋭いレイピアが突き出している。
それはひとの身体を容易に引き裂くことができると思わせるほど、危険な鋭さを持つ。
そのレイピアの存在が、その人形が暗殺用に造られたものであることを推察させる。
シックスフィンガーは、両手を一振りした。
それと同時に、水晶人形は完全に闇へと溶け込んだ。
ひとであれば気配を発するかもしれないが、その人形は完全に闇と一体化しておりどこにいるのかうかがい知ることはできない。
それを見届けたアナスタシアは、シックスフィンガーに声をかける。
「もう一度、生きているあなたと会えることを祈っているわ」
シックスフィンガーは、穏やかな口調で返す。
「この時間線の中では、無理だと思います」
アナスタシアは、肩をすくめると叫ぶ。
「さあ、急ぐわよ。キエフの砦へ」
シルバームーンは、イリューヒンを促し先頭を走り出す。
騎兵たちがその後に続き、隊商のおとこたちがその後ろに列をなした。
最後になったブラッドローズとアナスタシアは、最後の挨拶をシックスフィンガーにする。
ブラッドローズは大きく手を振り、アナスタシアは目礼をした。
シックスフィンガーは、これから近くを散歩してくるというような笑みをうかべて軽く手を振ると踵を返し街道を歩き始める。
アナスタシアは苦笑の色を目に浮かべ、馬を走らせ始めた。
ひとりになったシックスフィンガーは、夜の闇に包まれた街道を急ぐ。
フェイフゥーの死体が、どのようなルートで来るかは判らない。
けれど大量の魔力をふり撒きながら来るはずなので、その気配は遠くからでも判るはずであった。
そのシックスフィンガーが闇の中で、何かを感じとり立ち止まる。
フェイフゥーの死体にしては小さすぎる、気配であった。
それは、ふわりと闇色の姿をシックスフィンガーの前へ晒す。
一羽の鴉で、あった。
シックスフィンガーは、その鴉に呼び掛ける。
「フェイフゥー」
フェイフゥーと呼ばれた鴉は、シックスフィンガーの差し出した右腕に静かにとまる。
そして、フェイフゥーの声でしゃべった。
「全く酷い目に、あったのね」
シックスフィンガーは、ゆっくりと頷いた。
「油断しましたか。あなたほどの魔道師が、身体を失うなんて」
鴉は忌々しげに、ばさりと羽を動かす。
「まあ何とか、記憶と魔法式は身体から抜き出して持ってきたね。でもこの身体では、使える魔法もないのね」
シックスフィンガーは、微笑んだ。
「カの魔法式を与えなかったのは、流石ですね。もしそれを奪われていたなら、もっと厄介でした」
「で、これからあんたは、僕の身体を破壊しにいくのね」
シックスフィンガーは、頷く。
「わたしも破壊されることに、なるでしょうが」
「まあ、あんたは死んでも時間線を遡るんだろうけど、残された僕やアナスタシアはたまったもんじゃあないのね」
シックスフィンガーは、哀しげな目をする。
「それは、申し訳なく思います」
「冗談、冗談ね。それはどうしようもないこと」
鴉は笑うように、嘴を鳴らす。
そして、再び夜空に舞い上がった。
「案内するよ。僕の死体があるところへ」
シックスフィンガーは闇色の翼を広げ月明かりの下を飛ぶ鴉に導かれ、森の中を走り出した。