夜から夜明けまで 第二十九話
さらに黒い鉄の鞭はそれがフェイフゥーの触手であるかのように意思を持って動き、キメラへと襲いかかる。
黒い鞭は、容赦がなかった。
キメラの身体を粉微塵にするかの勢いで、砕いてゆく。
キメラは舞散る花弁のように破壊され、夜の大地へと落ちていった。
それと同時に、キメラの内部に閉じ込められていた闇が滲みだしてふわっと宙を舞う。
それは黒い粉塵が撒き散らされ、大地に降り注いでいくかのようであった。
フェイフゥーは、ため息をつく。
その美しく白い顔には呑気そうな笑みが浮かび上がっていたが、その手にある鞭は獲物を狙う蛇となってキメラが破壊されたあたりに切っ先が向けられている。
その様を見ながらイリューヒンが、茫然とした声をだす。
「一体あれは何だっていうんだ。あんな魔法的存在は、何であれ」
イリューヒンは少し絶句し首を振ると、言葉を結んだ。
「意味が無い」
意味が判らないというべきよね、とブラッドローズは思う。
魔法的存在は、ひとに寄生するものである。
だから結果的にとり憑いたひとを殺してしまうことがあっても、いきなり殺そうとすることはまずない。
ひとは彼らに食料である生命エネルギーを与えてくれる、大切な宿主なのだ。
しかし、さっきのキメラは何の躊躇いもなく、ひとに襲いかかかった。
そんな行為に、意味はない。
ブラッドローズにも、さっきのキメラは謎の存在であった。
もし、ひとに操られていれば別だが、彼女に気配すら感じさせずあんなものを操れる魔道師なんているはずはない。
「真実を、お知らせしましょう。イリューヒン様」
アナスタシアが、厳かな口調で言った。
イリューヒンは、疲れたような笑みを少し浮かべる。
「そうだな、まずあんたの説明をきかせてくれ。真実なんてごたくはおいといて」
皮肉な言い様をアナスタシアは無視し、森の向こうアルフェット海があるほうの空を指差す。
そこには、銀色に輝く塔があった。
一瞬にして海の中に出現した、存在である。
おそらく、夜の空から落ちてきたものであろうと思う。
「あの銀色の塔が、見えますか?」
イリューヒンは、ぼんやりと頷く。
アナスタシアは満足げに頷き返すと、言葉を重ねる。
「あれは星の海からこの地上へと、降りてきたものです」
イリューヒンは、アナスタシアの言葉を黙って聞いている。
アナスタシアは、言葉を重ねる。
「あの塔の中には、異なる世界からやって来た災いがたっぷりと詰まっています。そしてその災いが滲み出て、さっきのようなキメラを造るんです」
イリューヒンは、少し考えているようだ。
物思いに耽る目をして、アナスタシアに語りかける。
「あんたらの望みはなんだ」
アナスタシアは冷徹な声で、語る。
「わたしたちは、魔道の力であの災いがくるのを知っていました。だから、あなたたちキエフの砦を守るひとに警告を与えにきました」
「ひとつ、聞いていいか?」
イリューヒンは、少し投げやりな感じでアナスタシアに問う。
アナスタシアは厳しい顔に少しだけ笑みを浮かべ、頷く。
「おれたちに警告を与えるというのなら、なぜはじめから何がおこるのかをおれたちに言わなかった?」
アナスタシアは、苦笑めいた笑みをうかべる。
「全てをもしはじめに説明したら、信じましたか?」
イリューヒンは、首を横にふる。
「そういうことです。でも今なら、あなたたちも聞く耳をもつでしょう。お願いがあります」
イリューヒンは、無言で先を促す。
アナスタシアは、言葉を重ねる。
「キエフの砦に、連れていってください。そこで総督閣下にこれから起こるであろう災いを説明したいと思います」
イリューヒンは、投げやりな笑みを浮かべたまま言った。
「いいぜ、連れていってやる。総督が会うかは知らんが」
アナスタシアは、深々と礼をする。