夜明けから夜まで 第百三十二話
ブラッドローズは、目の前が昏くなるのを感じた。
なんという、ことなのだろう。
シックスフィンガーは、世界を救うために人生の全てを費やしたはずだ。
いや、人生どころか無限に近い時を、そのために費やしてきたといえる。
けれど、結局のところ彼が世界を救おうとする行為こそが、世界を滅亡へと導いていた。
そんな酷い話が、あっていいものだろうかと思う。
蒼ざめたブラッドローズを前にしたシックスフィンガーは、優しく微笑んでいた。
その笑みは、ブラッドローズに哀しむ必要はないということを、伝えているようだ。
どういう、ことなのだろう。
「わたしたちが直面している不幸な出来事のループを終了させる方法が、ひとつだけあります」
ブラッドローズは、少し虚ろな目でシックスフィンガーを見る。
「どうすればいいの?」
「時間を遡行して、ユビュ族に会う前のこのわたし、シックスフィンガーに警告すればいいのです。時間遡行しては、ならないと」
ブラッドローズは、驚いた顔になる。
「まさか、このわたしに時間遡行をしろっていうんじゃあないでしょうね」
シックスフィンガーは、丁寧で穏やかな口調で語る。
「もちろん、あなたが時間遡行をするんですよ、ブラッドローズ」
ブラッドローズは、激しく首を振った。
金色の髪の毛が揺れ、光をまき散らす。
「シックスフィンガー、あなたさっき、わたしには時間遡行できないって、いったじゃない」
シックスフィンガーは、頷く。
「そのとおりですが、方法があるのです」
ブラッドローズは、戸惑ったような眼差しをなげる。
シックスフィンガーは、それに笑みを返した。
「まず、別の時空間へ次元移動するのです。そして、移動した先の時空間からこちらの時空間にもどる時、過去の座標位置を目的地として戻ればいいだけです。このやりかたなら、負のエントロピーが発生しないので、反動で正のエントロピーが噴出することもありません」
簡単にいうけれどと、ブラッドローズは思う。
別の時空間に移るというのは、デルファイへ行くのと違い記憶や座標位置を保持していくわけにはいかない。
だから、次元移動した先から戻ってくるのは、容易なことではなかった。
ましてや、もとの座標位置に戻るのならともかく、過去にいくなんてどうすればいいのか、ブラッドローズには想像もつかない。
あきらめ顔のブラッドローズに、シックスフィンガーは気楽に言った。
「大丈夫、入れ子構造になった座標位置を用意してありますから、簡単に折り返せますよ」
ブラッドローズは、目を見開く。
「簡単に言うけれど、そんなの用意するのに何千年もかかるよ」
「SSEは、ひとがくみあげるのに5千年はかかるような魔法式を、四半刻に満たない時間でくみあげます。入れ子構造の座標位置は16次元に跨る処理が必要ですが、SSEにしてみれば、そう難しいことではありません」
ブラッドローズは事も無げに言うシックスフィンガーに気圧され、口を閉ざした。
どうやらまた、世界を救う旅に出ることになりそうだ。
しかし、今度はデルファイに行くほどには、難しくないらしい。
「ひとつ、問題があると思うの」
シックスフィンガーは、質問を受け付ける教師のように頷いた。
「なんでしょうか」
「時間遡行に、仮にわたしが成功できたとしても。一体どうやって、過去のあなた、シックスフィンガーを説得すればいいのよ」
「わたしの記憶を持っていけば、いいですよ。それを過去のわたしに、渡せばいい」
「どうやってあなたの記憶を、持ってくのよ」
ブラッドローズの驚きは、シックスフィンガーの落ち着いた声で崩されていく。
「座標位置を記した魔法式に、わたしの記憶も組み入れておきました。あなたは、いつものように眠って目覚めればいいだけです。簡単でしょう?」
いやいや、とブラッドローズは思う。
なんで、自分がこんなことをしなくちゃいけないのかと、思う。
けれど、やるしか無いような気もする。
シックスフィンガーにとって今の状態は、あまりにも酷すぎると思う。
ブラッドローズは、思った。
今度の旅は、シックスフィンガーを救うための旅であると。
「判った。座標位置を頂戴、シックスフィンガー」