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夜から夜明けまで 第十二話

詰んだな、ミハイルはぼんやりとそう思い、微かに笑みを浮かべる。

彼は、顔を忘れるほど長い間会わなかった友人に再会した気分であった。

その友人の名は、恐怖という。

ミハイルは、長らく恐怖の顔を忘れていた。

もし、ロックフィストに拳を突きつけられたとしても、恐怖は感じなかったろうと思う。

死は忌むべきものでも、恐れるべきものでもない。

それはむしろ、救済とでも言うべきものかもしれなかった。

しかし、目の前のアレクセイの死体は、そのミハイルの思いを裏切っている。

死して尚、武器として扱われるのだ。

ミハイルはそのことに、暗闇の部屋へ幽閉されたような恐怖を感じる。

シックスフィンガーは、相も変わらぬ優しげな調子でミハイルに語りかけた。

「隊長様、あなたは選ぶことができます」

そこにはもう交渉などという要素は無くなっており、単純に事実を伝えるだけの事務的な調子が含まれている。

「ひとつの選択肢は、あなたたちの部下に雷管銃を降ろすように命じて、わたしたちに二頭の馬を用意すること」

シックスフィンガーは、穏やかに淡々と言葉を重ねる。

ミハイルも、彼の部下たちも一歩も動かず、その言葉を聞いていた。

「もうひとつの選択肢は、あなたが今ここで殺されること」

ミハイルは、辛うじて笑みを口の端に浮かべ続けることに成功していた。

それが自暴自棄のように、見えたのはともかくとして。

「ふたつ、確認したい」

ミハイルは、自分の声がまだ恐怖で震えていないことに、すこしだけ満足する。

「おれがおまえたちに馬を用意したら、おれは死なずに済むのか?」

シックスフィンガーは生徒の答えを確認する教師の口調で、それに答えた。

「もちろん。あなたはその場合、わたしたちがここを出た後も生きてあなたの部下を率いてわたしたちを襲うこともできます」

ミハイルは、その物言いにうんざりするものを感じたが、何も言わなかった。

「もうひとつは、これは単なる好奇心の質問でもあるんだが、もしおれを殺したらあんたたちはその後どうする?」

これにも、シックスフィンガーは、丁寧に返答した。

「わたしたちは、ミシェル・デリダ伯に話をしに行きます。その際に、なるべくあなたたちを殺さないようにはするつもりですが、保証はしかねます」

ミハイルは、肩を竦める。

彼らは売り終えた商品の説明をする、商人のようだ。

元々彼らは、商人と名乗っていたのだから、もちろんそう見えるのに不思議はない。

ミハイルは、静かに言った。

「あんたらに、二頭の馬を用意しよう」

それが起きた瞬間は、その言葉を待っていたように思えるのだが、もし待っていたものがいたとしたら一体それは誰だと言うのか。

しかしそれは、その言葉を言い終えるタイミングに合わせたように、起こった。

落雷にしては、音が巨大すぎる。

地震にしては、揺れが破壊的ではない。

爆発にしては、光が弱く思う。

そうではあるが、その轟音はキエフの砦を大きく揺らせ、そして唐突に止まる。

光は一瞬だけ、その部屋を真昼の明るさで包み込んだ。

巨人が砦のそばで、跳躍し着地した。

ミハイルは、その振動と轟音に、そんな感想を持つ。

そして、ミッドガルドの壮大な山々が轟音に答え、長く大きな山鳴りを響かせる。

ミハイルは、驚愕でこころを震わせた。

彼の波瀾に満ちた人生の中で、こんな奇妙な轟音を聞いたことは無い。

自然現象とはとても思えない異様さがあるが、もしひとの手でそんな轟音を起こすのであれば、それこそ神話の力が必要である。

そして、ミハイルはシックスフィンガーの顔を見て戦慄した。

シックスフィンガーは、今の轟音はあたかも決められたことが起こったといったふうに、沈痛で冷静な面持ちでいる。

その表情から、欠片ほどの驚きを感じとることはできない。

ただ哀しさだけを、その目の色の中に潜ませている。

轟く山鳴りが止んだのを確かめたシックスフィンガーは、とても落ち着いた口調で言った。

「それでは、わたしたちの馬のところへご案内いただけますか?」

その様子は、何度も繰り返された芝居の台詞を吐いているように見えた。

決まったことを決まったとおり、運んでいく。

シックスフィンガーから感じられるのは、それだけであった。

そのことに、ミハイルは言い様のない恐怖を感じる。

一体おれたちが巻き込まれているのは、何であるのか。

今ここで起きていることは、何が引き起こしているのか。

それらは、死よりも深い闇に包まれている。

ミハイルは、陰鬱なもの思いを振り払い歩き出そうとしてあることに気がつく。

両手の自由が、奪われている。

頑丈な糸で手首を括られているようではあるが、その糸を視認することができない。

ミハイルは、半ば反射的にシックスフィンガーのほうを見る。

シックスフィンガーは、静かに頷いた。

「あなたの手の自由を奪ったのはわたしの魔道、魔操糸術と呼ばれるものです」

シックスフィンガーは、生徒に世の仕組みを説明する口調で続ける。

「魔道で空間に開けた微細な穴を通じて、エルフの紡いだ糸を操る技。魔道としては、ごく初歩の単純なものですよ」

ミハイルは、口を歪める。

「おれは、あんたらに馬を与えると約束したんだぞ」

シックスフィンガーは、哀しげに頷いて言った。

「もちろん、そうでしょうが何かの弾みで隠し持ったナイフをわたしに向けたくなるかもしれません。その時にわたしたちはあなたを、殺すことになるでしょう。それでは、約束が守れませんからね」

ミハイルはそのうんざりするような物言いに、声にはださずこころの中で呟いた。

(やれやれだぜ)


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