夜明けから夜まで 第百十二話
声が聞こえる。
ミハイルは、目を開いた。
一刻ほどの仮眠は、身体に泥を詰め込んだ重さをもたらしている。
ミハイルは、傍らにある壷から盃に火酒を注ぎ一気に呷った。
火酒が燃え盛る炎となって、喉の奥を焼き胸に火を灯す。
「ミハイル隊長」
イリューヒンの、声であった。
昨夜の戦いで使い物になる下士官を根こそぎ失ったミハイルにとって、今や頼りになる副官はイリューヒンくらいのものだ。
ミハイルは立ち上がると、腰のスリングに雷管銃を吊るし上着を羽織る。
扉を開くと、敬礼するイリューヒンに頷きかけた。
「戦闘準備は、整いました。皆、隊長がこられるのを待っています」
イリューヒンの言葉に頷くと、無言のまま廊下を歩き出す。
疲労は溜まっているはずなのだが、高揚感はあった。
既に壊れつつある自分が、無理やり駆動されていくような感覚になぜかミハイルは笑みを浮かべてしまう。
それはむしろ恐怖の感情からもたらされる、自暴自棄だったのかもしれない。
それでも、ミハイルは自分を見るイリューヒンの瞳に畏怖があるのを感じる。
何か声をかけるべきなのかもしれないが、ミハイルはなぜか億劫さを感じ黙ったまま廊下を歩く。
窓の外、砦の西に聳えるミッドガルド山地の下に太陽は隠れている。
黄金に輝く西の空は、闇色の巨獣となった山岳地の稜線を赤く燃え上がらせていた。
陽はまさに今、沈んだ。
自分たちにどれほどの猶予が残されているのか、見当もつかない。
ふと思いだし、ミハイルはイリューヒンに問いを投げる。
「アルケミアの娘は、目覚めたのか?」
イリューヒンは、沈痛な面持ちで首を振る。
「いいえ、そのような報告は受けていません」
まあ、どうでもいいか。
ミハイルは、こころの中で呟くとイリューヒンに頷きかけた。
ふと、西日に照らされる廊下に、奇妙な風体のおとこが立っていることに気がつく。
顔を髪を、白と黒の市松模様に塗り分けた道化の扮装をしたおとこである。
道化のようなおとこは、人形の美しさと兵器の怜悧さを兼ね備えた様な黒衣のおんなを後ろにしたがえていた。
死神をひきつれた道化、そんな風情を持ったおとこは機嫌よく笑いながら話かけてくる。
「大変なことになってるようだね、ミハイル隊長様」
ミハイルは、苦笑した。
「流石に、共和国もほうっておけなくなったということかい、クロソウスキー」
クロソウスキーと呼ばれた道化は、笑みを浮かべたまま一礼する。