夜から夜明けまで 第十話
アレクセイは闇の中に潜む殺意の影となり、ふたりのおとこに向かって数歩踏み出す。
対するロックフィストは、楽しんでいるかのようにさえ見えた。
その石化した左手は真っ直ぐ垂らされたままであり、特に構えをとることもなく自然体で佇んでいる。
薄氷の上の緊張感が、薄闇の部屋に降りてきた。
アレクセイと、ロックフィスト、二匹の凶悪な獣の間に火花が散りそうなほど濃い殺気が満たされてゆく。
あと一歩踏み込めば間合いに入るであろう所であろう場所から、アレクセイは進まない。
ただ手にした剣を、上段に振り上げただけだ。
天井が高いため、剣を上段に掲げることができる。
頭上を覆った闇を、月光を受けた剣が白く輝き裂け目を穿っていた。
アレクセイは彫像のように動かないが、その全身は暴風の力が溜め込まれているようだ。
突然、ロックフィストが右手を上げ、指を一本立てる。
そしてその指を何かを引っ掻くように、第二関節のところで何度か折り曲げ伸ばす。
ロックフィストは、笑っていた。
彼は遊びに誘うように、指を動かす。
アレクセイは、それを無視するように見えたが。
突然、その姿が闇に消える。
アレクセイは、漆黒の風となっていた。
先程の、ロックフィストの動きと比較しても格段速い。
目で捉えられる速度を、越えていた。
黒い竜巻と化したアレクセイから、稲光となった剣が上段より降り下ろされる。
猛禽の叫びを思わせる裂帛の気合いが、アレクセイの口から迸った。
それまで内にこもっていた殺気が黒い焔となって、部屋中を満たす。
アレクセイは、ロックフィストの左半身へ切り込んでいた。
ミハイルの言葉が結果的に右側へ切り込む予告になったと思えば、それは虚をついたと言えなくもない。
ロックフィストは条件反射的な動作で、左手をあげて防御をとる。
しかし、闇を切り裂く真白き疾風となったアレクセイの剣は、その石化した腕の下をすり抜けた。
その剣は、ロックフィストの外衣を浅く裂いて右側へと抜けて行く。
アレクセイの初太刀は、いわゆる見せ太刀というものだ。
はじめから、アレクセイは初太刀で相手を斬る気はなかった。
しかし、その剣には溢れんばかりの殺気が込められていたので、ロックフィストは反応し左手を上にあげている。
実のところ、アレクセイの目的はそれであった。
アレクセイは、右下方に抜けた剣の刃を返す。
空気抵抗を受けて、剣は動きを止める。
アレクセイはその剣を返し、第二太刀を放つ。
狙いはロックフィストの、右足である。
左上にあげられた岩の拳ではその剣を、とめることはできない。
右足を斬られても致命傷にはならないが、戦闘力は半減する。
後は、ゆっくりと仕上げればいい。
その時、アレクセイのこころを衝撃が貫く。
自分の目の前に、岩の拳が迫っていたためだ。
ロックフィストは、自分の足に向かってくる剣に対して下がってよけるのではなく踏み込んでいた。
そうすると、剣の切っ先ではなく鍔元が足にあたることになる。
剣の鍔元に刃はなく、そこで斬りつけられても鉄の棒で叩いた程度の効果しかない。
足元を狙った剣を避けるにはそれしかないが、そんな判断を咄嗟にできるものは余程経験を積んだ剣士くらいのものだ。
ロックフィストが、そうだということなのか。
アレクセイは死を覚悟しつつも、なんとか後ろに跳んで拳を避けようとする。
しかし、またアレクセイは驚愕した。
自分の身体が、まるで縛り付けられたように動かなかったのだ。
そして、自分の目の前にきた拳も、動かなかった。
あたかも、時間が凍り付いたというかのようだ。
ロックフィストが、吐き出すように言う。
「おい、おれの邪魔をするな。離せよ」
シックスフィンガーは、相変わらず穏やかな口調でロックフィストに話しかける。
「そんな殺し方は、してほしくありません」
アレクセイは、その口調の冷静さにぞっとする。
「それでは、死体を使うことができなくなります」
ロックフィストは、唇を歪め舌打ちする。
「判ったから、放せって」
止まっていた時間が、再び動き出す。
アレクセイは、身体の自由を取り戻した。
後ろに跳んで、間合いを取ろうとする。
それよりも速く灰色の猟犬となった岩の拳が、アレクセイの胸にあたった。
星無き漆黒の夜が落ちてくるように、アレクセイの意識は闇に飲み込まれる。