夜から夜明けまで 第一話
硝子の質感で透明に、しんと透きとおった夜であった。
炭色に黒い天空の極みに、白く孤独な月が輝いている。
春先にしては、空気の粒子に氷の破片が潜んでいるように、凍てついた夜だ。
おとこは、掲げられた松明で紙巻き煙草に火を灯すと、ゆっくりと砦の門前に腰をおろす。
おとこが煙草を吸うと、闇の中におとこの顔が幻のように浮かびあがる。
若く、精悍な顔であった。
野生の狼を、思わせる面構えだ。
おとこは闇のなかへ薄く輝く紫煙を、吐きだした。
煙が渦巻く様は、生き物を思わせる。
おとこは、雷管銃を身に引き寄せた。
銃はオイルと鉄の香りを漂わせ、孤独な夜の海に降ろされる錨としておとこのこころを落ち着かせる。
今夜の歩哨としての任務はまだ始まったばかりであり、深夜すぎの交代まで長く孤独な時を過ごさねばならない。
ぼんやりと星でも数えてみる他に、することもなかった。
おとこの名は、ダークという。
彼が歩哨として守っているのは、キエフの砦であった。
砦の城壁は、ウルクアイの街を囲んでいる。
小さな街であった。
けれど、辺境とはいえ一応は王国領の中であり、国境の手前にある街道沿いの街であるためそれなりの要所ではある。
だから雷管銃という中原でも中々手に入れられぬような武器が、配備されていた。
ダークの前には、闇の中に沈んだ坂道がある。
森を貫き下って行く坂の麓に、街道があった。
砦の、そしてウルクアイの街を越えた背後には、ミッドガルド山地が聳えている。
伝説の神々と戦った巨人を思わせる壮大な山地の終焉が、砦の北と西側を囲っていた。
砦の東側は崖であり、その下には荒れた海が広がる。
アルフェットと呼ばれる、内海であった。
北、西、東を天然の要害に守られたキエフ砦に入るには、南側の森を貫く坂道に面する門を通るしかない。
ダークが今腰をおろしているのは、その門の前であった。
街道は、王国と国交のあるトラキアへ続いており、昼間であればそれなりに人通りもある。
しかし今は真夜中までには間があるとはいえ、陽が沈んで一刻以上の時が過ぎており、空も森も黒いビロードの闇が覆っていた。
そんな時間に、この砦を訪れるひとはいない。
そのはずで、あった。
だから、はじめその揺らめく光を見たとき、ダークは妖魔の類いなのだと思う。
ただ、中原の西方ではそれほど珍しくはないと言われる妖魔も、王国の東端でしかも辺境の地では見ることなどない。
ダークはキエフの砦で二つの冬を越したが、妖魔をここで見たことは無かった。
坂道の奥にある闇の中でゆらゆらと揺れる火の存在は、次第に確かなものへとなっていく。
ダークは立ち上がると、雷管銃の撃鉄を起こす。
カチリと音をたてながら、五連式輪胴弾倉が回り撃鉄が起きあがる。
ダークはまだ銃は肩付けせず、腰の辺りでかまえたまま闇で揺れる火を見つめた。
やがてそれは、砦の門を照らす松明の明かりが届くところまでくる。
燃える焔に照らし出されたのは、二人のひとかげであった。
ようやくダークは雷管銃を肩付けし、声を発する。
「誰か」