新たなる道 2
消えたボーラ。
その姿は、私が嘆く間もなく出現した。
彼女は、たった今まで寝かされていたベット、その場にへと転移されていたからだ。
「彼女は少し疲れた様だ、起きた後に改めるとしよう」
その姿は、この動かない体では見る事は出来ないけど、常に共に居た仲間の気配が失われずに済んだ。その事実で、その場にへたり込みそうになるが、動かない体はそれも叶わない。
そして、その思いは姉妹であるムーアの方が強い。言葉を封じられたにも関わらず、後ろから涙を啜る音が聞こえてきている。
「さて…、先に君たちを済ますとしようか」
安堵したのも束の間。その一言に全身の毛穴から冷たい汗が噴き出す。
そう、ポーラには手を出さなかったけど、未だ体も生殺与奪の自由は魔王が握り、意識を失っていたとはいえ、私たちの中で一番高い魔力を持つポーラに魔術をかけたのだ。私やムーアにこの拘束を解く術はない。
復讐の狂気も仲間が助かった安堵で霧散してしまった。そして動かない体。
出来れば痛くなければ良いな。と、心は諦観してしまっている。
もう全てが無理だった。
今まで、片手間でも羽ペンを走らしていた魔王。そのペンを止めると、ペンは手帳と共に消失し、空いた両手を組んで視線をこちらへ向けた。
絡まる視線。その顔には僅かながら陰が挿し、この折れた心を酷く不安にさせる。
「すまない。誤解をさせたようだ、謝罪しよう」
数秒間。その言葉が理解できなかった。
意味が解らない。なんで謝る。何の事だか解らない。貴方が殺した人の事? 今の状況? ポーラの事?それとももっと別の事?
グルグル回る思考。
魔王は、そんな私の混乱に構わず、その人と同じつくりの手から、二本の指を立てて言葉を紡ぐ。
「まず我が滅ぼしたのは、魔導学と昌工学の一部、その二つだ。そしてその場へと住まう住人の大半は転移させ我が城に招待した後、未だ些細な抵抗が有るものの、その地は我が管理下へと置かれる事となった。
……取り敢えずこれで良いかな?」
魔王は言葉を一旦途切れさせ、立てていた指を曲げて差す。
その動作につられる様に空に縫われていた体は、まるで時間を巻き戻したが如く、ゆっくりと私が飛び出したベットへと下ろされ、それに伴い拘束された体が自由になった。
解放された体は、私の気持ちを表すが如く、そのまま膝から崩れ落ちた。隣を見れば、恐怖に青くした頬に赤みが挿したポ-ラの安らかな寝息が規則正しくたてられ、反対側に居るムーアは、自分との実力差を否応にも感じて足を震わしている、当然だ。万を越える大人数を転移で長距離移動、それはたった一人運ぶの事すら困難な術式だと言うのに、事も無げに言うのだ。
格の違いなんてものでは無い、次元。住む位置が違う。
それでも尚気丈に魔王を睨みつけているムーア。そんな大切な仲間が目の前に居る事がとても愛おしい。
しかし、二人を視界に入れた私だったが、出来る事ならそのままベットに体を埋めたいところだけど、魔王から全て聞き出すまでそんな事出来ない。
「き、機関の皆はどうしたの?」
そう、私たちの仲間の安否を聞き出すまでは、
「……ああ
勇者育成機関とか名乗る者たちの事か」
その言葉に頷くのがやっとで言葉を発さずに続きを待つ。
「フム、結論だけ言おう。
その施設は物理的にも集団としても解体させた」
その言葉は衝撃をもって後頭部に直撃する。
しかし、今度は自分の体を感情を制御する。
目の前の男との実力は隔絶的なまでの差があり、今、襲いかかったところでどうしようもない。それどころか一度は見逃されたが、次は容赦も慈悲も無くその手にかけられる。
私、一人なら問題はないが、ポーラとムーアがいる。それにまだ話の途中。
「そ、それで、み、みんなは?」
声は荒げなかったが、震える喉をなんとか振り絞って出した。その声はやはり震えていた。
「大賢者を名乗る主要人物他数名は、勇者候補を盾に行方をくらまし―」
その瞬間、今まで片時も崩れる事の無かった魔王の雰囲気が僅かに歪むが、それも一瞬の事、すぐ、初めて見た時から変わらずに、その姿に敵意も害意も感じられない。
大賢者様が逃げ出した言うなら。彼らは総崩れだろう。結束力は有っても、行動する為の指揮が無いのならそれは烏合の集と同一だ。組織的な動きなど出来る筈も無い。
何より目の前の‘魔王一人’、ソレだけで何万の人が集まろうと無意味。
「―未だ行方知らずだ。
そして盾とされた者達だが、その大多数を捕えて処置させ、今の所は落ち着いている」
つづいて囁かれた魔王の言葉、それは私の思考を真っ白した。
「…みみみ、みんなは?」
だからその声は私ではなかった。今まで魔王に敵愾心を燃やしつつも、一言も発しなかったム-アから発っせられたもの。
僅かな詠唱のスペルミスで暴発に繋がるが魔術。その魔術を操る魔術師の中でもでも格段に優秀で、何事にも冷淡に対処してきた彼女ですら、その答えを聞く為に口ごもりながらもきいた。
それは、それ程に重要な質問。
「無事とまではいかないが、死者は……いないな」
今度こそ限界だった。制御出来ていたと思っていた体は、その言葉に力を失い何かがストンと落ちた。何が落ちたか不明。
次に感情の制御を失った。
「ふえぇぇぇん、あぁぁぁ」
ただ涙した。皆が生きていた事への安堵。
ソレだけ考え、張り詰めていた糸は完全に途切れて歳相応の顔に涙が流れた。
どれ位泣いていたのだろう。ここ数年分を一気に泣き続けた気さえする。
泣き腫らした眼は、乾いて痛い。
とうとう立っていられなくなったムーア、彼女と私は同じ顔、その目を真っ赤に腫らし、鼻を啜る音、それを隠す様に顔を覆って蹲ている。もう少し落ち着かないと魔法の詠唱は難しいと思う、きっと。
時間が流れてくれたおかげで随分落ち着いた。
そのおかげで冷静に考える事ができた。
「……それで、私たちに何をさせたいの?」
そう、目の前の男は魔王。
人の敵である魔族の王。
それが、滅ぼさずに保護したと言うのは到底信じ難い、まだ、皆殺しにして胃に納めたと言われた方がまだ信じられる。
しかし、同時に嘘を着く理由も見当たらない、彼がその気になれば抵抗など無意味とばかりに皆殺しにできる。ならば、それはつまり私たち人を生かしている理由がある。利用価値が存在しているからに他ならない。
「ああ、
やっと話が進められそうだ」
私たちが落ち着くのを待っていたのだろう。何かを言うまで口を閉じ、今更私たちが何をしても問題無いのだろう。黒に染まった瞳を閉眼して待っていた。
泣き顔を見なかったのは、魔王の気配りか何か?
正直、色々恥ずかしいと思いはじめたのは、余裕が出て来た証拠なのかな。
ここで、顔を洗いに行かせて下さいと言いたい処だが、流石に駄目かな?
「順を追って話して行こうか……
まず、君たちが来た次の日に人の土地に我々は侵攻した。
まともに動く事もままならない連中だ。抵抗らしい抵抗も無く彼らを制圧した。
その際、数名が逃げ出したが、…あの感じでは他の魔王領へ行ったのだろうが、どうなったは分らんな。……そして、唯一にして最後まで抵抗したのが勇者育成機関と呼ばれる建物に籠る君たちのご同類。
彼らは数時間、籠城戦で我々を釘づけにし、手をこまねいている間に、人に紛れて隠れた勇者候補だか、その教官だかがゲリラ戦を仕掛けて来たが……」
「待って! 大賢者様は行方をくらましたって言わなかった!?」
一抹の不安に魔王の言葉を中断させた。
籠城にゲリラ……私たちは勇者であって兵士では無い。だから組織的な行動を強制される訳ではないのだけど、私たちの知る皆なら魔族の大群が接近して来たのならば、一番最初に矢面に立つ筈。
だけどそれをしなかった。
他の所が制圧されるのを黙って見過ごし、それを利用してまで耐えさせ、最後の最後まで出て来なかったという事になる。その理由は解らない。
でも、それはつまり正常な指揮系統を持ち、拒む事が出来ない命令が下せたと言う事。
組織的な命令を下せる人物が居た事に他ならない。
全員に命令が出来るのは大賢者様唯一人、つまり最後までそこに居た事となる。なら、かの御人はいつ行方をくらました?
「ああ、我がゲリラの鎮圧に施設から眼を離した隙に、転移で何処かに消えたらしいな」
転移!? 大量の魔力を消費する転移は、人には物理的に習得も行使不可能の筈。
「どうやら数個の昌石と魔法陣を使ったのと、そこの娘らと同じ上位魔人との混成体。まぁ、奴は後天的だろうがな。……そこまでお膳立てが有れば、片道位の転移は充分可能だろう」
今まで涙を隠し俯いていたムーア、彼女は魔王の言葉を聞いて、発作の様に顔を上げた。
その目はまだ赤く染まりながら、驚愕の表情を浮かべて魔王を見る。
「それで大賢者様は何処に!?」
が、行方をくらましたとは既に聞いてはいて、他に聞くべき事が有る筈だが、聞かずにはいられなかった。
「あー、正直分らん。
魔法陣も使い捨てで焼き崩れていたし、昌石の力の欠片も残さず使い切った見たいだで、追跡もかけられなかった。
ゲリラ鎮圧の隙を突かれなけらば、結界を突き破る事は出来なかっただろうが……。一枚上手だったな。
既に迷宮か何処かに身を隠しているのだろう」
魔王は繰り返される質問に気にした風も無く、一つ一つ答えをくれる。その姿に私たちが先生と呼んだ人を思い出させるが、相手は魔王! と頭を振る。
「フム、大賢者の事は探させるが、まず見つからんだろうな。
……次の話に進んで良いか?」
ムーアの顔を伺う。聞きたい事が有りそうだが、後で良いと顔を振っている。確かに気になる事はあるが今は話を進めて貰おう。
「良いわ、続けて」
「既に楔の力を失った人の地は朽ち始め、このままでは、そう遠くない内に不毛の地へと姿を変える。
……楔を癒す方法は二つ。
百万のかそれに匹敵する魂を楔に喰らわせるか、巨大な魔力を常に喰らわせ続ける。
この二つだ。故に後者。その地の楔が癒える時間を稼ぐ為、逃げる者以外を転移でここへ強制的に連れ出し、恢復の時間をとらせて貰う、そしてそこに住まう人は新たに我が臣民に加わって貰った。」
「……貴方本当に魔王なの?」
全て真実だとしたら、とても人を陥れる事を常とする魔の者がする行動には見えない。
それどころか……
「我は魔王クリューエル・ラオだが……、まあいい。
さて、ここからが本題だ。」
魔王は取り敢えず大まかな説明は終わったとばかりに話を切った。
全て信じられない話しだらけだが、疑ったところで意味は無い。こんな大嘘吐く意味も無い。なら、全て真実かと言うと二つ返事で頷ける訳も無い。
そもそも判断する要素が決定的にかけている。故に相手の言葉を待つしかない。
「勇者セレナ。その仲間であるムーアとポーラ。
三人とも我が弟子にならんか?」
魔王は一言そう言った。