プロローグ 3
「マオ君!?」「なっ!?」
何の前触れも無く青年を丸呑みにした筒状の土色は、まるで柱が如く高々と吹き出で、その色をした噴火を思わせた。
そして、再生ビデオの巻き戻しの様に土の中へと戻って行き、不自然なまでの静けさだけが当たりに充満する。
あまりに急な出来事に、ケンタウルスと農夫、二人は絶句した。
僅かに緑が残る大地。その場には多種の虫や生物が存在している筈なのに、彼らは異変に気付いて鳴き声や僅かな音すら立てやしない。
静寂が辺りを支配した。
「なんだありゃぁ!!?
でっかいミミズが出て来たと思ったら、マオ君が!!
……そうだ! マオ君だ! 彼は無事なのか?アレに呑み込まれたみたいだけど死んでしまったのか?
逃げないと! イヤ、その前にマオ君を助けないと!」
静寂を破ったのは農夫。彼の叫びからケンタウルスは意識を戻した。
「ッ!
確認しに行くぜ。 しっかり掴まっててくれよ!」
その力強い足で大地を蹴るケンタウルス。
本当は農夫をこの場に残して行きたいところだが。たった今、現れた奴が『ヤツ』なら残していくのは絶対に危険。 自分の上が絶対に安全とは言えないがそれでもマシだと思い。農夫がしっかり掴むのを確認して、そのまま駆けだした。
「ケンさん! アイツはなんだったんだ!!?」
先程とは打って変って荒々しく駆ける中、必死にケンタウルスにしがみつく農夫、たった今姿を見せた巨大生物を尋ねるが。
必死に形相で駆るケンタウルスは、その質問を返す間無く、たった今出来た大穴。
青年を丸呑みにした奴が作ったと思われる大穴に辿りついていた。
真下に伸びる大穴。
それは底が見えない程に深く、見る者に、中に入れば帰って来れない奈落を連想させる。
「奴はワームって呼ばれる龍の出来そこないの魔物だ。……この穴と、さっき出て来た一部だけみても10㍍級を軽く越えている。
……ヤバいな。」
「ヤバいな! って、ケンさん早く逃げよう!!
マオ君は仕方いけど俺らがどうこう出来るモンじゃない。カルギュラ様に助けを呼ぼう」
翼を失くした龍。
そう呼ばれる程にワームの破壊力は高い。
ドラゴンと違いブレスや放出する類の魔力の行使は出来ないが、
牙は岩盤を砕く程に強固であり、それを支える筋肉は強靭で、人が作りし刃等全く通らない程に硬い。
そんな怪物が、地中を縦横無尽に動き回り、地表に出る時は魔力によって大地を緩めて、音や振動も無く飛び出て来る。
その脅威は地に足を着く生物なら逃げる事は出来ない。
だが、その脅威よりもケンタウルスは更なる問題に頭を悩ませていた。 たった今、呑み込まれた御方に心当たりが有ったからだ。だが、同時にその可能性はない。ここに居る筈がないと頭を振る。
「爺さん。奴は音と魔力を持つものに反応するから静かに頼む」
馬上に居る農夫は両手で口元を覆い、コクコクッと頷いた。それを確めケンタウルスは続ける。
「オレらじゃどうしようも無いから、逃げるのは賛成だ。
ただ、奴が何処かに行くのを待たんと、走ってる時、下からパクンだ」
言いながらケンタウルスは、今ここに居るのは自分と農夫。この二人で良かったと胸を撫でおろした。
もし魔力を持つ者が居たら、そいつ目がけてワームが飛び出して来るだろうからだ。
「だから、奴が居なくなるまでここで様子を見る」
その言葉に農夫は青い顔をしながらも頷いた時。
ワームが開けた大穴。
その穴から巨大な何かが噴き出でたのは同時だった。
「ひぃぃッ!?」
突如現れたその巨大な姿を見て驚きの悲鳴を上げるのも仕方ない箏だっただろう。
近くで見るそれは、天高く聳え立つ塔の様。
しかし、無機物のそれと違い、肉による脈動。そして頂点部である頭部が悲鳴を聞きつけてこちらに向けられていた。
乱杭に並び生き物が如く蠢く牙。
底の見えない暗黒に染まる口内。
そこから垂れ流れる腐臭を放つ息。
垂れる唾液は大地を焼き焦がし。
僅かに染まる紅は前の被害者のものか?
「ひぃあぁああああ!!」
その農夫の絶叫は仕方ないものだったかもしれない。
だが、その音を聞いたワームは早かった。
ケンタウルスと農夫、二人に向けその頭部を高速で叩きつけた。
「チッ!」
瞬時に身を翻すケンタウルス。その馬脚から生み出されるトルクは一瞬で数㍍の移動を可能にした。
物事にIF等無いが、もし、ケンタウルス……彼ら以外の種族なら、抉られた大地と一緒にワームに呑み込まれていた事だろう。
頭部を大地に喰い込ませ、胴体はアーチ状でワームはその動きを止めた。
イヤ、止めたのは一瞬だった。
蠕動。
ゴリボリ。グチャムチャ。
とワームが大地を咀嚼する音、それが辺りに響き渡る。
そう長く無い時間だっただろう。しかし、ゆっくり噛み砕く音はケンタウルスの脳髄に木霊する。
「くそっ!」
彼は、『喰われる』という原始的恐怖に背筋を震わせ、一目散に駆けだした。
来る時と違い荒々しく踏みならした。それは背後に乗る農夫にも相当な負荷がかかるだろうに、構わず走り抜ける。
何より農夫は最初の緊急回避の時、生まれたGに負けて気を失っている。ならば死なない程度の速度なら問題は無い。と更にスピード上げた。
――
来る時の倍近い速度で疾走するケンタウルス、ワームを地平線の彼方に置いて来た自信が有る。
しかし、彼は焦っていた。
1歩…1歩と、足を大地に着ける度に背筋を言い得ぬ恐怖が上り、心が揺らぐ。
この1歩は奴に居場所を知らしているのでは無いか?
次の1歩を踏む前に奴が飛び出して来るのではないか?
それとは逆にこの恐怖は杞憂で、
既に置いてけぼりにしているのではないのか?
違う獲物の所に行ったのではないか?
そんな事が頭を駆け巡る。
「ハァー、ハァー、ハァー」
既に十数㌔、人の数倍の体力を持つケンタウルス。いつもならこの倍の距離を全力で走った所で呼吸を乱す事等無いのだが、恐怖による精神の動きは彼を著しく消耗させていた。
「ハァ、ハァ、ハァ、フーー。
…ここまで来れば……」
流れる汗を腕で拭い、その速度を少しづつ落としていった。
悪寒ともつかない恐怖はまだ後頭部で燻ぶっているし、拭った汗は驚くほど冷たい。
まだ走れる。
だが、何処かで一息したかった。というのが彼の気持だ。
「ハァ……この辺りに魔法使いか魔術師が居れば良いのだが……」
地平線、見渡す限りに草と土の絶妙なコントラストが続く、野を眺めて一人ごちるが、彼の呟きは空気に融けて誰の耳にも届かない。
「フー!」
数分間速度を落としてみたが、ワームが迫る気配は欠片ほども無い
汗は引き、後頭部を支配する悪寒は留まる事が無いものの、相当引き離したのかもしれないと思い始めていた。
今のコンディションなら同じ速度でさっきの数倍は走れると、
馬脚に力を込めた瞬間。
彼らの種族。ケンタウロス種に劣化しつつも残った獣の本能か何かが、ともかく後頭部の悪寒が過去最大級の警鐘を鳴らした。
「ツッ!!!?」
タイミングが良かった。
馬脚に込めた力は余すことなく大地に伝わり、その場を荒々しくも強引に退いた。
そして、今まで彼の居た場所には、先程の焼き回しの様に聳え立つ肉の塔。
ワームが生えていた。
「ツッ…ッ!!?」
確かにワ-ムの攻撃を回避したケンタウルス、だが同時に激痛が走る、痛みに奥歯を噛みしめる彼はその痛みの元を視界に入れて愕然とすした。
噴き出たワームに引っかけたであろう後ろ脚は、くっついているのが不自然なほどに折れ曲がり歪んでいる。それは例え治ったとしても、二度と走る事は愚か歩く事すら困難な程致命的な怪我だという事を冷静に分析していた。
そもそも、この怪我では今この場を逃げる事すら不可能だという事も理解していた。
理解して一つの事を諦めた。
そしてケンタウルスをワームの影が覆い。
その先に有る口しかない頭部は獲物へと向けられ、叩きつける様に落とされた。
迫るワ-ム、それを下から眺めていると、まるで隕石が迫ってくる様に見え、回避出来ない死の足音が聞こえた。
そのおかげなのだろう。極限までの死のストレスは精神を過敏にする。
落ちて来るワーム。
それに伴う風抉る轟音。
そして、僅かでも可能性を捜す自分。
その全てがスローモーションに感じれた。
しかし、遅くなった世界でケンタウルスは絶望した。どれだけ体に鞭を打とうと自分の壊れた後ろ脚は言う事を聞かない。
折角の火事場力もこうなっては死の瞬間を限界まで見せつける為に他ならない。
舌打。
そして、ワームが届く数瞬前に、彼は、生き残れるか不明だが、共の死ぬ事は無いと、背で意識を失った農夫を放り投げ、最後の時に目を瞑った。
瞼の裏に映るは走馬灯。
同族にも追われた仲間。仲間と駆る刻。助けられ庇護を受けた日々から変る日々。その全てか流れる様に再生させられた。
そして、最後に映るは差し伸べられた温かい手。
自然とその手の主の名を呟いていた。
「……クリュ-エル様……」