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追放令嬢の賄い飯が美味すぎて魔王陛下が厨房に住みつきました  作者: 渚月(なづき)


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第七話 レシピ帳に残された嘘

ナディアの手紙は、震える文字で書かれていた。

一文字ずつ、命を削るように。


「局長が証拠を偽造しています。ミレーユ先輩が使ったとされる毒の瓶——あれは局長が事前に用意したものです。私はその瓶を、局長の私室で見ました」


「瓶の裏に、ベルモン家の紋章が刻まれています。公爵令嬢シャルロットが提供したものだと思います」


「レシピ帳も偽造されています。先輩のレシピ帳の写しを、局長が書き換えて『毒の調合法が書かれていた』という証拠にしています。本物の写しは、私が持っています」


手紙を読み終えた。

手が冷たい。


ゼルドリスに報告した。


「偽造された証拠。公爵令嬢の関与。レシピ帳の書き換え」


ゼルドリスは黙って聞いていた。


「この手紙だけでは証拠として弱い。だが——」


「だが?」


「ナディアが持っているレシピ帳の写しが本物であることを証明できれば、偽造が明らかになる」


「どうやって」


「お前のレシピ帳には、特徴がある。料理の手順だけでなく、食べた人の感想を書き添える癖。偽造された帳面にはそれがないはずだ」


(……そんなところまで見ていたのか。)


「ゼルドリス様。なぜ私のレシピ帳の癖を知っているんですか」


「厨房の棚に置いてあった。読んだ」


「読んだんですか」


「……夜中に、一度だけ」


耳が赤い。すごく赤い。


「何を読んだんですか」


「全部」


(……全部。)


追及したいのを堪えて、話を戻した。


「ナディアを安全に魔王城に呼ぶことはできますか」


「可能だ。だが、宮廷から脱出するのは危険がある。局長がナディアの動きを監視している可能性がある」


「リスクを冒させるわけにはいきません」


「ならば、別の手がある」


ゼルドリスが提案した計画は、単純だった。


魔王として正式に、ヴァルディア宮廷に料理人の派遣を要請する。

「魔王城の食事改善のため、宮廷の見習い料理人を一名派遣してほしい」と。


王太子の和平路線を利用すれば、拒否はできない。


「派遣される見習いをナディアに指定すればいい」


「局長が妨害する可能性は」


「王太子の名前で要請すれば、局長の一存では拒否できない。そして——」


ゼルドリスの赤い瞳が光った。


「王太子は、お前の料理の味を知っている。あの男の良心に賭ける」



三日後。

ナディアが魔王城にやってきた。


黒髪のショートカットに、両手に火傷の跡。真剣な目。


「ミレーユ先輩」


「ナディア。よく来てくれたわ」


「先輩のレシピ帳の写しです。ずっと持っていました」


差し出された帳面を開く。


ナディアの手は震えていた。宮廷から持ち出すのにどれだけの覚悟が必要だったか。


「大丈夫? 怪我はない?」


「大丈夫です。局長には、魔王城への派遣を志願したと伝えてあります。疑われてはいません」


「よかった」


帳面を開く。

私の字。私の癖。料理の手順の横に、小さく書かれた感想。


「三日目の煮込み——ヘルガさんが二回おかわりした。嬉しい」

「リュカくんの尻尾が一番揺れたのはプリンの日」


……これは、魔王城での記録だ。


「ナディア。これは私が魔王城で書いたものよ。宮廷時代のものは?」


「もう一冊あります」


ナディアがもう一冊取り出した。こちらは古い革表紙。


私の字。私の癖。料理の手順の横に、小さく書かれた感想。


「王太子殿下——初めて美味しいと言ってくださった。嬉しい。」


涙が出そうになった。


「ナディア。これが本物だという証拠は」


「先輩の字で書かれた日付と、宮廷の食材納品記録を照合すれば証明できます。偽造されたレシピ帳の日付には、その日に存在しない食材が書かれています」


「存在しない食材?」


「はい。先輩が追放される一ヶ月前の日付で、春トリュフを使ったレシピが書かれています。でもその日の納品記録に春トリュフはありません。季節が違うからです」


ナディアの調査は緻密だった。

この子は、私がいなくなった後もずっと、一人で真実を追いかけていたのだ。


「ナディア。あなた、危険な橋を渡ったわね」


「先輩が教えてくれたんです。料理は嘘をつかないって。レシピも同じです」


ゼルドリスが部屋に入ってきた。


「証拠は揃ったか」


「はい。レシピ帳の照合と、食材納品記録の不一致。これで偽造を証明できます」


「よし。次は——これを誰に届けるかだ」


「王太子です。あの人だけが、動ける立場にいる」


ゼルドリスは頷いた。


「魔王と王太子の会談を申し入れる。和平交渉の名目で」


「そこで証拠を提示するんですか」


「いや。その場では料理を出す。お前の料理を。それが、王太子の記憶を呼び覚ます」


「記憶を?」


「あの男は、お前の料理を食べたとき何かを思い出した顔をしていた。晩餐会でも同じだ。あの味が本物だと、あの男は知っている」


(……ゼルドリス様は、人の感情を読むのが上手い。)


「証拠はナディアから直接渡す。料理人から料理人へ。政治ではなく、真実として」


計画は動き始めた。


ゼルドリスが立ち上がった。


「ミレーユ。一つ確認する」


「はい」


「この計画が成功すれば、お前の冤罪は晴れる。宮廷に戻る道が開ける」


「はい」


「それを承知の上で聞く。——怖くはないか」


「怖いです。局長は追い詰められたら何をするか分かりません。ナディアが危険に晒される可能性もある」


「だが、やるのか」


「やります。怖いからやらないという選択肢は、もうありません」


ゼルドリスは私を見た。

赤い瞳に、何かが映っていた。


「お前は強い」


「強くはありません。ただ——守りたいものがあるだけです」


「守りたいもの?」


「私の料理を食べて笑ってくれる人たち。それを嘘で奪われたまま黙っているわけにはいかない」


ゼルドリスは何も言わなかった。

けれど、わずかに——本当にわずかに——口元が緩んだ。


初めて見る表情だった。


笑顔——とは呼べないかもしれない。

けれど、凍りついた湖面にひびが入るような、そんな変化。


「ゼルドリス様」


「何だ」


「笑ったほうがいいですよ。似合います」


「……笑ってない」


「笑ってました。ほんの少しだけ」


「気のせいだ」


耳が赤い。

気のせいではない。それは確信を持って言える。


その夜、厨房で仕込みをしていると、ゼルドリスが入ってきた。


「ミレーユ」


「はい」


「お前は宮廷に戻りたいか」


予想していなかった質問だった。


「……分かりません」


「分からない?」


「冤罪を晴らしたい気持ちはあります。でも——」


「でも?」


「ここの厨房が、好きなんです。リュカがおかわりをねだって、ヘルガさんが黙って食材を手配してくれて、ゼルドリス様が三杯おかわりしてくれて」


「三杯は——」


「いつも三杯です」


ゼルドリスは黙った。

耳が赤い。


「……四杯のときもある」


「知ってます」


沈黙。

けれど、気まずさはなかった。


ゼルドリスは背を向けた。


「戻らなくていい。ここにいろ」


「え?」


「冤罪は晴らす。だが——ここにいろ」


扉が閉まった。


私は鍋の前で、しばらく立ち尽くした。


あれは——命令だったのか。お願いだったのか。


どちらにしても、胸が温かかった。


会談の日が近づいている。

すべてが動き出す。


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