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追放令嬢の賄い飯が美味すぎて魔王陛下が厨房に住みつきました  作者: 渚月(なづき)


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第四話 宮廷の味と厨房の味

宮廷の味と厨房の味は、まるで別の言語だった。

私はそのことを、ヘルガが持ち帰った一枚の招待状で思い知ることになる。


「ヴァルディア王国主催の国際晩餐会。魔王領にも招待が来ている」


ヘルガが淡々と読み上げた。


「国際晩餐会……人間と魔族が同じテーブルにつくということですか」


「形式上はね。実際は政治的な牽制よ。ヴァルディアが和平を主導しているという見せかけのために、魔王領も呼ぶ」


「ゼルドリス様は出席されるんですか」


「出席する。そして——料理を一品、持参する慣例がある」


(……つまり、私が作るということ。)


「ミレーユ。あなたに任せたいのだけれど」


「私が作った料理が、ヴァルディアの宮廷で出されるんですか」


「そう。追放された場所に、料理だけが帰るのよ」


胸がざわついた。

あの宮廷に——オーギュスト局長がいる。シャルロット公爵令嬢がいる。

そして、王太子がいる。


「やります」


「即答ね」


「料理人ですから。作る場所は選びません。食べる人も選びません。でも——」


「でも?」


「美味しいものを作ります。言い訳のしようがないくらい」


ヘルガの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。



晩餐会に向けた試作が始まった。


問題は、何を作るかだ。

宮廷の格式に合わせるなら、伝統的な品が無難。

けれど——私が作りたいのは、そういう料理ではない。


「ゼルドリス様。一つ相談があるのですが」


執務室を訪ねると、ゼルドリスは書類の山に埋もれていた。魔王の仕事は意外と事務的だ。


「何だ」


「晩餐会の料理について。何か希望はありますか」


「ない」


「……本当に?」


「お前の作るものなら、何でもいい」


無表情のまま、そう言った。

けれど、万年筆を持つ手がほんの少し止まっていた。


「では、一つだけ教えてください。ゼルドリス様が生まれて一番美味しかったものは何ですか」


長い沈黙。


「……覚えていない」


「覚えていない?」


「魔族に味覚はある。だが食事は生存のための行為でしかなかった。美味しいという感覚を知ったのは——」


言葉が途切れた。


「知ったのは?」


「お前のスープが初めてだ」


静かな声だった。

淡々と事実を述べるような。


けれど、耳がまた赤くなっている。


「……分かりました。では、あのスープを進化させましょう」


「進化?」


「野営のスープを、晩餐会に出せる一皿にします。素材の味を活かした、飾らない料理を」


ゼルドリスは私を見た。

赤い瞳に、何かが灯ったように見えた。


「……任せる」


試作の日々が始まった。


リュカが味見役に立候補し、毎日厨房に入り浸るようになった。


「ミレーユさん、これ美味しい! でもさっきのほうが好き!」


「どこが違った?」


「んー……さっきのほうが、ほわって来ました」


「ほわっと」


「はい。胸のあたりが、ほわって」


リュカの感想は専門的ではない。

けれど、その「ほわっと」を追いかけることが、料理人にとっては一番大事だ。


試作を重ねるうちに、ヘルガが上等な食材を手配してくれるようになった。

魔界の市場でしか手に入らない黒トリュフ。火山灰で育った塩の結晶。深海の海藻から取った出汁。


「ヘルガさん、これは高級品では」


「魔王の名前で出す料理が貧相では困る。それだけよ」


彼女なりの応援だと分かった。


そして試作七日目。

完成した一皿は、白いスープの上に黒トリュフの薄切りを浮かべたものだった。


シンプル。けれど、一口で分かる。

素材の力と、それを引き出す技術の両方が。


ゼルドリスに試食を頼んだ。


一口。

二口。

三口。

器が空になった。


おかわりを注いだ。また空になった。

三杯目を注ごうとしたら、ゼルドリスが手で制した。


「……」


器を置いた。

長い沈黙。


リュカが厨房の隅で固唾を飲んでいる。


「ミレーユさん……ゼルドリス様、怒ってます?」


「静かに」


ゼルドリスが目を閉じた。味を反芻しているのだと分かった。

魔王の味覚は鋭い。一口ごとに素材の層を読み解いている。


やがて目を開けた。


「まだ足りない」


「え?」


「味ではない。この料理に、まだ何か足りない」


「何が足りないんですか」


「分からん。だが——お前が宮廷にいた頃の料理には、あったもの」


私は手を止めた。


ゼルドリスは立ち上がり、扉に向かった。


「思い出せ。お前があの宮廷で、何を込めて作っていたかを」


扉が閉まった。


厨房に一人残されて、私は鍋の前に立ち尽くした。


ゼルドリスの言葉が、頭の中で反響している。

「お前が宮廷にいた頃の料理には、あったもの」


リュカが恐る恐る顔を出した。


「ミレーユさん……大丈夫ですか」


「ええ。ちょっと考え事をしていただけ」


「ゼルドリス様、怒ってたんじゃないんですか」


「怒ってはいないわ。ただ——正直なことを言ってくれたの」


「足りないって言ってたけど……僕はすっごく美味しかったですよ」


「ありがとう、リュカくん。でも、ゼルドリス様が言っているのは味のことじゃないの」


「味じゃなかったら、何が足りないんですか」


良い質問だった。

私自身がそれを知りたい。


「たぶん——気持ち、かな」


「気持ち?」


「料理には、技術と素材以外にもう一つ、大事なものがあるの。それを私は——見失っているのかもしれない」


リュカは首を傾げた。

けれど、何か言いたそうにして、結局黙った。


代わりに、黙って隣に座った。

温かい体温が、少しだけ気持ちを楽にしてくれた。


「リュカくん」


「はい」


「あなたがいてくれて、助かるわ」


尻尾がぱたぱたと揺れた。


翌日も試作を続けた。

ヘルガが調達してくれた深海の海藻で出汁を取り、根菜の甘みと合わせてみた。


スープの色が、少し金色がかった。

味見する。美味しい。けれど——何かが足りない。


リュカに食べてもらった。


「美味しいです! でも昨日の方が好きでした」


「どう違う?」


「昨日のは、ミレーユさんが楽しそうに作ってました。今日のは、難しい顔で作ってた」


(……見られていたのか。)


料理人の表情が味に影響する。

師匠もそう言っていた。楽しんで作った料理と、悩みながら作った料理は、同じレシピでも違う味になる。


科学的な根拠はないかもしれない。

けれど、リュカの舌がそう言うなら——きっと本当だ。


「僕、ずっとここにいますよ。ミレーユさんの料理が食べられるなら」


(……この子のために作りたい。そう思える。)


ふと気づいた。

それだ。「誰かのために作りたい」という気持ち。


宮廷にいた頃、私は王太子のために料理を作っていた。

初めて「美味しい」と言ってもらえたとき、胸が弾んだ。

あの気持ちが、料理に宿っていたのだ。


追放されてから、私は「証明するため」に料理をしていた。

自分の腕を見せるため。冤罪を晴らすため。

それは間違いではないけれど——足りない。


宮廷にいた頃の料理に、あったもの。

技術でも素材でもない何か。


(……何だろう。私は、あの頃、何を考えて料理をしていた?)


思い出せない。

いや——思い出したくない。


あの厨房での記憶は、追放の痛みと結びついている。


それでも、ゼルドリスの言葉が引っかかって離れない。


晩餐会まで、あと三日。


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