病葉楓 その3
「おーい、楓。そろそろ飯にしよう」
「……んぁ、ふぁい」
台所から襖と廊下を隔てて私を呼ぶ、少しくぐもったおじいちゃんの声で目を覚ますと、ここに着いたときのぎらついた初夏の日差しは、もう幾分か陰りを見せていた。柱にかけられた時計を見ると、時刻は18時を少し過ぎた頃。普段ならまだ明るい時刻だったので不思議に思ったけれど、よくよく考えてみるとこの家は西に山を背負っているので、西日が遮られていることに思い至った。関西の平野部からやってきた私にとってはなんだか新鮮な感覚だ。
「ほら、楓。いつまでも寝ぼけとらんと、さっさと起きて、料理を運ぶの手伝わんと」
「んー、わかった」
母に急かされた私は、緩慢な動作で起き上がると、母に続いて居間を出る。そのまま、台所に向かおうとしたところ「そうや、その前に、自分の荷物を部屋に運んできぃ」と思い出したように母が言った。
「わかった、荷物は離れの部屋に運ぶんだよね?」
「そうそう、早う運んで、こっちも手伝うて」
「はーい」
私は踵を返して玄関に向かうと、最後に見たときと寸分違わぬ形で放置されていたボストンバッグを持ち上げる。一眠りして体力が回復したのか、バッグはここへ運んだときよりも、なんだか軽い気がした。
バッグを持った私は、離れへ向かう渡り廊下を目指して廊下を突き当たりまで進む。途中、台所の脇を通ると、揚げ物をした油のよい香りが鼻腔をくすぐり、腹の虫が動き出すのが自分でもわかった。晩御飯への期待に胸を膨らませた私は、先ほどよりも心持ち足早に廊下を進んだ。
廊下の突き当たりの壁の前で、右に曲がるとそこから一直線に離れへ向かう渡り廊下が延びている。”廊下”とは言っても、そこは板張りの廊下がそのまま繋がっているわけではなく、庭に建てた柱と屋根が母屋から離れの入り口まで続いているだけなので、一度土足で庭に降りないといけない。
バッグを一旦廊下に置いて、渡り廊下に繋がる木戸を開けると、以前ここ来たときと同じようにゴム製の健康サンダルが1足、縁側の脇に置かれていた。成人男性でも履けるぶかぶかのサンダルに足を入れて庭に降り立ち、再びボストンバッグを持つと、その重さのせいで、健康サンダルについたイボイボが、不健康な私の足裏を容赦なく責め立てた。
「あ痛たたたたたたたた!?」
突き刺すような痛みに悲鳴を上げながら渡り廊下を駆け抜け、離れの縁側にたどり着いた瞬間、私は脱ぎ捨てるように健康サンダルを脱ぐとそこに座り込んだ。斑に赤くなった足裏を覗き込んで「ひーひー!」と喘ぐ私が、再び立ち上がるまでには、それから1分ほどの時間を要した。
「うう……まだ足に違和感が……」
足の痛みにぼやきながらも、なんとか立ち上がった私は、離れの入り口の木戸を開け放つ。内部は、母屋の居間と同じで12畳ほどの広さがあるが、床の間や天袋のスペースは代わりに押し入れになっている。こちらも伝統的な木造建築なのだが、その内装は母屋よりも全体的に新しい。母屋を建てた何代か後に、ここに住む家族の人数が増えて、子供部屋として離れを増築したからだ。
かつては、多くの子供たちの成長を見守ってきた離れだったが、18歳で進学のために上京した母を最後に、ここで暮らす子供はいなくなった。それから、もう20年以上、この離れは来客があったときにしか使われていない。
それでも、長年閉めきっていた部屋特有の埃っぽさを感じることなく、部屋の隅々まで手入れが行き届いているところから、使わない部屋でも普段から掃除を欠かさない、おじいちゃんのまめな性格が窺えた。
とりあえず、お母さんに怒られないように、荷物を置いたらすぐに戻らないと。
流石に、何度も雷を落とされるのは心に堪えるので、荷物を部屋の真ん中辺りに置くと私は足早に離れを後にした。
それでも、健康サンダルのダメージに悶えていた時間が災いして、台所に向かったときには、既に配膳は終わっていて、結局、私は母からありがたいお小言と軽いげんこつを頂戴することになったのだった。
※※※※
「いただきまーす」
「はい、どうぞ。たくさん食べぇよ」
健康サンダルによる足の痛みが引いたのもそこそこに、今度はげんこつによる頭の痛みを抱えた私は、その痛みと引き換えに準備されていた夕食をいただくことになった。
居間のちゃぶ台の上には、様々な料理が並んでいて、そこには先ほど廊下で嗅いだ香りの正体である夏野菜の天ぷらも混ざっていた。病気になってからというもの、食が細っていたので、揚げ物は食べられるか少し不安だったけれど、あっさりとした野菜の天ぷらなら問題なく食べられそうだ。
オクラやピーマン、枝豆とトウモロコシのかき揚げ、プチトマトといった彩り豊かな天ぷらが並ぶなか、私が手を伸ばしたのは茄子の天ぷらだった。
大根おろしを溶かした天汁に天ぷらを軽く浸し、そのまま口に運ぶ。
「わっ、甘い!」
揚げたての衣のサクリとした食感もさることながら、それ以上にその中から飛び出した野菜の甘さに驚いて、思わず声が出た。隣の母も「ほんとに甘いねぇ」と感嘆の声を漏らしている。そんな私たちを眺めておじいちゃんは嬉しそうに目を細める。
「そりゃあよかった。儂も、畑をいじり始めてからだいぶ経つけん、ええ味になる水や肥料の具合とかも分かるようになってきとるんよ」
「へー! この野菜おじいちゃんが作ってるんだ!」
「おう、林業の方の仕事が少のうなってきたけんね、その分、最近は畑いじりに力入れとるんよ」
本業の農家も顔負けの野菜が、まさかおじいちゃんの手によるものだとは思ってもみなかった私がしきりに驚いていると、おじいちゃんはますます満足そうに笑う。
「隠居の手慰みに始めた野菜やったけど、楓や梢に喜んでもらえてよかったわ」
「おじいちゃん、ありがとう! ……そうだ、ここに住んでる間は、私も畑の手伝いするよ」
天ぷらを口に運びながら、おじいちゃんの反応を見ているうちに、私の口からは自然と畑の手伝いの言葉がこぼれていた。
私がお客様でいられるのは今日だけなので、それじゃあ明日からこの家の一員として何をしようかと考えたときに、自分が食べるものを確保することくらいの手伝いはしなければならないと思ったのだ。
この申し出に、おじいちゃんは「ほうかほうか」と頷いて「なら明日は村の案内がてら、一緒に畑も見にいくか」と提案してくれた。
「はーい」
「三日坊主にならんように、ちゃんと働きぃや」
「わかってまーす」
いつも小言で釘を刺してくる母も、私の方から言い出したことなので、声のトーンはいつもより幾分か柔らかかった。
「よーし、明日から働く分、今日は一杯食べるぞー」
「おう、どんどん食いな」
畑仕事は基本的に肉体労働だ。明日からのことを考えれば、今日はしっかりご飯を食べて鋭気を養わなければならない。そう考えた私は、ちゃぶ台に並んだご飯を次々に口へ運んでいく。
しかし、そんな私を不幸が襲った。
「……ふぐっ!? ぐむむむむ……」
久しぶりに大量の食事を掻き込んだせいか、自分が食べる速度を見誤った私の喉に、ご飯がつっかえてしまう。喉から食道にかけての閉塞感に、目を白黒させて胸をどんどんと叩いていると、こちらに呆れた視線を送る母と目があった。
「ちょっともう、最近はあんまり食べてないのに、急にがっつくからそうなるんよ。ほら、早う水飲んで流し込みぃ」
「んんん!」
声にならない返事をしながら、母が差し出したコップを手に取ると、その中に満たされた水を一息に口へと流し込む。
その水が、喉を駆け抜けた瞬間、電流が走ったような衝撃が私の身体を駆け巡った。
それは清冽な、あまりにも清冽な水だった。今まで私が飲んでいた水は、本当にこれと同じ水だったのだろうか。そう思うほどに、この水は美味しかった。
スポーツドリンクのキャッチコピーで「身体が求める」というような表現が使われることがあるが、この水はそれ以上だ。求めるのではなく、元から私の身体の一部であったかのように、五臓六腑へ染み渡っていく。
いつの間にか喉の詰まりは取れていたが、そんなことよりも、未だ衝撃から覚めやらぬ私は、手の中で空になったコップを半ば呆然と見つめていた。
「おい、大丈夫か楓。喉に詰まったもんは取れたか」
水に気を取られて、上の空だった私を心配する、おじいちゃんの声で私は我に返った。慌てて「あ、うん、もう平気だよ」と、取り繕った返事をすると、おじいちゃんはほっと胸を撫で下ろした。
おじいちゃんに心配をかけたことは申し訳なかったけれど、それよりも、私にとっては今飲んだ水のことが気になった。遠慮することも特にないので、私はコップをちゃぶ台の上に置くと、素直に水のことについて尋ねてみた。
「それにしても、この水、本当に美味しいね。向こうの家の水と全然違うよ」
「あ~、ここらの水は全部、地下水の湧き水から取っとるけん、都会の消毒された水とは、そりゃ比べもんにならんわ」
「へー、そうなんだ」
確かに、言われてみると先ほどの水からは都会の水にありがちなカルキ臭さのような匂いがなかった。正に、自然にある水そのものを味わっている、そんな印象の水だった。
だから、さっきは身体の中に入って当然だと思ったのかな。
確かに、余計な雑味が無いだけ、すんなりと身体に入ってくるのは間違ったことじゃない。
しかし、それなら他所で採れたミネラルウォーターにも同じことがいえるはずだ。Evian、Contrex、Volvic、その他様々なミネラルウォーターを口にしてきたことはある。でも、この水を飲んだときの衝撃は、今だかつて覚えたことがない感覚だった。
……やっぱり違う。この感覚の正体は一体――
「ほら、また喉を詰まらせんようにコップに水入れとき」
「――ありがとう」
考えがまとまる前に、おじいちゃんが薬缶をこちらに差し出す。中にはあの水が入っているのだろう。
薬缶を受け取り再びコップに注ぐ。見た目は何の変哲もない水で匂いもない。水を口に含み舌の上で転がしてみるが、特に変わった味もしない。でも、一度嚥下すると、やはりその水は、"飲む"というよりも"入る"という表現が自然な感じで、私の体内に取り込まれていく。
それは、不思議ではあるものの、決して不快なものではなく、むしろ欠けていたパズルのピースがはまるような、心地よさすら感じるものだった。
気がつくと、コップの水は再び空になっていた。
「それにしても、こんなに水が美味しいなんて、今までここに来たときには気付いてなかったよ」
「そりゃ、あんたがもっと小さい頃に里帰りしたときは、皆に可愛がられてジュースばっか飲ませてもろうてたからね」
「た、たしかに……」
母の言うとおり、子供の頃、この家に里帰りしたときにはいつも、お中元でもらうような缶ジュースをもらって喜んでいた記憶が、おぼろげながら頭の中に浮かんできた。であるなら、私が水の味を知らないのも当然の話だ。
……それなら、この水が元から私の一部だったような感覚は何だろう。
だからこそ、私の頭は更に混乱した。この水が元から私の一部だったというのなら、今までの人生の中で、私はこの水にどこかで出会っているはずだ。
いや、出会うだけでは足りない。私はこの水を身体に入れたことがある。そうでなければ、身体に空いた穴を水が埋めて元通りになるような、この感覚に説明がつかない。
もちろん、料理などにも同じ水を使っているのだから、そういった意味では、以前里帰りしたときにこの水を体内に入れたことはあるだろう。でも、調理に使った水は、どうしても他の素材による雑味が混ざる。そうなると、どうやらあの感覚は失われてしまうらしい。実際、同じ水で育った野菜を使った天ぷらや、同じ水で炊いたご飯を食べても、私は何も感じなかった。
大切なのは、この水を純粋に水として味わうこと。そして、私は間違いなく、以前にあの水をどこかで身体に入れたことがあるという事実だ。
でも、それじゃあ私は、いつ、どこで、この水を飲んだんだろう。
答えを与えてくれる人がいない私の問いは、水とは違って、いつまで経っても腑に落ちることはなかった。あれだけ美味しかった天ぷらも、今では舌の上を滑り落ちていくように、何だか味気なく感じてしまうのだった。
※※※※
今になって思い返せば、”私”と”水”を巡る一夏の幻想は、このときから始まったのかもしれない。
”かもしれない”と断定を避けたのは、私自身が、一体いつから自この幻想に取り込まれていたのか、判断がつかないからだ。
それは、居間に横になって水の滴る音を聞いたときからかもしれないし、車内で母の様子がおかしかったときからかもしれない。ともすれば、そのときですら、既に私は幻想の中にいて、事の始まりは、もしかすると、私がまだ幼かった頃、あるいは、私が生まれる前にまで遡るのかもしれない。
でも、それは最早どうでもいいことだ。
器から一度溢れた水は、決して元に戻ることはないのだから。