恋を読む~完璧王子の最愛~
お父様から婚約の話を聞かされた時、妹はティーカップを食卓に置いて尋ねた。
「どうしてお姉様なの?」
少し不服そうな顔をしている。
それも当然な話だ。
私たちは双子で、同じ顔で背も同じだが、性格は妹が活発で、私は家に閉じこもりがち。
妹はお茶会にも参加して社交界で活躍し、私は家で本を読んでいることが多い。
華やかな服が好きな妹、地味な服が好きな私。
二人を並べてどちらを嫁に選ぶかと問われたら、普通なら妹を選ぶだろう。
私たちは普段仲が良かったので、相手が普通の人なら妹も、不満は抱かなかったに違いない。
でも、私を指名したのはアルヴェリオ王太子殿下だった。
整った顔に美しい銀の髪、深いブルーの瞳、文武両道で努力家──そんな、完璧王子と渾名されるアルヴェリオ王太子がなぜ私を選ぶのか。
それは私にも全くわからない。
だって、会ったのはたったの一度だけ──それも一月ほど前の、花嫁候補を集めた舞踏会で、ちらっと顔を見ただけだ。
「お姉様は舞踏会で、アルヴェリオ王太子殿下に近づきもしなかったでしょう?」
妹は不思議そうに言う。
王太子は、舞踏会で各家の令嬢たちと踊り、そつなく話していた。完璧なダンス、完璧な会話、完璧な笑顔。
これまで一度も声を荒らげたことのない人で、陳情にも真摯に耳を傾け、親身になって応えてくれるので、臣下にも慕われていると聞く。
「そうよね」
私も不思議で仕方がない。
どうしても一緒に来て欲しいと妹に頼まれて、私は渋々参加したのだ。
妹は舞踏会を楽しんでいたが、私は踊らずにずっと壁際に座っていた。
妹が華麗に踊る姿を見て拍手し、妹が手を振る姿に微笑んで、会場にあるめったに口にできないような珍しいお菓子を食べ、妹にも勧めて、お喋りしただけだ。
妹は、引っ込み思案の私を知人に紹介してくれた。
いろんな人と話せて楽しかったので、ロクサーヌには本当に感謝している。多分妹は、私にもっと社交的になって欲しかったのだろう。
「ロクサーヌと間違えたのではないかしら?」
と、私は妹に言った。
「双子だものね」
「私もそう申し上げたのだが、エルフィナで間違いないとのことだ」
お父様は困った顔で言う。
私に王太子妃──いずれは王妃になるような立場が務まるわけがないと思っているのだろう。
「我がドレヴォン公爵家はルヴァンティア王家の流れを汲む由緒正しい家柄だ。家族関係も王家では全て調査済みで、間違いなど有り得ないと言われた」
「お断りできませんか?」
私の言葉に、妹とお父様は全く同じタイミングで、全く同じ驚愕の表情を浮かべて振り返った。
「どうして!?」
「そんなことが、できるわけがないだろう!?」
親子だなぁと思いながら、私は落胆の溜め息を吐く。
「ですよねぇ……」
王家からの申し出を断れるわけがない。
でも、あんなに美しい容姿の、完璧でどこにも欠点がない王太子の妃なんて、私には無理だ。
釣り合いというものを考えていただきたい。
「断るだなどと。誰か好きな人でもいるのか?」
気遣わしげにお父様が尋ねてくる。
「まさか、お姉様に限って」
ロクサーヌは私の交流関係を全て把握しているので、そんな相手などいないことは把握済みだ。
でも、妹の知らない交流がたった一つだけある。
相手の顔を知らないので、交流と呼べるかどうかは微妙だけれど。
私は週に一度、王城近くの王立図書館に行って、借りた本を日陰の四阿で読む習慣がある。
するとどうしたわけか、広い道を挟んで向かい側にあるベンチに、必ず一人の騎士が昼寝をしているのだ。
夏は木陰で涼しいが、冬は寒いはず。
なのになぜか上着を脱いで頭から被り、ずっとそこに寝転んでいる。
(これを自意識過剰というのね、エルフィナ。あの方は私に会いに来られているのではなくて、王城を守る騎士で、あそこで休憩をとっておられるのよ)
私は首を振る。
「好きな人なんていませんわ。ただ、王太子妃になる自信がないだけです……」
「努力あるのみだ、エルフィナ」
「そうですわ、お姉様」
少しやけくそ気味に励ましてくれる二人だが。
一度も話したことのないアルヴェリオ王太子と私が、なぜ結婚する流れになったのだろうか。
「本当に、どうして私なのかしら? 納得がいかないわ」
「そうよねぇ?」
「うーむ」
考え込む私たちの横で、お母様だけが謎の笑みを浮かべながら、茶を嗜んでいた。
アルヴェリオ王太子との婚約式を数日後に控えた、ある晴れ渡った気持ち良い午後。
私は王立図書館で本を借りて、四阿で読んでいた。
付き添ってきた侍女は、少し離れた場所にあるカフェで休憩中だ。
近頃の流行はロマンス小説だったが、私は冒険ものが大好きで、その日は好きな作家の新刊を借り出した。
海辺の街から海賊に攫われて奴隷にされた少年が、商船に助けられ、数々の困難に直面しつつ成長して、再び街に帰ってくる。
平穏な街で、両親と暮らす少年。でも、海での生活が忘れられず、彼は再び旅立つ。
仲間の元へ還る少年を見届け、ほうっと息を吐いてページを閉じる。
前を向けば、ベンチに昼寝をする騎士の姿があった。
私がここに来る日は一定ではないし、時間もバラバラなのに、なぜ彼はいつもそこにいるのかしらと、ふと気になる。
いままでは置物か何かのように思っていたのに、突然そんなことを考えたのは、婚約の件があったからだろう。
(そんな。まさかね……?)
じっと見ていたら、その人物はムクリと起き上がった。
上着の下から出てきたのは、銀の髪に、整った顔をした、見覚えのある人物──アルヴェリオ王太子だ。
彼はばつの悪い表情を浮かべながら、ふらふらと四阿まで来て、私の前の席に座った。
「もしかして、気がついてしまったのでしょうか?」
とアルヴェリオ王太子は尋ねてきた。
私は驚きのあまり、彼をしばらく見つめるばかりだったが、ようやく言葉を振り絞った。
「……いえ……その……私がここにいる日時が、どうしてわかってしまうのかと、不思議に思っただけで」
「言い訳させてください」
真剣な顔でアルヴェリオ王太子は言った。
「初めの頃は、偶然だったのです。王城の騒々しさから逃れてあのベンチで、誰にも私だとはわからないように上着をかぶり、休憩することがありました。そこから、あなたが本を読んで泣いたり、笑ったりしている様子を眺めて、和んでおりました」
「見られていたのですか」
恥ずかしさに私は、顔が熱くなる。
「声をかけたいと思っていたのですが、どうしてもその勇気が出ませんでした」
王太子は俯いて、ションボリと言った。
「あなたの返却した本をその後で借りて読み、同じように感動したりもしました……おそらく感性が似ているのだと思います」
完璧王子と渾名される彼の、そんな表情を見て私は驚いた。
私は噂や他人の評価しか知らなかった。
だから、完璧な王子様に自分は見合わないと思っていた。
けれども完璧な人なんていない。
もしそう呼ばれている人がいるとしたら、それは一生懸命に努力をして、そうあろうとしているのだ……今目の前にいる、彼のように。
「何度目だったか、公爵夫人と一緒の姿を見かけて、ようやく貴女がドレヴォン公爵令嬢だとわかりました。それで夫人に無理を言って、貴女の予定を教えてくださるようにお願いをしたのです」
「そうだったのですね。それで謎が解けました」
お母様は知っていたのか。だから、あんな謎めいた微笑みを浮かべていたのだ。
「……私は一国の王太子として、安易に喜怒哀楽を見せてはいけないと言われて育ちました。でも、貴女が感動の涙を流したり、楽しそうに微笑んでいる姿を眺めていて、そこに幸せを感じました」
アルヴェリオ王太子はそっと私の方に手を伸ばした。
「后選びの場で見かけた時、こんな風に盗み見ていることを知られると嫌われると思って、怖くて声をかけることができなかったのです」
彼の両手が、私の手を包み込む。
泣き出しそうな表情で、彼は続けた
「でもどうしても、貴女と共に、嬉しかったり、悲しかったり、感動したりする気持ちを分かち合いたかった。自分を抑えるばかりではなく、一緒に幸せになってくれる人が欲しかったのです。それで、婚約者に貴女を指名しました……ご迷惑だったでしょうか?」
(……私などで良いのでしょうか?)
尋ねようとした言葉を、私は飲み込む。
私の手を包む王太子の手は、緊張からか、微かに震えていた。
彼の一生懸命さが、私の心を打つ。
人違いだと逃げることなく、真剣に受け止めなくてはならないと思った。
「私は、貴方がお昼寝をしていた姿しか知りません……ので」
彼の手をそっと握り返しながら、私は言った。
「これからは一緒に座って、お話をしていただけたら嬉しいです」
「ええ、……もちろん!」
王太子の泣き出しそうだった顔が一転、嬉しそうに綻んだ。
そうして私たちは、王太子の側近が呼びにくるまで、お互いの手を握り合いながら穏やかな時間を過ごした。
私の恋は始まったばかり……なのかどうか自分でもよくわからない。
けれどこれからは、アルヴェリオ王太子と二人で、数々の困難に直面する物語を分かち合っていくことになるのだろう──そう思った。
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