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カネザキ異世界相談所 〜現実から逃げた先で、私たちは幻想へと浸る〜  作者: しろおび
第1部 祈りの届かぬ幻想で、永遠に眠り続ける
3/12

第2話 観察者

「いらっしゃい、水嶋ミズシマハルカさん。俺は金崎、よろしくね?」


 名乗ってもいないのに名前を呼ばれた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 男――金崎は、にやにやとした笑みを浮かべたまま、こちらに向かって手招きをした。まるで旧友でも迎えるような態度だったが、私は一歩も動けなかった。足がすくんだというより、その無遠慮な笑顔に、本能的な警戒が勝ったのだ。


「……なんで、私の名前を知ってるんですか」


 できる限り冷静な声で問いかけたが、内心はざわついていた。男は答えず、椅子に腰を下ろすと、目線だけをこちらに向けたまま言った。


「警戒するのは当然だ。まあ、座ってよ。立ち話もなんだから」


 私は動かなかった。無言で応じる気にはなれなかった。だが逃げる気もなかった。ただ、次の一言を待っていた。


 金崎は、手元にあるマグカップをひと口すすってから言った。


「広告、見てくれたんだよね。“どんな相談でも承ります”ってやつ」


 私は黙ってうなずいた。


「クリックして、PDFで保存して、それを自宅のプリンタで印刷した。使ってるのはEPSONの古いやつで、ヘッドにちょっとズレが出てる。左端が薄くなってただろ?」


 ……一瞬、息が止まった。確かにその通りだった。印刷ムラが出るたびに舌打ちしていた。そんなことまで――なぜ。


「どうして……それを……」


「パソコン、だいぶ昔の機種だよね? ファイアウォール、更新止まってたから入るの簡単だったよ」


 その瞬間、背筋が凍った。


「……は?」


「いや、誤解しないでよ。盗み見が趣味ってわけじゃない。ただ、来る人が“本気”かどうか、事前に知っておきたいだけなんだ」


 金崎は悪びれた様子もなく続ける。彼の目は笑っているようでいて、どこか底が知れなかった。


「それに、相談所ってさ、基本的に怪しいって思われてる。だから、こっちもそれなりの準備は必要でね。履歴から興味を持った理由、検索ワード、何に引っかかったか――見ればだいたい想像がつく」


 私は口を開けかけて、何も言えなかった。プライバシーの侵害どころの話ではない。普通なら通報していた。でも、不思議と恐怖よりも「納得」が先に来ていた。なぜだろう。


「ちなみに、ここのビルの前に設置された防犯カメラ、通りを挟んで向かいのクリーニング店、駅前のロータリーも全部見てた。君が改札を出たあたりから、ずっと見てたよ」


「……」


「ストーカーだと思う? まあ、否定はしない。半分くらいはそんなもんだ。でもね、患者の心理を見るには、表情、歩き方、服装、目の動き――全部必要なんだ」


 金崎は指をパチンと鳴らし、自分のこめかみを軽く叩いた。


「俺の仕事は、“心を読む”こと。だから、まずは観察から始まる」


 私は唖然としていた。


 おかしい。完全におかしい。頭ではそう思っているのに、なぜか「逃げなきゃ」とは思わなかった。ただ、心の奥のどこかで――この男は、“本物”だと感じてしまった。


 それは希望だったのかもしれない。恐ろしさと同時に、ようやく現実が動き出すかもしれないという、淡い期待。狂っていると思いながらも、「この人なら、何かを知っているかもしれない」という直感だけが、私をここにつなぎ止めていた。


「それでも来たのは、自分の意思だろ?」


 問いかけではなかった。断定だ。私は知らず、拳を強く握っていた。


「……来るしかなかったんです」


 ようやく口にできた言葉だった。震えていた。寒さのせいではなかった。


「そう。それで十分」


 金崎は笑った。今度の笑顔には、どこか柔らかさがあった。だがその奥で何かが静かに燃えているような、奇妙な熱も感じた。


「正直言うとね、人を観察するのは好きじゃない。疲れるし、罪悪感もある。でも、誰かを助けるには、その人がどうやって壊れていったのかを知らなきゃいけない。だから、俺は目を逸らさないって決めてる」


 彼は言葉を選びながら語っていた。これは単なる思いつきじゃない。覚悟だった。観察という行為に、倫理ではなく責任を持っている人間の声だった。


「俺はね、面倒なやつなんだよ。患者の裏側まで全部見ようとするし、時には踏み込みすぎて嫌われる。けど、それで目を覚ますやつもいる。だからやめられない」


 私は気づけば、ソファに腰を下ろしていた。身体が重かった。さっきまで張り詰めていた緊張が、少しだけほどけたのかもしれない。


「さて、君の話を聞こうか」


 金崎が言う。


 言葉が喉元までこみ上げてきた。けれど、すぐには出てこなかった。あまりにも長い間、誰にも話せなかったことだったから。


 こんな話をして、笑われるんじゃないか。突き放されるんじゃないか。もう手遅れだと、言われるんじゃないか――


 けれど、目の前の男は、そういう言葉を吐く人間には見えなかった。


 私は、自分の中にずっと沈んでいたものを、ようやく掬い上げるようにして口を開いた。


「弟が……三年前から目を覚まさないんです」


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