「特異存在管理局(前編)」
——組織の名は、《S.E.I.D.(特異存在管理局)》
表向きは公安に属する特別監査機関。だが、その実態は「超常的能力を持つ存在」の監視・管理・実験・処分を秘密裏に担う異端の機関だった。
そして、その中核にあるのが、コード:ELYSIUM。
篠原直哉は今、その禁忌に触れようとしていた。
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早朝のS.E.I.D.本部。地下5階のセキュリティゲートを通過するのは、篠原と伊吹の2人だけだった。
「ここから先は、完全に記録に残らない領域。監査対象すらいない。つまり、何があっても、なかったことにできる」
伊吹の声はいつになく静かで、冷たい。
「お前……こんな仕事を、どれだけ続けてきた?」
「7年。まあ、君と同じ頃だよ。君が公安で妹の事件に巻き込まれた頃、俺は既に処理側にいた」
重々しいドアが開くと、そこはまるで廃工場のような空間だった。だが、篠原の目が止まったのは、奥に並ぶ無数の冷却ポッドだった。
内部には——人間。
いや、「元・人間」と呼ぶべきか。いずれも意思のない、廃棄されたような肉体。
「これは……」
「実験に耐えられなかった個体群。能力を人工的に、開花させる試みの犠牲者さ」
伊吹はモニターを操作し、一つのファイルを開いた。
《個体記録:ASUKA-SHINOHARA》
そこにあったのは、かつて篠原が見たことのある、妹・美桜の写真。そして——
《適応率:83%。能力分類:予測干渉型。被験体管理番号:EL-μ09》
「やめろ……」
篠原が、声を押し殺して呻く。
「これは嘘だ……妹は巻き込まれたってだけじゃないのか……!」
「違う。彼女は、意図的に選ばれた。そして、途中まで成功した」
伊吹は続ける。
「だが、ある日突然——暴走が起きた。未来予測が、過負荷を起こし、自我を保てなくなった。その結果、暴走反応で研究施設が半壊し、彼女は死亡。公式記録は、誤爆による死亡とされた」
篠原の拳が震える。
それは怒りなのか、絶望なのか、それとも——まだ認めたくないという希望なのか。
「なら、なぜ今まで黙ってた?」
「生き残るためさ。知りすぎた者は、排除される。君も——すでにそのラインに立ってる」
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一方その頃、ユウカは別の場所にいた。
都内の廃モール。そこには、かつて彼女の仲間たちが、一時期潜伏していた痕跡があった。
壁に刻まれた名前。コードネーム。短いメッセージ。
《NEXT:S.E.I.D. ORIGINS》
「……始まりに戻る、ってわけ」
彼女は静かに呟き、手のひらをかざす。
次の標的は、S.E.I.D.本部そのもの。
そこにいるのは、まだ救える命か、それとも——既に取り戻せない失われた存在か。
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夜、篠原はS.E.I.D.本部の屋上に一人立っていた。
彼の中には、いまだ整理しきれない感情が渦巻いている。
真実を知った。その痛みも知った。
だが、それでも。
「俺は……止まらない」
そこに足音。
「一人で抱え込むには、荷が重すぎるよ」
現れたのは、実戦部隊の隊長・九条凌だ。無言のまま、タバコを取り出す。
「お前……もしかして、全部知ってたのか?」
「半分はな。でも俺は、黙ることが仕事だからな」
「どうして教えなかった」
「教えて何になる? 正義は死者を救わない。だが、生きてる奴を守る理由にはなる」
篠原は目を伏せる。だが、九条は微笑む。
「……あの女、ユウカだったか。あいつと、組む気か?」
「まだ、仲間になれるとは思ってない。でも……敵だとも、思えなくなった」
「なら、最後までその目で見届けろ。正義がどんなに醜くても、自分で選んだなら、それが真実だ」
そのとき、非常警報が鳴り響いた。
《地下セクター3にて侵入反応。識別不能。全戦闘班は待機せよ》
——始まった。
篠原は、駆け出す。
これは、すでに「他人事」ではない。
妹の、そして彼自身の「答え」を見つけるための戦いだ。