「能力者の痕跡(前編)」
午前九時。東京湾岸の一角にある《S.E.I.D.(特異存在管理局)》の分室——通称《第七隔離棟》には、静かな緊張が漂っていた。
コンクリートむき出しの簡素な会議室。モニターに映し出されたのは、前夜に発生した、第4の事件現場の記録映像だった。
「発生時刻は午後十一時三十四分。死者は一名。元S.E.I.D.協力技術者の今井浩二。死因は即死……またしても、爆発による衝撃波だが、現場には火薬も爆発物の反応もなし」
冷静な声で説明を行うのは技術局分析官、橘伊吹。白衣の下に防弾ベストを着込んだ異色の技官だ。
篠原直哉は、腕を組んだまま画面を睨んでいた。
「例の彼女の仕業で間違いないと?」
「信号ログに異常があります。現場周辺の監視カメラが、全て同時に瞬断した。しかも、わずか0.3秒のタイミングで、同一のノイズパターンが検出された。これは——」
「電磁干渉だな」
篠原が低く呟くと、伊吹が頷いた。
「正確には、自然界では観測されない人工的な波長変異。特殊な超能力者、あるいは……極めて限定的な装備が必要です」
モニターに切り替えられた映像の一枚。——その一瞬だけ、赤外線モードのフレームに、マント姿の人物が映っていた。
「ユウカ……」
夜の闇に紛れるシルエット。だが、篠原には確信があった。
銃撃戦を交えたあの夜、彼女が放った殺意と、同時に滲んでいた何か別の意志。
ただのテロリストでも、ただの復讐者でもない——もっと根深い理由がある。
「……この映像、局内にはまだ出回っていないな?」
「はい。Sクラスの関与が確定的なため、上層部に提出する前に一時保留を指示しました。篠原さん、あなたの判断を仰ぎたいとのことです」
伊吹が意味深な目線を送ってくる。篠原は眉を寄せた。
「どういうことだ?」
「——公安の一部が、ユウカの抹殺を独断で指示した可能性があります。まだ確証はありませんが、情報操作の痕跡がある」
思わず拳が握られた。
(動きが早い……このままじゃ、彼女は証拠ごと消される)
篠原の中で、捜査官としての倫理と、妹の死という私情が複雑に絡み合っていた。
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その夜、篠原は港区にある旧型監視タワーの一室へ向かった。公安の古い協力者——コードネーム《狐》との接触のためだ。
ガス灯のような照明が揺れる中、仮面をつけた細身の男が微笑む。
「久しぶりだな、シノハラ。で、例の女の話か?」
「ユウカ。彼女は元《Sクラス》の能力者だった。……だが、公式にはその記録は一切存在しない」
狐は酒を注ぎながら、口角を上げた。
「記録にないというのは、存在しなかったと同義だ。この国の情報処理はそういう仕組みだよ」
「つまり、上が彼女の存在を消したってことか」
「もっと正確に言うなら、S.E.I.D.内部のあるプロジェクトがな。コード名は……確か、《Elysium》だったか」
その名前を聞いた瞬間、篠原の目が鋭くなった。
「何を知っている?」
「さあな。ただ、お前の妹も……その辺りのデータ破棄対象に含まれていた可能性は高い」
篠原は沈黙したまま、テーブルに置かれたUSBを見つめた。
「中身は?」
「彼女の任務履歴と、それに関係した実験記録の断片。お前が望む真実のかけらだ。ただし、気をつけろ。これを開いた瞬間、お前も消される側に立つ」
そう言って、狐は立ち上がる。
「俺はもう行く。忠告はしたぞ、篠原。今ならまだ、戻れるんだからな」
篠原は何も言わなかった。ただ、USBをポケットに押し込み、夜の風に身を任せた。
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帰宅後、パソコンを起動し、伊吹の開発した暗号解析ツールを用いて、USBの中身を調べた。
ファイル名:【Case-F71:能力個体〈E-04〉——未来視(Precog)】
その対象者のコードネームは——《ユウカ》
(やはり、お前は《Elysium》にいた……)
篠原は画面を見つめながら、拳を握りしめた。
その背後では、誰かが静かにその様子を監視していたことに、彼はまだ気づいていなかった——