(後日談)「風はまだ、吹いている」
夕暮れのカフェ。
木製の扉にかけられた鈴が、小さくチリンと鳴った。
「……久しぶりだな」
その声に、カウンターの中の青年が顔を上げた。
篠原直哉。今は公安を離れ、小さな古書店兼カフェの店主として暮らしている。
「お前……まさか」
入口に立っていたのは、旅装をまとった女。
髪は短くなり、色も落ち着いていたが、彼女の瞳は変わらない。
「……ユウカ」
篠原が言った瞬間、彼女は口元をわずかに緩めた。
「その名前、まだ覚えてたんだ。ちょっと驚いた」
「忘れるわけないだろ。……いろんな意味で」
気まずい空気が、どこか心地よく流れる。
2年前、すべての真実を封印して、それぞれが選んだ終わらない選択のあと。
彼女は海外で傷ついた子どもたちのケアに尽くし、篠原は東京に留まり、二度と銃もバッジも手にしなかった。
「今日は……どうして?」
問いかけに、ユウカは一枚の写真を差し出した。
写っているのは、南米の都市で起きた能力暴走事件の現場。
「見ての通り。まだ終わってない。あのプロジェクトの残滓は、世界のあちこちに点在してる」
「……知ってたさ。でも、俺はもう関わらない」
そう言いながらも、篠原の目は写真から離れない。
同じような悲劇を、また誰かが止めなければならない。
今度は誰が?
「……なぁ、ユウカ。お前は戦い続けるのか?」
ユウカは目を伏せた。
「私じゃなきゃ、止められない時がある。私が、許せなかった過去のためにも」
沈黙のあと、篠原はゆっくり立ち上がった。
そして、奥の棚から、古びた黒いケースを取り出す。
中には——封印したはずの拳銃と、公安時代のバッジ。
「……次の一手くらい、付き合ってやってもいい。あとは、いつかじゃなく、今でしょ」
ユウカの瞳が、少しだけ潤んだ。
「……ありがとう、篠原」
「その代わり、アイスくらい奢れよ。高いやつな」
笑い合う2人の影が、夕陽に溶けていく。
世界のどこかでまた、誰かが選び、誰かが迷い、誰かが命をかけて戦っている。
——だがその日々の中で、確かに彼らはまだ、生きていた。