「終わらない選択」
篠原直哉は、地下のセーフハウスに一人で立っていた。
手には、金属製の筐体。政府中枢から持ち帰ったコード:ELYSIUMの全データが収められた暗号化メモリ。
それは、世界を変える力だった。
彼の妹・明日香を殺した真実。ユウカの過去を焼いた業火。数百人の名もなき被験体たちの、苦痛と叫びと祈り。
「本当に、俺の手に余るものだな……」
独白する声は、乾いていた。
「——公開しよう。すべて、洗いざらい」
そう言いかけた瞬間、頭の中で妹の声が聞こえた気がした。
『お兄ちゃん、それで……ほんとに、いいの?』
息が詰まった。
もしこの真実を世に出せば、秩序は崩壊し、何百万人という一般人が巻き添えになる可能性がある。
正義は、時に剣になる。
だが、誰かの正義は、誰かの地獄だ。
篠原は、拳を握った。
そして、静かに呟いた。
「……答えは、まだ先でいい」
彼は暗号デバイスを金庫に封印し、地下のコンクリートに鍵を埋め込んだ。
——真実は、今はまだ「終わらない選択」の中にある。
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数週間後。日本国外。
アジア某国、内戦地域に近い街。
スラム街の医療シェルターに、一人の女がいた。
白衣ではなく、軍用ジャケットを羽織ったまま、少女の足に包帯を巻いている。
「痛いの我慢できたら、アイスあげる」
「ほんと!?」
小さな嘘に、子どもは喜んだ。
それを見て、彼女は少しだけ微笑む。
ユウカは生きていた。
篠原には何も告げず、消息も絶って——この地で、別の名で、能力を封じたまま、ただ人を救っていた。
「名前、なんていうの?」
少女が聞くと、ユウカは空を見上げた。
「……さあ。忘れちゃった」
でも、心の奥では知っていた。
いつかまた、あの名で呼ばれる日が来ると。
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東京・西郊外。
かつてのS.E.I.D.のビルは、今や無人化された監視施設と化していた。
篠原直哉は、資料保管庫の前で立ち止まった。
ユウカの記録。妹の記録。全ての能力者たちの「存在証明」は、今もそこにある。
だが、彼はもう追いかけない。
真実を暴くことが、すべてではないと知ったからだ。
彼が歩むべき道は、きっとこれから見つけるものだ。
あの日、あの選択の続きにあるはずだから。
夜風が、髪を揺らす。
——これは、終わりではない。
誰かがまた、この世界の真実を問う時まで。