「真実の値段(前編)」
政府中枢区域、第八機密区画。
通常の市民どころか、国家の上級官僚ですら立ち入れない、電子的にも物理的にも存在しないとされた場所。
その深奥で、篠原直哉は密かに足を踏み入れていた。
「本当に……ここが、コード:ELYSIUMの中枢か」
身を潜めるようにして、彼は冷たい金属の通路を進んでいく。全身を覆うカモフラージュスーツは、伊吹が手製で仕上げたものだった。光学迷彩と遮音処理を兼ね備えたそれは、ほとんど忍者のように存在を消す。
『直哉、データリンクはまだ保ってる。奥の区画に入れば通信は遮断されるから、録画だけは止めないで。あと……気をつけて』
耳元のマイクから、伊吹の緊張した声が届く。
「了解。そっちも、バックアップ頼んだぞ」
彼の声は静かだが、腹の底では焦燥と怒りが渦巻いていた。
ユウカが命を賭して運んできた真実。ソウジが再び力を使ってまで繋いだ希望。
自分の妹が命を落とした、あの事件の真相。
全てはこの場所に通じていた。
——エリジウム計画。正式名称《Enhanced Lifeform Yield System: Integrated Unitary Model》。
篠原は見つけた。
巨大なカプセルが並ぶ部屋。冷却装置の音が鳴り響く。
そして、彼はそれを見た。
——ユウカとまったく同じ顔をした少女が、液体の中で眠っている。
「……クローン……か?」
篠原の脳裏に、凍りつくような理解が走った。
彼女は、ひとりじゃなかった。
いや、ユウカこそが「試作品」に過ぎなかったのかもしれない。
『篠原……今の映像記録した。信じられない。こんなものが、国内に……』
伊吹の声が震える。
「いや、もっとある。奥を調べる」
篠原はカプセルの並ぶ部屋を抜け、さらに奥へ。
そしてたどり着いた制御室で——
あの男と再会した。
「久しぶりだな、篠原直哉」
公安部の元上司・神林貴一
現在はS.E.I.D.中央監査官、そして能力者制圧計画の実行責任者——通称《ハルマゲドン派》の中心人物。
「……やはり、お前が」
「私が何をしたと言う? 国家を守るために、不要な因子を削除しているだけだ」
篠原の手が震える。
「妹を……消したのも、お前だな」
神林はわずかに目を伏せた。
「……君の妹は、制御できない異常因子だった。生かせば、数百人が死んでいた」
「勝手に決めるな!!」
篠原の叫びと同時に、銃口が火を噴く。
だが——銃弾は、神林の前で止まる。
音もなく現れた影が、それを受け止めていた。
「シグマ……!?」
神林の傍らに立つその兵士は、かつてユウカを殺しかけた増幅型の中でも最高強度の個体。
彼らが最も恐れていた、完成形の能力兵。
「君は真実を見たが、世界を変える資格はない」
神林の声は冷たい。
「選べ。君が黙って去るなら、命は保証しよう。ユウカも、施設も、なかったことにする。それが一番平和な終わり方だ」
篠原は、黙って彼を見つめた。
「——俺が黙れば、また誰かの妹が殺される」
その言葉と共に、篠原は起爆装置を起動する。
『伊吹、非常ルートを! 今すぐ!』
「なにっ——」
神林が言葉を失った時、床下の小型爆薬が次々と破裂し、通路を遮断していく。
「貴様……!」
「真実を守るためなら、地獄でも道連れにしてやる!」
激しい爆風が通路を吹き飛ばす。篠原は制御室から飛び出し、火花の中を走った。
その背中に、シグマが追いすがる。
逃げ場は、ただ一つ——中央冷却管。
全長約三百メートル、ほぼ垂直に落ちる脱出シャフト。
篠原は一瞬の躊躇もなく、身を投じた。