「目撃者のいない殺人(後編)」
銃声が空気を裂いた。
篠原は躊躇なく引き金を引いた。だが、弾丸は確かに命中したはずなのに、次の瞬間にはユウカの姿がズレていた。
(外した? いや、あれは……)
映像が遅延したかのような違和感。わずかに、時間が狂ったような感覚。照準と実体の間に齟齬が生まれていた。
「未来視か……!」
彼女の持つ異能は、戦闘中に「数秒先の未来を読む」ものだった。視るだけではない。視えた未来に沿って、身体が自然と動く。それが、元Sクラス兵士・ユウカの本領。
「本気で撃ち合いたいわけじゃないの。話をしに来ただけよ」
物陰に身を隠しながら、ユウカが言う。声は静かで、少しだけ疲れていた。
「3人。死んだわね」
「……お前がやったのか」
「ええ。でも、あの人たちは、民間人じゃない。あなたも、気づいているでしょう?」
その言葉に、篠原の脳裏に報告書の断片が浮かぶ。被害者3名。それぞれ異なる職業だが、共通していたのは——
(過去に《S.E.I.D.》の関連施設で技術職として働いていた記録)
つまり、表の顔とは別に、裏の職務があった人間たち。
「彼らは実験者だったのよ。私たちのような《特異存在》を、薬と器具で壊し続けた」
ユウカの目に、微かな怒りと、深い虚無が宿る。
「何もかも、もう遅いの。これはただの掃除」
「じゃあ……次は誰が殺される?」
ユウカは一瞬だけ目を伏せた。そして、答える代わりに篠原へ近づいた。
距離は10メートル。だが、彼女の動きは予測不能。射線を読まれれば意味はない。
「ねえ、篠原直哉。……あなたの妹。篠原明日香。彼女がなぜ死んだか、調べたことは?」
時が止まったように、篠原の全身が強張った。
その名を、今——口にされたことが、何よりも衝撃だった。
「お前……何を知っている……?」
「彼女も《プロジェクトELYSIUM》に関係していたの。名前こそ残されていないけど、記録の端には、彼女の存在が刻まれていた」
「ふざけるな……!」
拳銃の銃口がぶれる。感情が、訓練を凌駕した一瞬——
「その怒りを、もっと早くに抱いていれば……妹さんは、違う運命を歩めたかもね」
皮肉でも、嘲笑でもない。ただ事実を告げる口調だった。
ユウカはゆっくりと後ずさり、夜の闇に溶けていく。
「私たちは、記録に残らない存在。でも、だからこそ真実を残す義務があるのよ」
風が吹いた。黒いマントが揺れる。次の瞬間、ユウカの姿は完全に消えていた。
篠原は銃を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
心臓の鼓動だけが、耳の奥で爆発のように響いていた。
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その夜、篠原は一人、自宅の書棚から古いファイルを引きずり出した。
妹・明日香が死んだのは三年前。公式発表では「通り魔事件に巻き込まれた」とされていたが——
事件報告書に、妙な空白があった。記録の一部が不自然に欠けている。
そして、その下に——手書きで走り書きされたメモが一つ。
《Elysium:接触記録、第17症例》
篠原は息を呑んだ。
「明日香、お前も……あの地獄に触れていたのか……?」
捜査は、個人的な復讐へと色を変えはじめていた。
だがそれは、まだ序章にすぎなかった。
《コード:ヘイロー》——その名が意味する真実へと、物語は静かに動き出していく。