「消された未来(後編)」
地下通路のシャッターが閉じきる直前、ユウカの姿が視界から消えた。
篠原は歯噛みしながらも伊吹の腕を引き、非常階段へ駆け込んだ。今の彼らには、生き延びることが唯一の反撃手段だった。
「くそっ……くそっ……!」
逃走ルートに仕掛けられたセキュリティ解除を、伊吹が必死でハッキングする。
その横で篠原は拳銃を構え、追撃してくる戦闘員たちを牽制する。銃撃、閃光弾、電子妨害波——すべてが本気の殺意で襲ってくる。
「……あの女を消せって命令だ、上からな」
敵の一人が不敵に言った。
「証拠も、記憶も、過去ごと、全部なかったことにするんだとさ」
篠原の視界が赤く染まる。
「ふざけるな……誰がそんな勝手を許すか……!」
銃口を真っ直ぐ向け、二発で敵の腕と脚を正確に撃ち抜く。訓練ではなく、怒りが身体を動かしていた。
「開いた! こっち!」
伊吹の声と同時に、非常口が解放された。篠原は伊吹をかばいながら外へ飛び出す。数秒後、その扉はEMPにより完全に封鎖され、開かなくなった。
間一髪だった。
——だが、ユウカは戻らない。
その夜、伊吹の予備研究施設にて。
篠原は机に広げられたデータファイルを見つめていた。そこには、ユウカに関する全実験記録が克明に記されていた。
コード:ELYSIUM——「能力者を兵器化するための軍事プロジェクト」
その起源は、五年前の極秘会議にさかのぼる。能力者の確保・教育・転用を目的としたこの計画は、違法な実験を繰り返し、多数の被害者を出していた。
——だが、その痕跡は、徹底して消されてきた。
ユウカの存在そのものも、実験体K-0318という番号に置き換えられ、正式な記録からは削除されていた。
まるで——彼女は最初から存在していなかったかのように。
「直哉……これ、見て」
伊吹が差し出したのは、暗号化された通信ログだった。S.E.I.D.の上層部と、政府の某局との会話記録が断片的に復元されている。
> 次の段階に移行する。能力者群の一斉処理を始めろ
> コード:ELYSIUMは、既に制御段階に入っている
> K-0318、および接触者の完全消去を最優先とする
「……つまり、次はユウカと関わった人間を狙うってわけか」
篠原がつぶやく。
伊吹、そして——自分も含めて。
「お前は逃げろ、伊吹。今ならまだ間に合う」
「嫌だね。ここまで来て、引き返せるかよ」
伊吹の声は震えていたが、逃げる気配はなかった。
彼もまた、ユウカの姿に何かを託されたのだ。
——守るべきものがある。
その時だった。
通信機に緊急信号が入る。
「……S.E.I.D.本部が一部爆破された。内部からの反乱らしい」
「まさか……ユウカ?」
——そうだと、思いたかった。
死の未来を視ていた彼女ならば、きっと、自分が生き残る道も視えたはずだ。
そしてきっと、それを選ばなかった。
自分を犠牲にしてでも、データを守り、真実を託すことを選んだのだ。
篠原は、拳を握った。
「終わらせよう、伊吹。全部。嘘も、計画も、抹消も」
「……やっとだな、公安さん」
——ユウカの未来は、消された。
だが、彼女が託した意志は、消えなかった。
次の戦いは、真実を暴くための戦いだ。
命ではなく、記録ではなく——
正義という名の、過酷な選択。