「消された未来(前編)」
東京・市ヶ谷。陸上自衛隊本部跡地。
現在はS.E.I.D.の対能力者戦略司令部が地下に構えられている。表向きは存在しない「影の施設」だ。
伊吹の手によって復元された《コード:ELYSIUM》の中核データは、今、外部に漏れぬよう完全遮断されたネットワーク環境で検証されていた。
その場にいたのは、篠原、ユウカ、伊吹の三人。
「……ユウカの実験記録、出たよ。日付は六年前。実験体ナンバー:K-0318。コードネーム:アポストル・ユウカ」
淡々と告げる伊吹の声の裏に、怒りと無力感がにじんでいた。
スクリーンに映し出されたのは、十代半ばの少女の姿。拘束衣に身を包み、無機質な部屋で座らされている。
顔を上げたその少女が、現在のユウカと同一人物であることは明白だった。
「この映像……まさか……」
篠原が絶句する。
「そう。強化実験の映像。『予知能力』を安定化させるために、彼女は何度も死の直前を視せられてた」
それは精神の殺人だった。
数秒先の未来を繰り返し視ることで、脳は常に死の恐怖に晒される。精神は摩耗し、人格は乖離し、最終的には命令をただ実行するだけの処理機になる。
——それが、兵器としての完成形。
篠原の拳が震える。
「こんなことを……国家がやってたのかよ」
「それだけじゃない」
伊吹が次のファイルを開く。
「これ、篠原明日香——お前の妹のデータだ」
そこには、身体データ、精神安定度、能力適性などが並ぶカルテ。そしてその最後に、こう記されていた。
> 結果:適性レベルB。実験対象としての資質低く、破棄処分。
「……破棄……って、まさか」
「おそらく、試験の過程で廃棄された。正式には能力暴走による死亡という記録が残ってるけど、暴走したのは仕組まれた可能性がある」
篠原は口元を抑え、息を呑んだ。
妹の死因は、「無能力者を装い暴走した能力者による事件」とされていた。だが今、その全てが偽装だった可能性が浮上した。
——妹は、国家に殺されたのか?
沈黙を破ったのはユウカだった。
「明日香……笑ってた。訓練のとき一緒だった。小さい身体で、でも兄に誇れる自分になりたいって……」
彼女の瞳が揺れていた。
「だけど、最初の暴走試験で、彼女は能力を使えなかったの。……それで、見捨てられた」
ユウカの声には、悔恨とも怒りともつかぬ感情が混じっていた。
篠原は深く息を吐き、呟く。
「俺たちはずっと、嘘の中にいたんだな」
伊吹が口を挟む。
「その嘘を守るため、今、政府はユウカの抹消を本格的に始めてる。情報も、記録も、存在そのものを」
「……データ削除だけじゃない。現実の命ごと消すつもりってわけか」
篠原の目に、冷たい光が宿る。
その時だった——。
ブゥン……という不気味な低周波音とともに、部屋の照明が一瞬だけ揺らいだ。
「……来たな。EMP(電磁パルス)攻撃だ」
伊吹がすぐに端末を切り離す。
外では、すでに複数の爆発音と銃声が響きはじめていた。
——ユウカ抹消部隊の強襲が始まった。
「篠原、伊吹。あたしが囮になる。あんたたちは、このデータを持って逃げて」
「ふざけんな。今度は——おれが、おれたちが守る番だ」
篠原が立ち上がる。
自らの妹も、ユウカも、そしてあの日以来忘れていた怒りの理由も、今すべてが繋がっている。
かつては公安。
今はただの一人の人間。
だが——真実に刃向かう覚悟は、誰にも負けない。
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外へ通じる廊下。
自動兵器と、能力増幅スーツを着た戦闘員たちが待ち構える。
その中を、篠原は駆け抜ける。
ユウカの先読み能力と、自身の判断が重なり合い、一人ひとりを確実に倒していく。
——戦う理由ができた。
ただの命令ではなく。
誰かの犠牲ではなく。
今度こそ、守るために。
廊下の先、非常シャッターが落ちる直前——
ユウカが叫ぶ。
「直哉! 伊吹を頼む!」
「お前も来い!」
しかし、ユウカは笑っていた。
あの時と同じ、彼女の予知には、自分の死が映っていたかもしれない。
それでも彼女は笑った。
——未来を、ようやく選べたから。