「裏切りの正義(後編)」
東京湾地下シェルター——S.E.I.D.旧研究区画。
湿った空気がコンクリートの壁を這い、数十年前の設計図のまま残る通路を、二人の影が駆けていた。
篠原直哉とユウカ。今や二人は、公安からもS.E.I.D.からも追われる存在となっていた。
「……こんな地下まで、よく覚えてたな」
篠原が息を切らせながら言うと、ユウカは軽く肩をすくめた。
「かつて、ここで訓練されてたの。私だけじゃない。能力者は、みんな兵器になるよう仕込まれてた」
その言葉に、篠原は言葉を失った。
だが、彼の足は止まらない。
彼女の過去も、妹の死も、自分の正義も、すべてがひとつに繋がりつつある——そんな予感があった。
地下14層。
かつて廃棄された「ディープ・モジュールルーム」
今は伊吹の作業拠点となっている。
研究データのバックアップを受け取るため、二人はここに来た。
「……間に合ったか。こっちもギリギリだった」
端末に何本ものケーブルを繋ぎながら、橘伊吹が迎える。
「例のコード:ELYSIUMの中核データ、やっと復元できた。これが、能力兵器計画の証拠になる」
篠原はUSB型の暗号デバイスを見つめた。
その中には、自分の妹・明日香の実験記録、ユウカの適性試験、そして政府中枢の承認サインが含まれていた。
「……これを公開すれば、政府は崩壊するかもしれない」
篠原が低く言うと、ユウカは言った。
「でも、黙っていれば——次の私がまた生まれる」
篠原の手が、ゆっくりと拳を握る。
その時——
「そこまでだ」
鋭い声が通路から響いた。
現れたのは、S.E.I.D.戦闘部隊。
隊長は、かつて篠原の同僚だった男、城戸一誠。
「お前たち、国家機密の持ち出しおよびテロ行為の容疑で拘束する」
彼の瞳は迷いなく冷たく、かつての友情の面影は一片もなかった。
「……あんたまでか、城戸」
篠原が言うと、男は無言で銃を構えた。
その瞬間、ユウカが動いた。
彼女の能力——予知が発動し、数秒先の未来を視たその体が、鮮やかに跳躍する。
銃弾が空を裂き、光が交錯する。
爆風とともに、伊吹が端末を抱えて逃げる。
「直哉、行って! ここは私が!」
「——ふざけるな! 一人で死ぬな!!」
篠原はユウカの手を強引に引っ張った。
「誰かを犠牲にする正義なんて、クソ喰らえだ!」
その叫びは、かつての妹に向けられたものでもあった。
「この手で、全ての真実を暴いてみせる。それが……俺の答えだ!」
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一時間後——
廃ビルの一室。
爆発の混乱に紛れて逃れた三人は、ようやく安息の時を得ていた。
ユウカは、肩に銃創を負っていたが表情には諦めがなかった。
伊吹は破損を最小限に抑えたデータを確認し、深く頷いた。
「これで、核心に触れられる。……政府中枢に乗り込むしかない」
篠原も頷く。
「コード:ELYSIUMを白日の下に晒す。それができるなら……たとえ、終わらせられなくても、始められるはずだ」
その時、ユウカが言った。
「もし、私がまた兵器として暴走したら。……その時は、あんたが止めてよ」
篠原は静かに答える。
「止めない。止める代わりに手を伸ばす。……今度こそ、おれはそうする」
夜が明ける。
薄明の空の下、三人の影は次なる戦場——永田町へと向かって歩き出す。
正義の形は、壊れた。
でも、だからこそ——彼らは再構築する。
守りたいという、たった一つの真実を抱いて。