「ディープサイト(後編)」
研究棟地下、第零封印室。
照明は落ち、かすかな機械音だけが響く。
篠原直哉は、血の気の引いた手で、ユウカと——その腕の中で眠るように静かになった少女・ナナミを見つめていた。
「彼女の脳波、消えた……」
伊吹のかすれた声がインカムから伝わる。
「能力の暴走で、意識そのものが自己崩壊した……。まるで自分を削るように能力を使ったみたいに」
ユウカは黙っていた。
その表情には、怒りも涙もなかった。ただ、静かな祈りだけがあった。
「ナナミの記録、保存しておいて」
ユウカが呟く。
「せめて、存在をなかったことにしないで」
伊吹は短く頷いた。
「わかった……でも、これで確定した。コード《ELYSIUM》は、兵器化のための強化実験だった。人間を、武器として焼き直すための——」
篠原は拳を握る。
「誰が……こんなことを許したんだ……!」
そのときだった。
封印室の壁が静かにスライドし、一人の男が現れた。
濃紺のスーツ、銀縁の眼鏡。そして、冷たい笑み。
「よくぞ、ここまでたどり着いたな。篠原直哉君——そして、ユウカ」
ユウカがすっと立ち上がる。
「……榊。あんたが、統括官か」
榊仁志。S.E.I.D.の最上層にいると噂される人物——本来、表に出てくるはずのない影の人間。
「君たちの執念には敬意を払おう。しかし、真実はいつも、静かに処理されるものだ」
榊は手を叩く。後方のシャッターが開き、重武装の戦闘部隊が現れる。
「君たちには、ここで事故に遭ってもらう」
篠原は即座にユウカを庇うように動いた。
しかし、ユウカは冷静だった。
「篠原、こっちはお願い」
彼女は静かに言うと、ナナミの遺体をそっと床に横たえ、自ら前に出た。
「私が壊すべき相手は、あんたよ——榊」
榊は笑みを崩さなかった。
「視えるんだろう? 未来が。だが、それだけで私を倒せるか?」
ユウカの目が鋭く光る。
「……違う。私が視るのは、今ここにある選択肢——お前が死ぬ未来も、逃げる未来も。私は、全部知ってる」
榊の手が合図を出す。
重武装部隊が一斉に発砲。
だが——
ユウカの姿は、すでにそこにはなかった。
瞬間移動? 違う。
先に進んで、戻ってきただけだ。
榊の後ろから、ユウカの拳が襲う。
「な——」
榊は吹き飛ばされ、壁に激突した。
重武装部隊も一瞬で制圧された。篠原が援護に入り、彼らの武装を無力化する。
——全てが終わったあと。
榊は血を吐きながらも笑っていた。
「……私を倒したところで、もう遅い……。コード《ELYSIUM》は、国家プロジェクトだ。私は、ただの歯車にすぎん」
ユウカは黙って彼を見下ろしていた。
「誰でもいいってことは、誰でも壊せるってことよ」
その言葉とともに、ユウカは榊の意識を断ち切る。
無力化された彼は拘束され、伊吹の遠隔操作で公安へ情報が送られた。
しかし——
「……これで終わったわけじゃない」
伊吹が告げる。
「榊が言ったとおり、これは国家が絡むシステム。コード《ELYSIUM》は、別の場所でも進行中よ」
篠原は伊吹とユウカを見回す。
「まだ、やるべきことがある。……証拠を集め、真実を暴き、止めるんだ」
ユウカは頷いた。
「その時が来たら——全部話すよ。私の過去も、存在理由も。……今は、まだその時じゃない」
そして彼女は、静かにナナミの遺体を見下ろした。
「あなたの記憶は、私が引き継ぐ。あなたの痛みも、私が背負う。だから……安らかに、眠って」