「封印された任務(前編)」
S.E.I.D.本部、特異存在資料保管室。
誰もいない深夜のフロアに、僅かな足音が響く。機密情報の山が積まれたサーバー室の奥へと、篠原直哉は無言で歩を進めていた。
「ここが……禁区か」
パスコードを入力し、虹彩認証を終える。扉が機械的な音を立てて開くと、冷気と共に、異様な静けさが押し寄せてくる。
篠原は静かに、そこに足を踏み入れた。
目的はひとつ。
《コード:ELYSIUM》
それは、過去の報告書に断片的に残されていたある計画の名称だった。ユウカや明日香の過去を辿る中で何度も浮上しながらも、徹底して秘匿されている国家機密。
その実態を探るため、彼はついに許可されていないデータ領域に侵入したのだ。
「……あった」
コンソールに表示されたプロジェクト名。
【ELYSIUM-01/実験報告書/適応者選別ログ】
そのファイル群を選択し、ダウンロードを始めた瞬間——
「やっぱり来たね、篠原くん」
背後から聞こえた声に、篠原は即座に振り向いた。
そこに立っていたのは——橘伊吹。
技術開発部主任。ユウカのデータ解析を手伝っていた天才エンジニア。そして、篠原が唯一、信頼を寄せていた人物。
だが、今の伊吹の目は、冷たく光っていた。
「君がアクセスするのは時間の問題だと思ってた。だけど、まだ早いと思ってたよ」
「どういう意味だ。まさか……お前も《ELYSIUM》に関わってたのか」
「正確には、関わらされてた。開発当時、僕は、まだ院生だったけど……適性因子の選別システムを設計したのは、他でもない僕さ」
篠原は言葉を失った。
「つまり——」
「うん。明日香ちゃんの選別にも、僕は関わってる」
伊吹は自嘲気味に笑った。
「でもね、篠原くん。僕はそのあと、逃げたんだよ。これ以上は関われないって。でも逃げただけじゃ、何も止められなかった。だから今、こうして君を止めに来た」
ピピッ、とコンソールが警告音を鳴らす。
セキュリティ解除まであと数分。だが、伊吹の態度は明らかに忠告ではない。
「君が、そのデータを持ち出せば消されるよ。僕も、ユウカも、君も」
「それでも、行く。俺は、もう引き返さない」
篠原は銃を抜いた。伊吹もゆっくりと、手元のデバイスを構える。
「……君って本当に、バカ正直だな」
伊吹が苦笑した。
「でもさ、それが今のS.E.I.D.には必要なのかもしれない」
その瞬間、伊吹の手が動き、篠原の端末にあるデータの一部が瞬時にコピーされた。
「なっ……!」
「共犯だよ、篠原くん。これで君だけの問題じゃなくなった。どうせ死ぬなら、一緒に賭けてみよう。未来に」
そう言って伊吹は、制御パネルを強制シャットダウンした。
「残りのデータは、僕が外部にバックアップしてある。万が一の時は——ユウカに渡して」
伊吹の目が、少しだけ優しくなった。
「彼女は、自分を責めすぎる。君がそばにいることで、変われるかもしれない」
警報が鳴る。警備部隊が接近してくる。
篠原は伊吹の肩を強く掴み、一言だけ言った。
「……助かった」
そして、警備部隊が到着する前に、彼は闇の中へと消えた。
データを携え、《コード:ELYSIUM》の真相に、また一歩近づきながら——