「妹の名前(後編)」
銃声と爆発が交錯する廃研究施設。
コンクリートの壁が砕け、天井から降り注ぐ火花の中、篠原直哉とユウカは背中合わせに構えていた。
「敵は……傭兵か?」
「違う。奴らは《S.E.I.D.》の外部依頼部隊——つまり、表に出せない処理班よ」
ユウカの言葉に、篠原は舌打ちを漏らす。
表に出せない処理班——その意味するところは明確だった。
《消す》ために送り込まれた存在。
証拠を。過去を。そして——真実を知りかけた者を。
「裏切られたな」
「最初から信じてないわよ、あたしは」
冷めた声で、ユウカが答える。
彼女は一瞬だけ、篠原の横顔を見た。その目には、あの日と同じ光があった。
——信じたいのに、信じられない。
——守りたいのに、守れなかった。
「動くよ。挟まれる前に、抜け道から出る」
「了解」
二人は身を翻し、瓦礫を避けながら研究施設の地下へと滑り込んだ。
長く続く廊下。その先に非常口。
だが、廊下の壁には無数の跡が残っていた。
爪痕。血痕。焼けた鉄扉。
「ここ……」
篠原が足を止める。
「あの写真と同じ場所だ。妹が……明日香が、閉じ込められていた部屋」
ユウカは黙ってうなずく。
「7年前、明日香はこの部屋で、無理矢理能力を起こされた。安全基準? 倫理? 関係ない。政府は、結果さえ得られれば、手段なんて選ばなかった」
ふと、壁に残された刻印に目が留まる。
——ASUKA♡NAO
「……明日香の字だな」
「うん。たぶん、直哉を呼んでたんだと思う」
ユウカがそっと触れたその瞬間、背後で機械の起動音が鳴った。
バシュン!
閃光弾。視界が白く焼ける。
「っく……!」
「直哉、伏せて!」
ユウカが即座に反応し、手榴弾を投げ返す。
爆風の中、二人は転がるように別ルートへと飛び込んだ。
狙撃。装備強化兵。干渉波。
圧倒的不利な状況。
「……こんな時、あの子が笑ってた理由がわかる気がする」
ユウカがぽつりと呟く。
「明日香は、泣き虫だった。でも、あたしが泣いてると……いつも笑ってくれた。大丈夫だよ、お姉ちゃんって」
その声が震えていた。
「……あたしね、明日香の最後、ちゃんと見られなかった。処分された後、医者に脳死だったって言われただけで……」
「それ、嘘だった」
篠原が口を開いた。
「俺が見た記録、意識は一瞬だけ戻ってた。最後に見たのは、君の後ろ姿って。医者が記録に残してた」
ユウカは言葉を失った。
「私の……後ろ姿……」
その瞬間、ユウカの中で何かが崩れた。
それは、戦う理由。
それは、殺す理由。
それは——彼女が、生き延びてしまったことへの罪悪感だった。
「だから、生きろ」
篠原がユウカの腕を引く。
「死ぬな。罪を背負ってでも、生きて、何かを変える側に回れ」
それは、篠原自身にも言い聞かせる言葉だった。
明日香の死を無駄にしないために。
ユウカの生を、無意味にしないために。
そして、二人は非常口を突き破り、夜の街へと飛び出した。
追手の影は遠のいた。
だがその代償として、研究施設は爆破処理された。
証拠は消えた。過去もまた、炎に呑まれた。
それでも——ユウカは初めて、涙をこぼしていた。
雨ではない。血でもない。
本物の涙だった。
「……ありがとう、直哉」
「礼はいらない」
篠原は背を向けた。
「これからが本番だ。あいつらが隠してる本当の名前を見つけに行く」
そして二人は、それぞれの目的を胸に、新たな戦場へ向かって歩き出した。
——篠原直哉。
——ユウカ。
かつて敵だった二人は、同じ妹の名前を抱えて、今はただ、夜の中を歩いていく。
それが、終わりなき闘いの始まりだった。