進級するということは
体罰は体と心が傷つく。そんなことをしたらだめだとみんな分かることだろう。でもそれが分からない人がいる。幼ければより心が脆い。そんなことはみんな分かるだろう?
1年生が終わり春休みになった。親がいない家は快適だった。でも親が家にいるときは友達の家に行き遊ぶか、公共の施設に行き勉強をし、家にいる時間はご飯を食うか、寝るときだけだった。そうやって過ごしていたら夏休みの宿題なんてすぐに終わった。外に行く理由が減った。友達とゲームして過ごす日々はいつの間にか飽き、無感情で過ごすことが増えた。でも暇ではなかった。恐怖があったから。いつ殴られるかわからないということが何よりも怖かった。姉も同じような感じだった。みんな家に揃うときは寝るとき以外ないに等しかった。そして親がいないときは家で過ごすがやっぱり喧嘩になることがある。そして家族の仲が悪くなっていくことは運命で決まっていたのかもしれない。それ以降もっと家にいることがなくなっていった。そんな日々が続きつつ、春休みは終わっていった。2年生になった。変わったことは、教室とクラスメイト、担任の先生だけ。それ以外は変わっていないと思う。2年になると親の帰りが早くなった気がした。20:00位に帰ってくるようになった。できるだけ目に入らないように、喋りかけないように、そう過ごす日々。やっぱりすぐ寝た。話したくないから。あいつと居ると気が狂いそうな気がした。あいつに育てられると将来私も誰かを殴りそうで怖かった。そんなことを考えると疲れた。気分的にも疲れたし、生きていることにも。でも、死にたくない。生きたい。でも逃げ出したい。どこか遠いところへ。でもできない。そんなことをすると関係のない人を巻き込むし、何より恥ずかしいから。こうやって生きるか、死ぬか。やっぱり残るのはこの2択だけ。でも度胸がないからできるのは1択だけ。このときの私は絶望だけだった気がする。それ以外に何があったのだろうか?分かったこのときに。生きるのは、地獄より地獄。でも自ら地獄に行くことはそれより地獄な気がしていた。私は、何も無い中生きた。なんか分かるけど分からなかった。私は、めんどくさかった。この周りを制限された中で生きることに。でも解決方法がない。助けは呼べない。呼んだところで普通の人は助けずに笑うだけだから。私の被害が大きくなる。それだけ。そしてそれを隠しまた学校に登校する。また偽りの自分でみんなと接し、偽りの感情で自分を納得させ、偽りの世界で学校を過ごす。偽りしかないこの学校にも私の居場所はなく、助けを呼べる人などいない。本当は叫びたい。大きな声で。みんなに「助けてって」。でも叫びたくない。増える。私の惨めな姿を見る普通の人が。私のことを殴る。それで楽しいのか?ストレスはそれで解消するのか?わからない。考えたくもない。より疲れるんだ。そんな感じで過ごす学校に面白いことはあるはずもなく、私は疲れたのだ。
体罰をするのは楽しいのか?私はわからない。でもやったらだめだと5歳でも分かることをやるのは自分は馬鹿だと世界中に公開しているようなものなんやで。