小学生になって
体罰は大人が子どもをいじめているんだ。だからいじめだよ。イジメ、ダメ、ゼッタイ
わたしは小学生になった。あのときは嬉しかった。みんなが笑顔だったと思う。でもしばらく経つとそんなお祝いムードは終わる。またあの日々に戻るんだ。またあのサンドバックの日々が。もう殴られるのが普通になって、私はおかしかったのかもしれない。正常な判断なのかもわからない。自分がおかしいのか?周りがおかしいのか?これが普通なのか?入学してしばらく経つと、先生もおかしい気がしてきた。1人を目の敵にして蹴る、殴る。みんなはそれを見て笑った。笑って楽しんでいたのだ。おかしいのは自分だったのか?私の頭がお花畑だったのか?このときから私は、自己嫌悪感に包まれていった。小学生になったといえど心はそんな強くない。そこから、死にたい、殺して、きつい、これ以上生きられない、こんな自分に殺意を向け死にたくなるのは難しくないものである。これを隠し今日も学校に向かう。周りに元気に話される。できるだけ元気に返す。でも、喉の奥で言葉が支えて出てこない。助けて、そんな言葉は出てこない。周りはみんな「普通」だから。助けてくれる人は存在しない。小学1年生の狭い世界ではもう楽になる手段は、死という救済だけだった。でも、怖かった死が。怖くて何もできずまた表の顔を作り学校へ向かう。そして、また自分の作った自分で周りと話を合わせ明るく接する。こんな日々がたくさん、覚えれないくらい続いた。体にあざがある。傷がある。痛い。苦しい。それが当たり前であり普通であるその認識以外はなかった。夏になりプールの授業があった。もちろん見学だ。体のあざを見られたくなかった。みんなが「地獄のシャワーだ」とかいうみんなの元気に笑う後ろ姿が羨ましかった。体操服でプールサイドに座り込みみんなが楽しそうに泳ぎ、楽しそうに鬼ごっこをしているのを眺めていた。暇だったが楽で開放的だった。そして家に帰りまたあの日々。そそくさとやることを済ませ寝た。合わないために。そしてまた学校に行く。そしたら先生は、棒を持って教室に入ってきた。何に使うかわからなかったがすごく単純だった。先生が目の敵にしている生徒の名前を弄り、そのいじった名前を棒に書き、叩き始めたのだ。これもみんな笑う。おかしいのは自分である。そう思って納得する以外なかった。そしてその生活が続いているうちに月日は流れ、2年生になっていった。2年になっても、環境は変わらないままだった。
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