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転生悪役令嬢はスマイル0円キャンペーンを終了しました 【コミカライズ進行中】

作者: 三香

 リリエンジェラは公爵家の末娘である。


 先ほど婚約破棄をされたショックで蘇った前世の記憶によると、この世界は『マリシアの幸福』という小説の舞台となる王国であるらしいことをリリエンジェラは理解した。そしてリリエンジェラの役割が、かわいそうな悪役令嬢であるということも。

 

 悪役令嬢といってもリリエンジェラは何も悪いことはしていない。ヒーローの婚約者であっただけなのに、ヒロインと対立的な立場から小説内で悪役令嬢と呼ばれているのだ。


 リリエンジェラが悪役令嬢で。

 婚約者のルシウスがヒーローで。

 ルシウスの恋人がヒロインのマリシアという三角関係なのである。


 リリエンジェラの父親のロマナ公爵は、小さく産まれたリリエンジェラを心配のあまりに両手で覆うように甘やかして、周囲も褒めて伸びよとばかりに褒めて褒めて、高位貴族としては異色の無邪気な天然モノのぽやぽや令嬢として育ててしまった。そうして政敵である貴族の令息と婚約をさせてしまったのである。ぽやぽやのリリエンジェラは、父親の決めた婚約だからと素直に婚約者のルシウスを純粋に心から慕うが、ルシウスは違った。


 王国は豊かな領土を有するが、現国王はたった6歳の幼王である。


 ロマナ公爵を含む王国の多数の貴族は、周辺国が武力を強化してキナ臭い気配になりつつある現状に、国内での勢力争いをしている場合ではないと政敵と手を結ぶ状態であった。そのための政略結婚が数多く結ばれ、なかでもリリエンジェラの婚約は儀形となるような重要なものだった。


 王国のために過去の確執をこえて、ロマナ公爵はひたすらルシウスに一途に恋するリリエンジェラの姿に貴族たちの融和と団結を願ったのであるが。

 ルシウスは長年の敵対関係にあるロマナ公爵家の娘であるリリエンジェラに心を許さず、リリエンジェラと同系統の天真爛漫系のヒロインのマリシアの手を取るのである。

 しかし同じ天真爛漫系といっても、リリエンジェラには貴族の教養と礼儀作法が備わっていたが平民のマリシアにはそれらがなかった。


 貴族社会において、知らなかったでは許されないことが多々あるのだ。


 そして身分という絶対的な現実が大きな壁となり、真実の恋に燃えあがったルシウスとマリシアは全てを捨てて王国を旅立つのである―――ここまでが『マリシアの幸福』の序章で、物語はルシウスとマリシアと護衛との諸国への旅が中心となるのだ。


 ここで問題となるのが、派閥の和解策としての貴族融和を目的とした政略結婚の見本というべき高位貴族が婚約破棄をするとどうなるか、である。


 ルシウスに足蹴にされたロマナ公爵家の面目は丸潰れ→ロマナ公爵が抑えようとしても派閥や親戚一同が激昂→ドミノ倒しのように融和政策の政略結婚の崩壊→国内の混乱の隙に隣国が侵略戦争を仕掛ける→王国の敗北

 以上が『マリシアの幸福』に書かれた王国の結末である。


 これらの大量の情報を素直なリリエンジェラの脳は思考回路をパンクさせることなく一瞬でインプットした。ふむぅ、と可愛らしくリリエンジェラはバッテンウサギ口になって唸る。リリエンジェラは、パーティーで5分前に婚約破棄宣言をしたルシウスとマリシアのイチャイチャを(←イマココ状態で)目の前で見ながら頭をフル回転させて考えた。前世を思い出して王国の未来を知ったリリエンジェラは、恋するぽやぽや令嬢から高速脱皮しつつあった。


 キョロキョロと辺りを見回す。


 王宮のパーティーである。周囲は突然の婚姻破棄に驚愕や同情や嘲笑など様々な表情をしていた。その中でリリエンジェラは、ロマナ公爵家の派閥とルシウスの家の派閥の者をコイコイと子猫のように手招きする。


 ロマナ公爵家の派閥の者は素早く、ルシウスの家の派閥の者は戸惑いがちに近付いて来た。リリエンジェラのアンテナがピピピと反応する。どちらも派閥の中で切れ者として名高い。

「今、とんでもなくマズい状況なのはわかっているわよね?」


 垂れた瞳にふわふわの砂糖菓子のような髪、小柄でポヤヤっとした雰囲気にたいていの者は騙されるのだが、リリエンジェラはきちんと高位貴族の教育を受けているので聡明な令嬢でもあるのだ。

 ルシウスを献身的に愛してきたのも公爵家の娘として、この婚約が敵対派閥との和睦の象徴である、と国内外に示す重要性を理解していたからである。つまりリリエンジェラとルシウスは絶対に仲睦まじくする必要があったのだ、表面上であっても。それを貴族教育を受けてきたはずのルシウスは感情だけで反発をしてわかっていなかった。


 まだ戦争どころか小競り合いすら起きていない。それ故にルシウスは本気で危機感を感じることがなかった。考え方が浅いのだ。今までルシウスの粗が目立たなかったのは側近たちが上手くカバーしてきたからであった。


「平時ならばとにかく、この周辺諸国との緊迫時に真実の愛だなんて台詞で婚約破棄をするなんて貴族社会での示しがつかないわ。社会階層の上が自分勝手に婚約破棄をするならば下も自由に、なんてことになれば融和政策が崩壊してしまうわよ」

 ルシウスの家の派閥の者――ルシウスの従兄弟――に視線を向ける。

「そちらの不始末よ。ご自分たちで適切に処理できるかしら? それともお手伝いが必要かしら?」


 ルシウスの従兄弟はリリエンジェラに深々と頭を垂れた。ロマナ公爵家の手を借りるなど不名誉この上ない。恥の上塗りである。

「いえ、御言葉だけありがたく。我らでルシウスをすぐさま連れ帰りますので」


「貴族たちに対しての示しが必要なのよ。まさか貴族籍を抜いてルシウス様をポイ捨てするだけなんて、そんなヌルイことをしないわよね?」

 小説ではそうだった、しかもフル装備の旅装と不自由をしない高額の旅費と新たな身分証を持たせての堂々と護衛付き(乳兄弟の護衛本人の希望であったが)の放逐である。罪が罰になっていない。失望や反感を抱いた貴族が多かったのは当然であった。


「もしかしたら平常時ならば許されたかも知れないけれども、今は個よりも国のために結束を高めようとしている非常時なのよ。その政略の模範となるべき公爵家の婚約を真実の愛だなんて宣って、貴族の心臓に温かい血ではなく真冬の冷水を流す行為で破棄したのよ。わかるわよね? ちゃんとそちらでケジメをつけられないのならばロマナの家が制裁を下すわよ、それが嫌ならばルシウス様を……いっそ、ね?」


 少し前まではルシウスに恋する少女であったはずなのに、責任と義務を羽織った誇り高い貴族の顔をしてリリエンジェラが殺傷力の高い釘をガンガンと刺す。ルシウスの従兄弟は背筋をゾッと震わせた。冷たい汗が流れる。額の汗を拭う手のひらすら汗が浮いて湿っていた。同時に、逃がした魚は大きかった、とギリリと奥歯を噛みしめる。リリエンジェラならば立派な当主夫人として誇れたものを、と。


「我ら一族は高位貴族としての社会的責任を果たすことをお約束いたします。決してリリエンジェラ様を失望させることはいたしません。たとえ当主がルシウスを庇ったとしても一族全てでルシウスを厳罰に処してみせます」

 ルシウスの従兄弟は再び深く深く頭をリリエンジェラに垂れた。


 そうしてルシウスの家族も一族も神経が凝結したように表情を強張らせて、恋に酔うルシウスとマリシアを取り囲んで一団となって退出したのだった。


「お父様に連絡は?」

 リリエンジェラはロマナ公爵家の派閥の者、子爵家嫡子アンドレにヒソリと聞く。アンドレは機転が利く敏腕家であったのでロマナ公爵のお気に入りだった。

「すでに公爵閣下のお耳のみに婚約破棄の件が届くように手配はしております」


 満足げにリリエンジェラは頷いた。


 ロマナ公爵やルシウスの父親など王国の重臣たちと王族たちは、近隣諸国の対応のための協議を別室でしているところだった。

 ある意味、婚約破棄はルシウスの家を抑えつけるチャンスともなる。

 情報を制して、ルシウスの家に先回りをしロマナ公爵家の利益とするのが高位貴族の政治力と罠というものであった。


「私のお父様はルシウス様の父上様のように温情をかけないと思うけどもしもの時もあるわ。ルシウス様の家に潜り込んでいる密偵たちに監視を強化させないと」

 小説みたいなユルイ処分は論外だわ、とリリエンジェラは声も出さずに口の中で呟いたのだった。


 それから、もう一度リリエンジェラは周囲を見渡す。

 ロマナ公爵や周囲から甘やかされて育ったリリエンジェラは、自分を甘やかしてくれる人間を本能的にレーダーのように探知ができた。アンドレもその一人だ。


 そして王宮のパーティーには大勢の人々がいた。

 大勢がいれば貴族といえどもお人好し、ゴホン、親切心あふれる人格者の一人や二人が必ずいる。


 キッラーン、とリリエンジェラの瞳が光る。


「ねぇ、あの方、ほら、壁側に男性が数人いるでしょう? 真ん中の背の高い黒髪の人、あの方はルシウス様の代わりに私の政略結婚の対象となれるお方かしら?」

 リリエンジェラの問いかけにアンドレが答える。躊躇のない即答。

「最上のお相手です。トゥーア辺境伯レイナルド閣下。リリエンジェラ様の婚約相手は年齢的釣り合いでルシウス様に決定したのです。11歳年上のトゥーア辺境伯閣下は独身ですが、ご本人が少し問題があったことも不安要素となりまして……」

「問題?」

「閣下は穏やかな人格者なのですが、相手の邪心がオーラで視えるらしいのです。それでなかなか結婚の話が進まず……。また家臣たちは有能揃いで、閣下の体格もご立派ですので圧が凄いらしく……。令嬢方が逃げ出してしまうのです」


 リリエンジェラは思った。

 ルシウスの婚約破棄宣言の直後に前世を思い出したのは偶然ではない。


 おそらく今夜が王国の運命を変える分岐点なのだ。


 小説ではルシウスとマリシアがヒーローとヒロインなのだろう。しかし、たった二人の幸福のために王国に住む何十万人何百万人の人々が犠牲となって不幸になるのが運命と言うのならば、その運命を捻じ曲げてみせる、と。


 ルシウスとの婚約が駄目ならば、政略として問題のないレイナルドと婚約を結んで下位の者たちも納得する手本となればいいのだ。むしろ中央貴族同士の婚約であったルシウスよりも、中央と地方の貴族による婚約の方が国力の結束になる、と。


「トゥーア辺境伯様との政略結婚は国益に適うものなのね? お父様も賛成なさるかしら?」

「公爵閣下は諸手を挙げて歓迎なさいますでしょう」

 アンドレの言にリリエンジェラは視線を定めた。

「私のオーラは合格できると思う? たぶんトゥーア辺境伯様はお優しい方だと思うの。トゥーア辺境伯様とならば、私は愛し愛される幸福な妻になれる予感がするのよ」


 じっとリリエンジェラはレイナルドを見つめる。


「もちろんです、リリエンジェラ様のオーラに濁りがあるなどと考えられません。僕はリリエンジェラ様が他者を貶したり虐げたりする場面を一度も見たことがありません。リリエンジェラ様が慈悲と愛情の深い方であることを存じております」

 アンドレもリリエンジェラの視線に沿わせてレイナルドを見る。


 レイナルドが視線に気付いて、リリエンジェラの方に顔を向けた。


 二人の視線が絡まる。


 にこにこにこ、とぽやぽやモードで可愛らしくスマイルキャンペーンをするリリエンジェラ。あざとい。しかし、もともと天然モノの無垢なので醜悪さがまったくない。


 レイナルドが目を見開く。

 不快感が欠片もない令嬢を見るなど初めての体験だったのである。

 

 ゴクリ、と息を呑み込むレイナルドに側近が訝しげに声をかけた。

「レイナルド様、いかがなされましたか?」

「………………アの、ちっこい令嬢は?」

「ロマナ公爵家のリリエンジェラ様ですね。先ほど愚かな令息から婚約破棄を宣言されて、きっちりと令息の一族に落とし前を求めて首を絞めておられました。賢く強いご令嬢です。令息の一族は真っ青でしたよ」

「…………イま、相手がいない状態なのだな?」

「え? ええ!? もしやレイナルド様、リリエンジェラ様に、その、言い辛いことなのですが一目惚れをなされたのですか?」

「……イや、そこまで惚れてはおらん。だが、オーラが水のように澄んでいて心地よいのだ」

「それは!? ゆゆしき一大事でございます! とうとうレイナルド様にお嫁様が!! 今すぐにロマナ公爵家に正式な申し込みをしなければ!!!」


 瞬時に踊り出すように駆け出した側近の脳内は、忠誠を誓う主のお嫁様一色である。レイナルド28歳。28年間で初めてのお眼鏡に適う女性であった。もう側近の心境たるや、逃がしてなるものか! と炎のごとく燃え盛っていた。


 とことこ。


 小鳥のようにリリエンジェラがレイナルドに近付く。


 小柄なリリエンジェラと熊のようにがっしりと筋肉質で大柄なレイナルド。しかもレイナルドの顔面には刀傷もあり迫力満点の厳つさである。貴族の令嬢の中にはレイナルドを見ただけで震える者もいるぐらいだった。


 しかしリリエンジェラがレイナルドを恐れる様子は皆無である。


 とことことちまちま歩くリリエンジェラが可愛い。


 一目惚れではない、と言ったレイナルドだが大胸筋がドキドキと高鳴った。もれなく逃げ出されてしまうがレイナルドは小動物が好きであった。つまりリリエンジェラの容貌はレイナルドのタイプのど真ん中なのだ。


 レイナルドは焦った。

 動悸がする。胸が痛い。心臓の音がうるさい。自分は病気になってしまったのか、と疑うほどだった。


 レイナルドはオーラの濁った女性を拒絶したことは多々あっても、心惹かれる女性と親しくしたことはない。告白したことも恋愛したこともデートしたこともない、ある意味すれていないピュアな貴族男性なのである。

 

 接近してくるリリエンジェラに声をかけたいが、女性に喜ばれるような気の利いた会話などできない。背中に冷や汗の粒が連なる。発汗と震えで呼吸が荒くなった。感情が波立ち混乱して、挨拶の言葉すら出てこない。


 空気に溺れる魚のようにレイナルドの口が開閉する。湯気が立たんばかりに汗がドッと出た。


 そして内心のオロオロワタワタが極限の恐慌状態となったレイナルドは。


 身を翻して逃亡したのである。


 熊のごとく巨体であるのに兎のように逃げ足が速い。まさに脱兎を凌駕する熊の激走であった。


 ちんまい小鳥の可愛さに熊が戦わずして敗れて敗走した、とも言えた。


 ピュウゥゥ、と風を渦巻いて逃げ去るレイナルドにリリエンジェラもアンドレも唖然となる。

「……ねぇ、アンドレ。私は言葉も交わしていないのにフラれてしまったのかしら?」

「まさか、そんな……。何か急用がお有りだったのかも。ご安心ください、リリエンジェラ様。公爵閣下に進言してトゥーア辺境伯家に打診して意向を確認してみますので」

「ええ。私もお父様にレイナルド様のことをお願いしてみるわ」


 こうしてトゥーア辺境伯家の王宮夜会は、側近が駆け出し辺境伯本人は逃げ出して終了したのであった。


 翌日。


 トゥーア辺境伯家から婚姻の申し込みがありリリエンジェラがほっと胸を撫で下ろしていると、来客があった。


 ルシウスである。


「昨夜、貴族として最低の醜態をさらしたくせに、婚約破棄を宣言した相手の家にのうのうとやって来るなんて恥という概念をご存じないのかしら?」

 ちまちまとことこと小鳥の歩幅で、薔薇のアーチをくぐり両脇に薔薇が群れ咲く道をリリエンジェラが屋敷門まで歩く。


 道に沿って細い水路が作られて、花びらのように色鮮やかな金魚が泳いでいる。ひらひらと、日差しを受けて金魚の小さな影が水底に小さな落ち葉のように重なりスイッと離れた。


 門の外にはロマナ公爵家の兵士たちによって取り押さえられている薄汚れたルシウスがいた。よれよれで泥付きの平民の服を着て顔色が悪く髪も乱れて、わずか一晩で貴族の面影が痕跡となっている汚さだった。


「離せ! 無礼者! 僕は貴族だぞ!!」

 怒鳴るルシウスにリリエンジェラは冷たく言う。

「違いますでしょう。もう廃嫡されて貴族籍も抹消済みですのに、貴族だと騙るなんて罪になりますわよ」


 今もルシウスを何処かから監視している働き者の密偵たちから報告を聞いているリリエンジェラは、小説通りルシウスが放逐されたことに内心がっかりしていた。

「断種の薬を飲まされた上で無一文で放り出されて、平民の屋台で無銭飲食をして逃げてきて……それで当家に何のご要件がおありなのですか?」


 昨日までとは異なるリリエンジェラの冷ややかな態度にルシウスは怯むが、恥も外聞もかなぐり捨てて叫んだ。

「リリエンジェラ! 婚約破棄はやめて君と結婚してあげるよ! 君は僕のことが好きだろう、嬉しいよね!? だから家に取り成して僕が家に戻れるように仲立ちしてくれないか?」


 リリエンジェラが呆れたように愛らしく鼻を鳴らす。


「ご冗談を。あなたと結婚して国家とロマナ公爵家に何の利益があると言うのですか? 貴族の政略結婚をとことん理解されていないのですね」

 リリエンジェラの視線がルシウスを突き刺す。

「それから誤解のないようにハッキリと申しますが、私はあなたを愛しておりません。必要であったから昨日まで愛していたのです」


「嘘だ……っ! 常に僕に尽くして、僕に向かって微笑んでいたじゃないか!」

「皆様から注目されている婚約関係だったのですよ。良好さをアピールするために微笑みを絶やさないことは当然でしょう?」


 リリエンジェラの中では婚約者としてのスマイル0円キャンペーンは終了しているので、ルシウスに対して冷淡である。そもそも浮気をした元婚約者など歯牙にもかけたくない。

 昨日までの純粋成分100パーセントのぽやぽやだったリリエンジェラだったならば親切と善意の情け心があっただろうが、今のリリエンジェラには浮気男にかける慈悲の心は欠片もなかった。


 ふむぅ、リリエンジェラは可愛らしいバッテンウサギの口をして考えた。 


「でも、ちょうど良かったかも……」

 万が一、ルシウスの乳兄弟の護衛がルシウスとマリシアを助けて『マリシアの幸福』の通り旅に出て、強制力や矯正力とかが働いて小説通りに王国が滅亡なんてルートが出現する可能性もあるかも知れない。そんな可能性は王国の安寧と平和のために芽が出る前に潰しておくに限る。


 リリエンジェラは兵士たちに令嬢らしく淑やかに命令をした。

「平民が公爵家の門の前で騒ぐなんて無礼千万。もうその者は私の婚約者でも貴族でもありません。二度と顔を見たくないので処分しておいてもらえるかしら?」


「「「ハッ!!」」」

 兵士たちは恭しく頭を下げると、ルシウスを力任せに連行していく。


 ルシウスの悲鳴が響く。貴族が平民を無礼打ちしても許される世界なのだ。抵抗するも、ルシウスはずるずると引きずられて姿を消していった。


「ヒーロー退場」

 リリエンジェラは南無南無と手を合わせる。合掌。

「これで『マリシアの幸福』も終了かしら? ……念のためにヒロインも……ルシウスは逃げたけど無銭飲食で捕まって牢屋にいるはず」


 うん、と大きくリリエンジェラが頷く。

「うふ、ちょこっと涙を浮かべてお父様におねだりしちゃいましょう」


 ヒーローとヒロインは小説の世界ではなく別の世界で活躍してもらった方が王国は安全安心だものね、うんうん頷いてとことこと屋敷に戻っていくリリエンジェラであった。


 その後、幼王が成長して賢君と称えられるようになるまでの20年間、王国の貴族たちは一致団結して幼王を支え続けた。同じく20年後、ロマナ公爵がルシウスの家の枷とするために労役処分としたルシウスとマリシアは、過酷な鉱山の強制労働から解放された。若く美しかった容姿は厳しい労役のために別人のような姿となっていた。


 しかし、王国の繁栄の陰にリリエンジェラが少しばかり暗躍をしていたことを誰も知らない。ルシウスとマリシアの労役処分は、家門の名誉を重んじたロマナ公爵家の制裁と社交界において認識され、当然のことと容認される結果となっていた。


 当のリリエンジェラは。(←婚約破棄の1年後に結婚して、イマココの新婚状態)

 

「レイナルド様、いってらっしゃいませ」

 ちゅ。

 背伸びして頬にキスをするリリエンジェラを優しく撫でてレイナルドが目を細める。

「行ってくる。昼過ぎには帰宅する予定だから、帰ったら共にお茶をしよう」

「はい。では準備をしてお待ちしております」


 風を切るように威風堂々と馬車に向かうレイナルドに、にこにこにこと笑顔で手を振るリリエンジェラ。


 だが、馬車に乗った途端にレイナルドは座席に崩れ落ちて顔を真っ赤にさせて両手で覆った。

「妻が可愛い……。可愛すぎる……! 一から十まで俺の癒しだ! なぁ、俺はカッコよく馬車まで歩いていただろうか!? 妻には常にカッコよく思われていたいのだ!」

 前に座る側近は満面の笑みである。

「颯爽と凛々しゅうございましたよ、レイナルド様。ご夫婦仲は良好、あとはお子様がお産まれになればトゥーア辺境伯家は安泰でございますね!」

「子!?」

 ギョロリと目を剥き、乙女のように耳まで赤く染めるレイナルド。


「子!!」

 羞恥心のやり場として馬車の扉をドカンッと叩くと、扉があっけなく吹っ飛ぶ。

「…………」

 無言の側近。


 ビョオォ、と無情の風が馬車内に吹き込んでくる。移動の間に仕事をしようと持ち込んだ書類が風に煽られてバサバサと音をたて、

「………………」

 側近の無言に拍車をかけたのであった。


 と、言う様なことがあったりして。


 リリエンジェラはトゥーア辺境伯レイナルドに深く深く愛されて―――エンディングの例に則り―――幸福に暮らしました、死するその時まで。


お読みいただきありがとうございました。




【お知らせ】

「10年後に救われるモブですが、10年間も虐げられるなんて嫌なので今すぐ逃げ出します ーバタフライエフェクトー」

ナナイロコミック様からコミカライズ

作画は青園かずみ先生です。

第二回目配信は9月7日です。


「悪役令嬢からの離脱前24時間」

リブラノベル様より電子書籍化

発売中です。


どうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
バッテンウサギ...恐らくミッ○ィーを指すと思われますが、実はあれ、鼻(v)と口(^)がくっついてるデザインであると小耳に挟んだ事がありまして... 揚げ足取りのつもりは一切ありませんが、一応そういう…
婚約破棄自体はまあいいとして、 それをわざわざ人が多いところでやるのって自殺行為じゃね? 敏感な時期での政略結婚なのに あほすぎる
ルシウス&マリシラ 一応、本小説世界のヒーローとヒロインなんですが…鉱山奴隷を20年 人権なんてない、劣悪な環境下で、よく生きていたなぁ 江戸時代の佐渡金山ですよね ロマナ公爵家に対する政治的道具とい…
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