☆7 ユリカ
はらりとブラが落ちる。
寸前、わたしは両手で胸を覆った。
ここは一度、じらしたほうがいい。じらしてもったいぶるほどに、その効果は発揮されるのだ。なにしろ相手は、筋金入りのおっぱいフェチなのだから。
「恥ずかしい……」
正面の鏡にうつった彼に向かって、いかにも照れくさそうに言ってみる。
後ろから、円城寺くんの腕がヌっと伸びてきた。
彼はわたしの手首をつかみ、胸から手を引きはがそうとした。少し力を入れて彼に抵抗してみたけれど、尋常じゃない力ですぐに引きはがされた。
円城寺くんは、かっと目を見開いた。
鏡にうつったわたしの胸を凝視したまま、金縛りにあったようにピクリとも動かない。
そこはかとなく張りつめた空気が漂うなか、ゴクリという唾を飲みこむ音が聞こえたかと思うと、円城寺くんはつかんでいたわたしの手首を離し、胸をわしづかみにした。
かなり興奮しているらしく、彼の荒々しい鼻息がわたしの耳に吹きかかった。
「あ……」
と、切なげな声を出してみる。
円城寺くんはなにも言わず、一心不乱に胸を揉みつづけていた。
「あぁ……」
ますます彼の鼻息は荒くなり、手の動きがどんどん激しくなっていく。
「あん……」
「おい」
「そんなに激し……え?」
「貴様……なんのつもりだこれは」
キサマ? 鏡越しに円城寺くんを見ると、びっくりするほど顔を真っ赤にしていた。
「ど、どうしたの?」
「なにが詰まってるんだ。シリコンか? ヒアルロン酸か? 脂肪注入か?」
ばれた。やばい。
「お、おっぱいのこと? まさか、天然だよ。あはは……」
「しらばっくれるな! この僕にごまかしはきかないぞ。まがい物だ、これは。詰め物をするなんて……乳房を冒涜しているのか貴様。こんなモノには、なんの価値もない。僕をなめてるのか? ええ?」
これから円城寺くんが舐めるんじゃないの? 冗談めかして言ってみようかと思ったけれど、彼の様子からしてそんな軽口をたたける雰囲気じゃなかった。
「こんなモノのために僕は今まで……。ふざけやがって。よくも僕の貴重な時間を無駄にしてくれたな。僕がこの世でもっとも不愉快に思うことがなにかわかるか? 時間を無駄にさせられることだよ。死ね。お前にもう用はない」
円城寺くんはわたしの髪をつかみ、後ろに思いきり引き倒した。背後の壁に後頭部を強く打ちつけて、わたしはその場にうずくまった。
「いったあ……」
あまりのことに唖然としていると、わたしの顔をめがけて、円城寺くんの蹴りが飛んできた。反射的に頭をかかえこむ姿勢を取ったものの、腕の上からものすごい衝撃を受けて、わたしは床に倒れこんだ。
わけがわからなかった。こういうプレイなのだろうか……? 円城寺くんってドS? 見上げると、円城寺くんは悪魔のような顔をしていた。
「お、お、落ちついて円城寺くん!」
「死ぬんだよ、お前は」
彼はまたしてもわたしの髪をつかみ、そのまま引きずるようにして浴室へ向かった。
「来い。今すぐ処分してやる」
「いたたたた……」
乱暴に開けられたドアから浴室に入ると、つんと鼻をつくにおいがした。生ごみのような、さびた鉄のような、胸がむかむかするにおいだ。
見ると、なにやらうす汚れた浴室だった。床にも壁にも赤いカビのようなものが生えていて、妙に年期が入っているような気がした。どこもかしこもピカピカの円城寺邸にそぐわない場所のような――
そこでわたしはピンときた。
このにおいは血だ。間違いない。わたしはこのにおいを知っている。
このままでは取り返しのつかないことになると直感したわたしは、すぐさま行動に移した。後ろから彼の股のあいだに手を入れて、そこにあるものを力いっぱい握りしめた。
「えいっ!」
おう、というくぐもった声を漏らし、円城寺くんはわたしの髪から手を離した。そのすきを逃さず、両手で彼を思いきり突き飛ばすやいなや、わたしは身をひるがえして浴室を飛びだした。
背後から、獣の雄たけびのような声が聞こえた。
もつれる足を懸命に動かし、わたしは廊下を走りぬけた。リビングに駆けこみ、ソファに置いてあったポーチを手にしたところで、わたしはミスを犯したことに気づいた。
あのまま廊下を突っ切って玄関から外に逃げるべきだったのだ。裸同然の格好でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
リビングを出て玄関に向かうべきか――
「ゥオオオイッ!」
般若みたいな顔をした素っ裸の円城寺くんが、リビングの入り口に立ちはだかった。
「ひ、ひえ……」
わたしはテラスに向かった。そして走りながら咄嗟にひらめいた。テラスの柵を越えて外に逃げればいい――。
無我夢中で柵までたどり着き、手すりに足をかけて乗り越えようとすると、向こう側の地面が見えなかった。
「えええ……?」
身を乗りだして下を見ると、テラスは切り岸の上にあり、飛び降りて無事でいられるような高さじゃなかった。
振り返ると、円城寺くんは今まさにテラスに出ようとしている。
とにかく彼から離れたい一心で、わたしはテラスの端へと走った。
熱帯魚の部屋――もうそこしか逃げ道はない。
でも、ドアの鍵が開いているとはかぎらない。
「ていうか、開いてる気がしないんですけど!」
すがりつくように、わたしはドアノブをつかんだ。
――開いた。
転がるようにして中に入り、やみくもに走りながら別の出口を探すものの、どこにも見当たらない。
部屋の突きあたりまできて振り返ると、入り口に円城寺くんのシルエットがあらわれた。
「袋のネズミだ」
心臓が破裂しそうなほど激しく鼓動していた。
両側の壁にはすき間なく水槽が並び、ブラックライトの青い光が部屋全体を満たしている。ブーンという空調の低くうなる音が響いていた。
なんとか逃げだす糸口は見つからないかと部屋を見回すと、水槽の中に奇妙なものが浮かんでいることに気づいた。
熱帯魚にしては大きく、どの水槽にも同じものが入っている。
おっぱいに似たなにか――というより、おっぱいそのものに見えた。