☆5 ユリカ
見てる、見てる。めちゃくちゃ見てる。
本人はたぶん、長い前髪で視線を隠しているつもりなのだろうけど、こっちはバッチリ気がついてる。
わたしは胸元がのぞける角度をキープしつつ、チーズケーキをぱくついた。
思ったとおり、チーズケーキはコンビニで売っているものとはえらい違いだった。ここが円城寺邸でなければ、タッパーにつめて持って帰りたいくらいだ。
それにしても、とわたしは思う。円城寺くんのおっぱい好きは、あのころとちっとも変わっていない。そのことを最初に見破ったのは誰あろう、このわたしなのだ。たぶん。
円城寺くんに振られてからというもの、わたしはますます彼から目が離せなくなった。気がつけば彼をぼうっと眺めていたり、知らず知らず目で追っていたり、いるはずもない人ごみの中に彼のすがたを探したり。
そんなアンニュイな日々を送るうちに、わたしはより円城寺くんという人間を知ることになる。
ある日の授業中、わたしは円城寺くんの様子にちょっとした違和感をおぼえた。
ほんの些細なものだけれど、日ごろから円城寺くんを観察していたわたしは、その違いを感じ取ることができた。
彼の目つきが違う。熱心に授業を聞いているという風ではなく、なにかに取りつかれたような目つきだ。そして驚いたことに、ほとんど瞬きをしていない。
その変化は、決まって英語の授業中におとずれた。なぜだろう? わたしはあれこれと憶測し、やがて真実にたどり着いた。
円城寺くんは巨乳に目を奪われている――。
担当の英語教師は、生徒たちからホルスタインと命名されたGカップバストの持ち主だった。四十路も近いオールドミスで、お世辞にも美人とは言えない顔立ちだったけれど、その迫力満点の胸のせいか一部の男子から人気があったとかなかったとか。
終了のチャイムが鳴り、ホルスタインが教室を出ていくまで、円城寺くんは彼女の胸から一時も目をそらさなかった。
そしてある日、わたしは決定的な事件を目撃した。
とある日曜日のこと、ショッピングモールにひとりで買いものに来ていたわたしは、偶然にもそこで円城寺くんを発見した。
ハンチング帽を目深にかぶり、普段はしていない眼鏡までかけていたけれど、わたしにはひと目でそれが円城寺くんだとわかった。彼もひとりで来ているようだった。
当然のごとく、わたしは尾行をはじめた。
彼はその辺りを行きつ戻りつして、とくに目的もなくぶらついているようだったけれど、しばらくすると婦人服店の前で足をとめた。中には入らず、店頭に並べられた商品を物色している。
わたしは二〇メートルほど離れたものかげから、その様子を眺めていた。
婦人服店でいったいなにを探しているのかと首をかしげていると、そのうちに彼はきょろきょろと周囲を気にしはじめた。あきらかに挙動不審だった。
万引き……? まさか円城寺くんにかぎって――そう思った次の瞬間、彼は目の前にあったマネキンの胸を両手でわしづかみにした。
エレガントなポーズで挑発的な微笑を浮かべるマネキンの胸をひとしきり揉みしだくと、彼は足早にその場から立ち去った。
その光景を目にして、わたしは確信するにいたった。
円城寺くんはおっぱいが大好きなんだ――。
それを裏づける彼の怪しい挙動は、その日以降もたびたび目撃することとなる。
おっぱいが嫌いな男の子なんていないのかもしれない。ただ円城寺くんの場合は、度を越えているといっても過言ではなかった。
でもだからといって、彼を軽蔑したり、嫌悪感を抱くようなことはなかった。むしろ、ほほえましく思えたほどだ。
けれど――。
そこでまたひとつ、重大な問題が発生したのだ。
そう、わたしは貧乳だった。それも並はずれて。ささやかな膨らみもなにもない、見晴らしの良すぎる大平原がそこにあった。
母を見ても、祖母を見ても、遺伝的に胸が大きくなる見込みは絶望的だったし、わたしの中に貧乳のDNAが息づいているのは、自分の胸を見ればあきらかだった。そのことについては早々にあきらめていたのだ。
でも、円城寺くんがおっぱいをこよなく愛する男の子である以上、そういうわけにはいかない。
だから豊胸した。
整形、豊胸、レーザー脱毛、ついでにお尻のイボも取って、総額四〇〇万円。わたしにとっては法外な金額だったけれど、見返りは十分すぎるくらいにあった。
色んなところでチヤホヤされ、色んな男の子がわたしに近づいてくる。それまでも男友達はたくさんできたけれど、近づいてくる目的が違うのだ。わたしはそれを肌で感じることができたし、巨乳という武器に秘められた力には、わたし自身おどろかされた。
そして、その力が存分に発揮される相手は、今わたしの目の前にいる。
「ごちそうさまっ。こんなにおいしいチーズケーキ食べたの生まれて初めてだよ」
「まだあるけど、食べる?」
「うーん、もうお腹いっぱい」
わたしは断腸の思いでチーズケーキの誘惑を打ち払った。
合コンのときから飲みっぱなし、食べっぱなしだったこともあって、下腹がぽっこりと膨らみはじめている。ここらでセーブしておかないとまずい。
なにしろこのあと、夢にまでみた大人の時間がやってくるのだから。
「シャワー浴びようか」
なんの前触れもなく彼が言った。それまでの会話の流れから脈絡がなさすぎる。少しずつそういう雰囲気にもっていくのだろうと踏んでいたわたしは、意表をつかれて少しうろたえてしまった。
「えっと……シャワー?」
「うん。暑かったし、けっこう汗かいたでしょ? 一緒にシャワー浴びよう」
ファーストフード店でポテトを注文するくらいの気軽さで、円城寺くんは言ってのけた。
予想外のストレートな攻め方に、わたしの心拍数は急上昇していた。当然、この時間に男と女がふたりきりでいるのだから、そうなるのは自然な成り行きだし、わたしもそのつもりでここに来ているし、スケスケヒラヒラの勝負パンツもちゃんとはいてきているし――
「ユリカちゃんの裸が見たいんだ」
ずきゅーん、という音がどこかから聞こえた。
「円城寺くんって、けっこう大胆なんだね? あはは……」
彼はソファからゆっくりと立ちあがり、わたしの座っている側へ近づいてきた。
心臓がものすごいペースで早鐘を打っている。
円城寺くんはなにも言わず、ひざ元にあるわたしの手を握った。
そして、そのまま彼に手を引かれ、ふたりでリビングを出た。