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☆3 ユリカ

 ワインがあまりにもおいしくて、ひと息で飲み干してしまった。

 わたしが家で飲むコンビニワインとは比べものにならないし、これなら大ジョッキ二〇杯はいける。

 おかわりしたいけれど、自分から要求するのはなんとなく気おくれを感じてしまい、かといって断りなしに自分でつぐのもきまりが悪い。空になったグラスをこれ見よがしにもてあそんでいると、横からスっと円城寺くんの手が伸びてきて、わたしのグラスを取った。

「まだ飲むよね?」

「うん、このワインすごくおいしいね」

 彼はグラスに新しくワインをそそぎ、わたしに差しだした。受け取るときに、ふたりの指先がほんの少し触れあった。

 円城寺くんがわたしを見てる。わたしが欲しくてたまらないといった感じで。まるでハネムーンでむかえた初夜に新妻を見つめるような熱いまなざし。

 そんな彼の視線を横顔に受けながら、わたしは七年前のことを思い返す。

 あのときとは、まるで別人のようだと。

 あの、ごみくずを見るような目とは――。


 一四歳。

 心も体も、目まぐるしく成長する激動の時代。

 目にうつるものすべてが新鮮で、毎日あたらしい発見があり、怒涛のように押しよせてはあっという間に過ぎ去っていく濃密な時間。はるか昔のようにも思えるし、ついこの間のようにも思える。

 円城寺くんは当時からすでに一目置かれる存在で、クラスの女の子たちの、いや、学校中の女の子たちからチヤホヤされていた。

 容姿端麗、文武両道、そのうえ円城寺財閥の御曹司ともくれば、それはもうチヤホヤされないわけはない。完璧すぎて近よりがたいという子もいたくらいだ。

 異性を意識しはじめる年ごろなだけに、誰と誰がつきあっているだとか、誰が誰にふられただとか、誰と誰がヤっただとか、持ちあがる話題と言えばそんなものばかり。

 その手の色恋ざたにほとんど興味がなかったわたしも、まわりからの影響と、持ちまえの人並はずれた好奇心とが手伝って、彼氏をつくりたいという気持ちが芽生えてくる。

 そして、誰を彼氏にしたいかと考えたとき、円城寺くんしか思い浮かばなかった。

 ある日の放課後、わたしは校舎裏の中庭に彼を呼びだした。

「どうしたの小松さん」

 さっそうとあらわれた円城寺くんは、八月の猛暑だというのに汗ひとつかいていない。

「僕に用があるって?」

「うん」

 これから告白されるということに感づいている様子はなさそうだった。

「あのさ、円城寺くんってつきあってる子いるの?」

「べつに、いないけど」

「ふーん……そうなんだ」

 神妙にうなずきながら、わたしは意味もなく杉の木の周りをクルリと回り、それから彼の正面に立った。

「じゃあさ、わたしとつきあってみない?」

 肩口の髪をはらい、小悪魔的な流し目で告白。

 円城寺くんの表情は変わらない。

 せみの声がけたたましく響くなか、たっぷりと間を置いてから、ようやく彼は口を開いた。

「本気?」

「うん。わたしね、前から円城寺くんのこと気になってたの」

「小松さんの今後のためにも忠告しておくけど」

 ここでまたひとつ間を置くと、彼は両手を腰にあてて大きく息を吐きだした。

 そして、次に口にした言葉がわたしの人生を変えた。

「身のほどをわきまえたほうがいい」

 なにより、憐れみと侮蔑の入り混じった彼の瞳が忘れられない。

 自分を見つめなおすには十分すぎるひと言だった。

 それまでのわたしは、まったくと言っていいほど自分に無関心で、容姿など気にもしていなかった。陽気で快活なわたしのまわりにはいつもたくさんの人があつまり、気がつけば自然とクラスの輪の中心にいる。自意識が足りない要因はそこにあったのかもしれない。

 毎日が楽しければいい、ただそれだけだった。あの日、円城寺くんに告白するまでは。

 わたしはそのとき初めて知ったのだ。

 自分が並はずれたブスだということを――。

 チヤホヤされたい、もてはやされたい、誰にだってそういう願望はあるけれど、それはほんのひと握りの幸運な人たちだけに与えられた特権で、そうじゃない人たちはどこかであきらめて自分に見切りをつけるしかない。

 でも、わたしには無理だった。

 親しく話す男の子たちから、女としてまったく意識されていない。一四歳にしてようやくそのことに気がつき、そして打ちのめされた。そんな残酷な現実は受け入れられない。自分に見切りをつけるなんてできない。

 だから整形した。

 親からもらった大切な体にメスを入れるなんて――そんな風潮はいまだに根強く残っているけれど、わたしはこれっぽっちも迷わなかった。

 そうして、わたしは生まれ変わった。


「ユリカちゃん、モテるでしょ?」

 今ではこんなセリフも当たり前のように耳にする。

「ううん、ぜんぜん」

 実際はモテモテだった。整形して以来、わたしを見る男の子たちの視線はまったく違うものになった。

「モテないはずないよ。かわいいし、スタイルいいし、性格も明るいし」

「そんなことないってー、ほめすぎだよ円城寺くん! あはは」

 おいしいワイン、甘い言葉、そして円城寺くんの熱烈なまなざし。今こうして満ち足りた気分で、夢見心地の中にいられるのは、『小松千世子』という古い殻を脱ぎ捨てたからだ。

 欲しいと願う“モノ”は、指をくわえて見ているだけじゃ手に入らないのだ。

 唐突に、「ドン」という地響きのような音が聞こえた。

「わ……今のなに?」

 音は外から聞こえたようで、わたしはガラス戸の向こうに目を凝らした。

 もう一度、「ドン」という大きな音がしたかと思うと、おどろくほど近くの空に花火が見えた。

「花火やってるよ!」

 わたしは弾かれたようにソファから立ちあがり、ガラス戸を開けてテラスにおどり出た。

 眼下に見える丘の向こう側から、次々と花火が打ちあがる。

「うわー、きれい」

「毎年、海岸で花火大会があるんだよ。近場の人間しか集まらないささやかなものだけどね」

 テラスに出てきた円城寺くんと、ふたり並んで手すりによりかかる。

「すごーい」

 黄、赤、青、緑、紫。夜空の黒いキャンバスが鮮やかに彩られてゆく。大輪の花が空一面にぱっと広がり、光のしずくが落ちていく間をぬって、また次の花火が尾を引いて空に舞いあがる。

 ムっとする暑さもなんのその、まるで神様が用意してくれたような絶好のシチュエーションに、わたしはますますうっとりとした気持ちになった。

 今こそわたしを落とすタイミングじゃないだろうかと、横目でちらりと円城寺くんを見た。

 彼は横目でわたしの胸をのぞきこんでいた。


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