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☆1 ユリカ

※ろくでもないお話です。

 目的の場所に到着したのは、山道を小一時間ほど走ったあとだった。

 丸と四角と三角のつみ木で組み立てたものを、そのまま大きくして豪華にしたようなヘンテコリンな家だ。夜の闇のなか、大げさなくらいにライトアップされている。

「夏はここに来ることが多いかな。海も近いからね」

 円城寺くんはそう言うと、BMWのエンジンを止めてそそくさと車を降りた。

 彼につづいて助手席から降りると、外は相変わらずのむし暑さだった。ジジジ、という虫の声を聞きながら、円城寺くんとふたりで玄関のほうに向かう。

 近ごろの医大生は、別荘くらい持っていて当たり前なのだろうか。それとも、泣く子もだまる円城寺財閥の御曹司なればこそか。とにもかくにも、わたしなんかとは住む世界がまったく違う。

 円城寺くんが玄関のぶあついドアを開けると、ひんやりとした空気がわたしの頬をなでた。

「あれ? 冷房きいてる。誰かいるのかな?」

「いや、空調は年中動いてるんだよ。デリケートな観葉植物なんかもあるからね」

 彼は長い前髪を首の動きだけでかき上げた。

 吹き抜けになった玄関の広間は、ちょっとしたホテルのロビーみたいだった。天井に燦然と輝くゴージャスなシャンデリアが、大理石の床をまぶしいくらいに照らしている。黒いえんび服を着こんだ執事が突然あらわれて、「お帰りなさいませお坊ちゃま」と言いだしてもまったく違和感なし。

 すると、奥につづくうす暗い廊下の先に黒い影があらわれた。

 執事さん……?

 黒い影が、ものすごいスピードで近づいてくる。

 ドーベルマンだった。低くうなりながら、鋭い牙をむきだしにして、あきらかにわたしのほうに向かってきている。

「ひええっ!」

「ハービー! シット! シット!」

 円城寺くんが命令すると、ドーベルマンはすんでのところで動きを止めて、その場にお座りをした。

「ごめんね、驚かせちゃって」

「ひ、ひい……」

「奥の部屋に入れてくるから、ちょっとここで待ってて」

 犬がいなくなるまでのあいだ、わたしがずっと全身を小刻みに震わせていたのは、小学二年生のころにお尻をかみつかれて以来トラウマになっているからだ。チワワに追いかけられて、どぶ川に飛びこんだこともある。そんなわたしにとって今のできごとはあまりにもショッキングで、案の定少し失禁していた。

 しばらくして円城寺くんが戻ってくると、わたしは一階のリビングに案内された。

 部屋はテニスコートくらいの広さで、生活感のないショールームみたいな雰囲気だった。正面の壁に大きなガラス戸があり、その向こう側はテラスになっている。外は真っ暗でなにも見えなかった。

「そのへんに座ってて」

 ツヤツヤの高級ソファを指さして彼が言った。

「飲みものでも出すよ。ワインでいいかな?」

「うん、ワイン大好き」

 アルコールが入っていればなんでもいいのだ。

「赤でいい? マルゴーの八二年ものがあるんだ」

「ほんとに? 飲もう飲もう!」

 マルゴーってなに? って感じだけど、きっと信じられないくらいおいしいに決まってる。

 円城寺くんは、リビングのすみっこにあるカウンターキッチンの中に入っていった。

 わたしはソファに腰を下ろすと、肩にぶら下げていたポーチをとなりに置き、ほっとひと息ついた。なんとも言えない優越感。わたしがいま座っているこの席は、熾烈な戦いをくぐり抜けて勝ち取ったものなのだ。

 合コンという、むきだしの欲望がうずまく泥沼の戦いを。

 今日きていた女の子たちのほとんどは、円城寺くんがお目当てだった。そんななか、綿密な計画と周到な準備、そしてときには卑劣なこともやってのけて、ライバルたちを出しぬき、押しのけ、二次会のカラオケに向かう一行から彼とふたりで抜けだすことに成功した。今さらながら、『虹川めぐみの合コン必勝テク~お持ち帰りされちゃえばいいじゃん!』を熟読しておいてよかったと思う。

 とはいえ、わたしのルックスが一番の勝因だったことは間違いない。今日あつまった男の子の半分くらいはわたしが本命だったようだし、あの場でベストカップルを選ぶとすれば、わたしと円城寺くん以外は考えられない。

 思えば長い道のりだった。ようやく今日、七年越しの夢がかなう。

「BGMがないと寂しいよね」

 円城寺くんはそう言って、キッチンから持ってきたボトルとワイングラスをテーブルに置くと、そのままステレオのところへ行った。

 棚にびっしりと詰まったレコード盤を一枚一枚手に取り、吟味している様子。

「スヴェトラーノフなんてどう?」

 すべとら……?

「うん、いいかも」

 彼は宝ものを扱うような手つきでレコードをプレイヤーにセットして、そっと針を落とした。ぶつりぶつり、という小さなノイズのあとに、オーケストラの演奏がはじまった。クラシックなんてさっぱり理解できないけれど、きっと素晴らしく価値のある音楽なのだろう。

「じゃあ、あらためて乾杯ということで」

 ワイングラスを軽く持ちあげて、円城寺くんはクールにほほえんだ。白い歯がきらりと光る。リアルでそんな光景を目にするのは初めてのことだった。

「ユリカちゃん、かなり強いよね。店でもけっこう飲んでたみたいだけど」

「え? あ、うん。お酒大好きだから! あはは」

 一瞬、誰のことかと思ってしまう。『ユリカ』と名乗っていたことをすっかり忘れていた。

 合コンの顔あわせから、かれこれ三時間くらいたつけれど、円城寺くんがわたしの正体に気づいている様子はまったくない。もっとも、気づくはずはないのだけれど。

 今はまだ、『小松千世子』の名を明かすわけにはいかない。


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