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週1習作

レモンソーダの世界

作者: 美よ十

 部室に置いてある私物の量はさほどもなく、筆やら絵具やらが全て、小さな紙袋にまとまってしまった。画板や筆洗は学校の備品を借りていたし、何より俺は、まだ入部して数か月だったから、制作した絵も大した枚数ではなかった。

 俺がすっかり荷物をまとめると、ずっと黙って後ろで見ていた顧問の飯田先生が、やけに口惜しそうに呟いた。

「本当に出て行ってしまうんだな」

 俺は少しばかり後ろめたく思っていた。飯田先生はずいぶん俺の絵を褒めてくれたし、夏の大会に応募してみてはどうかとか、秋には文化祭もあるとか、あれこれと理由をつけて俺を引き留めようとしていた。俺が断固として退部したいと訴えるものだから、しぶしぶ退部届を受理してくれたものの、未だに納得はできていないようだった。

 だが、先生がどれだけ目をかけてくれるからと言って、これから美術部に残ってやっていけるとは思えなかった。俺は先生に深く頭を下げて、部室から立ち去った。


 俺は退部してしばらくの間、到底絵を描こうという気になれなかった。それでも子供のときからずっと好きだったことというのは、簡単に忘れられるものじゃない。

 初めは落書きのようなものだった。しっかりとした構想も、上手く描こうという意気込みもなしに、シャーペンで輪郭を辿っただけの寂しいデッサンだ。俺はいつの間にかノートの隅に描かれていたそれを見て、戸惑った。俺はまだ描けたのか、というのが正直な印象だった。ずっと、描きたいものを描きたいだけ描いてきた俺にとって、描こうと思えないというのは、描けないのと同じことだった。だが実のところ、描く能力そのものがが消え去ったわけではなかった。それは俺にとってずいぶんと奇妙なことに感じられた。

 そのうち少しずつ描けるものが増えてきた。俺は正直なところ、安心していた。描こうと思って描いているものではなくても、俺がこの手で絵を描いているのは確かだった。それだけで自分が立ち上がって復活していくような気持ちになった。

 俺は数日間、落書きを紙切れに描いては積み上げることを繰り返した。だんだん机の上が占領されてきたので処分しようとしたのだが、ふともったいない気がして、気に入ったものだけ記録に残すことにした。

 絵の投稿は、半年ぶりだった。高校受験の直前期になってぱったり使わなくなったアカウントは、もともと少なかったフォロワーがさらに減っていた。誰かに見てもらいたくて上げたんじゃないと思いつつも、今日の絵は誰の目に留まることもない、文字通り呟きなのだと考えると、少し寂しさもあった。


 例の投稿に「いいね」が三つほどついているのに気づいたのは、数日間放置した後だった。

 うち二つは昔からのフォロワーからのものだったが、一つは『りあ』という知らないアカウントだ。一体どんな奇特な奴が俺の絵を見たのだろうかとプロフィールを開くと、趣味でゲームを作っています、という文字が飛び込んできた。

 意味も分からず、だが興味を惹かれて、画面をスクロールする。最新の投稿は一か月前で、短い動画が貼りつけられていた。一人称視点のアクションゲームのデモプレイらしい。いかにもダメージが入りそうなとげとげが画面の奥側から飛んでくると、左右や上下に視界が動く。おそらくキャラクターを操作して躱しているのだろう。ゲームとしてはどこかで見たような単純なものだが、どこかの会社ではなく、趣味で作ったというのは凄い。俺はその投稿に「いいね」を押した。

 翌日、『りあ』からフォローされた。投稿を再開して初めてのフォロワーだったから、俺はそれだけでちょっと嬉しくなって、すぐにフォローバックした。

 それからしばらくは、互いの投稿に「いいね」をつけあう関係が続いた。俺は一応高校があるので、投稿は夕方以降に集中するのだが、『りあ』は午前中の変な時間にゲームの進捗を上げることがあった。仕事をしていないのか、昼夜逆転なのかと疑ったこともあるが、どうやらゲームは全て一人で作っているらしいので、それほどの技術があるならプログラマーなどを仕事にしていて、時間の自由がきくのかもしれないという予想に落ち着いた。

 だから、『りあ』から連絡が来たときにはかなり驚いた。

『私の新しいゲームのデザインを考えてくれませんか?』

 メッセージはその一文から始まっていた。

『いつもあなたの絵を拝見しています。私には絵のことは詳しく分かりませんが、一枚一枚が思ってもみないようなアイデアで描かれていて、発想力を尊敬するばかりです。ご存じかと思いますが、私は個人的にゲームを制作しています。私は元の絵があればモデリングもできますし、それを動かすこともできます。でも、デザインを考える力はないんです。簡単なものでも構いません。どうか、ご協力いただけないでしょうか』

 俺は数回、その文面を読み直して、質問を返した。

『俺の描いた絵が、りあさんの作ったゲームの中で動くってことですか?』

 二日後、端的な答えがあった。

『動きます』

『りあさんがゲームの内容を考えて、俺がそれに合わせた絵を描くんですか?』

『私はそういったことを考えるのは苦手なので、もし世界観やストーリーも考えて下さるならありがたいです』

 俺は何だかどきどきしてきた。『りあ』が自分のことを評価してくれたのも嬉しかったし、それに、俺が描いた絵がゲームになるなんて、普通に生きていたらありそうにない話だった。不思議なもので、今の俺には明確に描きたいという意志があった。

『やらせてください。ご協力します』


『りあさんはどういったゲームが作りたいんですか?』7月2日 18:11

『あんまりこだわりはないんですが……やっぱり動きがある、アクションゲームでしょうか。遊んでいて楽しいので』7月3日 13:42

『自分でも遊ぶんですね』7月3日 19:16

『売り物じゃないので。一応公開もしてますけど、多分自分しか遊んでないです』7月4日 8:05

『こんなのはどうですか』7月8日 23:03

〈画像〉7月8日 23:04

『かわいいですね!』7月10日 7:16

『これは、背景ですか? この描いてある泡が背景で動く感じでしょうか』7月10日 7:19

『その泡が弾なんです。前のゲームでとげとげだったやつ』7月10日 22:50

『なるほど、考えもつきませんでした』7月11日 8:23

〈動画〉7月14日 11:43

『こうですね』7月14日 11:44

『すげー、めっちゃ動いてるw』7月14日 18:05

『プレーヤーの動かすキャラとかは考えなくてもいいんですか?』7月14日 18:16

『三人称視点のゲームにするってことですかね』7月14日 19:32

『そんな感じです』7月14日 19:45

『いいかもしれませんね』7月14日 19:48

『もっと視野を広くして、360°から弾が飛んでくるようにしても面白いかも』7月14日 19:56

『え、めっちゃむずくないですか』7月14日 20:11

『ゾンビを倒すようなゲームなら、似たようなのがありますよ』7月14日 20:37

『へえー』7月14日 21:05

『ごめんなさい、俺あんまりゲームしないから』7月14日 21:06

『いえいえ、私だって遊ぶのはそんなに得意じゃないですし』7月14日 21:07

『完成したら遊んでみてもいいですか?』7月14日 21:09

『もちろんです! ぜひよろしくお願いします』7月14日 21:13

『描いてみたんですけど』7月18日 18:47

〈画像〉7月18日 18:48

『いいですね! 色とか、背景の雰囲気とも合ってて』7月18日 19:21

〈画像〉〈画像〉7月22日 9:59

『どうでしょうか』7月22日 10:03

『めっちゃいいと思います』7月22日 10:19

『今日、平日ですよね? この時間大丈夫なんですか?』7月22日 10:24

『昨日から夏休みなので』7月22日 10:25

『あ、学生さん?』7月22日 10:31

『高校生です』7月22日 10:47

『すごい。絵上手いですね』7月22日 11:01

『同じ高校生でも、もっと上手い人たくさんいますよ』7月22日 11:04

『でも上手いですよ』7月22日 11:06

『やっぱり、美術部とかで頑張ってるんですか?』7月22日 11:07

『入ってたんですけど、やめちゃったんです』7月22日 11:10

『どうしてですか?』7月22日 11:14

『何か偉そうですけど、肌に合わなくて』7月22日 11:19

『なるほど、そうだったんですね』7月22日 11:19

『何時から何時まで絵を描く時間って決まってるのが、すごく嫌で。絵を描くのは好きなはずなのに、描けって言われた瞬間に嫌いになったというか』7月22日 11:26

『そうでしたか……好きだったことができなくなったのは辛いですね』7月22日 11:28

『ごめんなさい、変な話して』7月22日 11:29

『いえ、そんなことないですよ。こちらこそ、嫌なことを思い出させてしまってすみませんでした』7月22日 11:31

『今、絵を描いてくださってるのは、嫌じゃないですか?』7月22日 11:49

『大丈夫です。これは好きで描いてますし、りあさんがゲームにしてくれるの楽しみだから』7月22日 11:53

『作業、どんな感じですか?』7月30日 10:18

『ごめんなさい』7月31日 10:33

『助けて』7月31日 10:33


 俺は気づけば駅まで走り、電車に飛び乗っていた。

『T駅の前の広場にいます』『誰か呼んでくれませんか』

 正直、ネットでしばらくやり取りしただけの相手と会うことに不安もあった。『りあ』は今までの文面だと女性に思えるが、直接顔を見たり、声を交わして会話したわけではなかったし、一方の俺は自分が高校生なのも明かしている。どんなに困ったからといって、会ったこともない高校生に助けを求めるなんてことがあるだろうか。

 理にかなっていない、おかしいと思いながら、俺は動かずにはいられなかった。

『一体何があったんですか』

『発作が』

 俺はすうっと血の気が引くのを感じた。

『発作っていまどな漢字ですか。救急車』

 焦るあまり誤字だらけのメッセージを送ってしまったが、『りあ』はすぐに返答してきた。

『持病なんです、パニックの発作』

 パニックの発作って何だ、と俺はまず思った。

『死んだりはしないから救急車はなくて大丈夫です』『今回はそんなにひどくないし』

『でも、助けてって』

『動けないんです』『足がすくんで』『声も出なくて』

『今、一人なんですか?』

『一人です』『助けてくれるような知り合いがいなくて』『誰かいてくれたら動けます』『駅員さんとか、電話で呼んで下さるだけでいいので』

『もうすぐT駅なのでもうちょっと頑張ってください』

『来て下さってるんですか!?』

 俺は駅に着くや否や階段を駆け下り、人ごみを縫うように改札を抜けて広場に出た。

『今どの辺にいますか 服装は』

『東側の、隅の方です。青のストライプのワンピースです』『あと、帽子かぶってます』

 俺が走って向かうと、言われた通りの格好の女性が、この暑い中真っ青な顔をして、スマホを握りしめて震えていた。

「りあさん……?」

 息を弾ませながら訊ねると、女性はこくこくと小さく頷いた。

「大丈夫ですか、歩けますか? 一体どのぐらいここに」

『りあ』は口を引き結んだままだ。俺は先ほど、声が出せないというメッセージがあったことを思い出した。

「俺がいたら、動けますか」

『りあ』がもう一度頷いたので、俺はともかく彼女を人の少ないところまで連れていくことにした。とはいっても真昼の駅前広場で、人の少ないところなどない。俺はしばらく考えて、ともかく駅の中に入ることにした。この日差しでは発作どころか熱中症になってしまう。

『りあ』は一歩駅の中に入ると、周囲のざわめきにかき消されそうな弱々しい声を絞り出した。

「あの辺りに」

 俺は言われた通りの場所まで、『りあ』と並んで歩いた。『りあ』はずらっとポスターや電子掲示板の並んだ壁に背中をもたせかけて、ようやく深く息を吐いた。

「ありがとう。迷惑かけて、ごめんなさい」

「いえ……あの、大丈夫なんですか?」

「誰かいてくれたら、ずっとましなんです。私は、誰にも助けてもらえないんじゃないかって思った途端に、怖くなっちゃう病気だから」

「だったらどうして一人でいるんです」

「本当はよくないんだけど」

『りあ』は弱々しく笑った。

「あなたが、悲しい思いをしたのに、前向きに頑張っていたから。私も頑張らないと、って考えちゃったんです。私は病気になってから会社をずっと休んでいるから」

 知らず知らずのうちに、俺に対する『りあ』の評価は随分と高くなっていたようだ。

「発症したときより改善してる感じもしていたし……でもやっぱり、まだ少し早かったみたい。無理なら無理で、ここまで来ないでさっさと帰っていたら、あなたに迷惑をかけずにすみましたね」

「何か用事があったんですか?」

「今使ってるパソコンのメモリを増設したいなって思ってたから、この機会に買いに行こうと思ったんです。3Dのゲームを高解像度で作るには、それなりの容量が要るので」

「えっと、よく分からないですけど、この辺じゃないとそれって手に入らないんですか?」

「通販の方が品揃えはいいぐらいかもしれません」

 俺は猛然と声を上げた。

「だったら無茶したら駄目ですよ。突然助けてなんて言われて、俺がどれだけ心配したと思ってるんですか」

「本当にすみません……」

 しおれたような『りあ』を見て、俺はおどおどと言葉を継いだ。

「その、俺、本気で怒ってるわけじゃないですから。とにかく無事でよかったです。えっと……家はどっち方面ですか?」

 俺は一瞬続きを飲み込みかけたが、思い切って言った。

「あの、最寄り駅まで送ります」

『りあ』は怪訝そうに俺を見上げた。

「そこまでしていただかなくても……」

「電車も人多いですし、一人だと困りますよね。それに、このままりあさんを一人にするの、俺不安で敵いませんよ」

 しばらく目を伏せて考えていた『りあ』は、やがて困ったように微笑んだ。

「……じゃあ、せっかくなので」


 レモンソーダの世界に泡が弾ける。

「うわ」

 俺はしばらく必死でキーを上下左右に叩きまくっていたのだが、あっという間に残機がなくなってゲームオーバーしてしまった。

「どうですか? 反応がおかしいとかありませんか」

「えーっと……ごめんなさい、よく分かんないです」

「難しい?」

「俺、この手のゲームはあんまり……」

「そうでしたね」

 相槌が笑いを含んでいるような気がして、俺は縮こまる。

「でも、多分大丈夫だと思いますよ。ちゃんと操作には反応してるっぽいし……俺が反応できてないだけで」

「グラフィックで気になるところとかは――」

「それは、ばっちりです」

「なら、完成ですかね」

 俺は思わずガッツポーズを決めた。

「ここまで手伝って下さって、ありがとうございます。私一人じゃ、このクオリティのものは作れませんでした」

「えっ、いやいやそんな……だって作ったのほとんどりあさんじゃないですか」

 俺は『りあ』に必死で訴えた。

「凄いのはりあさんですよ。俺はりあさんのこと、本当に、その……尊敬してるんですから」

『りあ』はちょっと可笑しそうに笑って、そっぽを向いて言った。

「そういうことを言いたいなら、まずは高校を卒業しないとね」

お題:恋愛×爽快


毎週日曜日に習作を投稿しています。

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