第94話 2つの走馬灯
正樹さん・・
正樹さん・・・
正樹さん・・・・
何度も呼んだ。
何度も呼んだ。
何度も呼んだ。
何度も呼んだ。
何度も呼んだ。
だけど、私の愛した人は、一向に返事をしてくれない。
どうして返事をしてくれないの?
どうして無視するの?
私がこれほど貴方を想っているのに。
これほどまでに貴方の事だけを考えているのに。
まさか、私の事が嫌い・・・なの・・・
「・・・・いや」
おのずと声に出している事に、少女は気付かない。
しかし
一度、口にして出した言葉はまるで、壊れた水道の蛇口のように溢れ流れてくる。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
貴方に嫌われる事が耐えられない。
貴方と一緒にいられない事に耐えられない。
貴方が私を拒絶する事が耐えらない。
貴方の隣に、他の女が存在する事が耐えられない。
早く、速く、はやく貴方に会いたい。
貴方のいない場所で、寄り道なんてしている場合じゃない。
だから
「待っててね。 正樹さん」
◆ ◇ ◆ ◇
教会内の重症患者が1人、また1人の息を引き取っていく最中、私は1人の女性にほぼ付きっ切りで治癒魔法を発動し続けていた。
まず、胸元から流れる血が一向に止まらない。
出血する量はそれほどではないが、どれだけ治癒魔法を発動させても塞がりかけた傷が再び開いていく。
これは只の傷ではない。
呪いの類と同じ性質に近いものだと理解する。
これではどれだけ治癒魔法をしても呪いの効果ですぐに傷が開いてしまう。
「こんな時、先輩がいてくれたら」
そんな弱音を口に出てしまった自分に叱責して、今は目の前の彼女を助ける事だけに集中する。
すると、教会外で軽症者と避難者を見ていた一人のシスターが慌てた様子で教会内に駆け込んできた。
「テレサさん! すみません! 少し外に来て頂けますか?!」
「どうしたんですか?」
正直、この状況で彼女から離れる事はあまりしたくはないのだが、シスターの慌てる様子にテレサは只事ではない事だけは分かる。
「そ、外の様子がッ!! 兎に角、来てください!」
シスターは動揺した様子でほとんど無理矢理な形で引っ張り私を教会の外へと連れてきた。
しかし、シスターが動揺していた理由は、その光景を見て納得した。
「うそ・・・なにこれ」
満天の夜空が赤く染まり、月までも赤く塗り替わっている。
空には大きな穴が開き、巨人よりも大きな得体の知れない生物が地上を見下ろしていた。
その光景は正に、世界の終焉を知らせているようだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああッ!! 誰か助けてくれぇぇえええ!!」
上空の異常な光景に理解が追い付かず茫然としている中、男性の悲鳴が響き渡ってきた。
声のする方を見ると、教会の外にいた化け物が結界の一部を破壊して侵入してきたのだ。
「や、やめろッ! 誰かッ! 誰か助けて!! 死にたくないッ! 死にだぐゥウがぁぁああッ!?」
最初に襲われた男性は化け物に襲い掛かられると、まるで体を包むように覆いかぶされれ、悲鳴はすぐにうねり声と変化した。
すると、男性の姿はみるみると変形していった。
身体の筋肉は赤く変化していき、瞳は黒く、歯は牙へと変わっていく。
中でも一番印象的だった箇所、それは角が生えた事だ。
頭に一本の角が生えてきた姿に、テレサはとある既視感を覚える。
(あの角は・・何処かで)
しかし、考えている暇は一秒たりとも現実は与えてくれない。
教会の結界が破壊された事実と、襲われた男性が化け物へと変わる姿を見ていた避難者達が混乱を引き起こしてしまった。
不安が人から人へと伝染していき、一瞬の集団パニックを引き起こした。
「皆さん! 落ち着いてください! すぐにギルドの方々がキャッ!!」
化け物から逃げようと教会内に逃げ込んでくる避難者達を落ち着かせようとしたシスターが人に吹き飛ばされた。
テレサはすぐにシスターを立ち上がらせて教会の壁側へと非難させた。
あのままいると雪崩のように人が倒れ込み被害はより大きくなると判断したからだ。
「どうしましょう。 このままでは・・」
「大丈夫です! 中にはギルド職員の人達もいます。 すぐに結界の再構築と集団の鎮静をするので」
ギルド職員の約6割は元冒険者の人達だ。
その為、命の危機と隣り合わせの仕事をしてきた事もあり、ある程度の冷静な判断が出来るようになっている。
勿論、冒険者経験のない職員も日頃からの訓練とマニュアルに習った行動は心得ている。
その為、テレサもすぐにその場の鎮静に動き出そうとした。
その時だ。
今度は教会内からも人の悲鳴が響き渡ってきた。
「ダメだ! ダメだぁぁああ!! 教会の中にも化け物がいるぞ!!」
「 !? 」
教会の中から悲鳴を上げながら出てきた避難者の言葉に、テレサは驚愕する。
そんな筈がない。
教会の中は重症患者の怪我人と一部のシスターしかいない。
そんな中にどうやって化け物が出現すると・・・
「まさか」
テレサは跳躍魔法の術式を発動させて、避難者の上を飛び越えて教会の扉に向かう。
するとそこには、テレサがここに入ってきた時に運ばれていた1人の患者が、先ほど外から侵入されて男性を襲った化け物と同じ姿になっていた。
テレサが感じていた既視感は、その患者にも角のような物が生えていた事だった。
教会内ではすでに複数の人が化け物と変化した人物に襲われ床に倒れ込んでいるのが見える。
「皆さん! その場から離れてッ!!」
テレサはすぐにギルドマニュアルに乗っ取り、暴動によるトラブルの対処を実行する。
ギルドマニュアル 暴動騒動に起こる際の行動の1つ。
相手が危害を与える場合、その場を持って武力行使を厭わない。
「 生命の雫 芽の蕾 花咲く緑よ 悪を縛り 身を守り給え 【大地の幹】 !!」
化け物へと変化した人の足元に魔法陣が発動されると、床の隙間から木の幹が生え、あっという間に体全体を縛りあげた。
普通の人間なら抗う事も出来ない力で縛り上げられる為、身動きが取れない。
そもそも大地の幹事態が討伐ランクAクラスの魔物でさえ捕える事が可能な上級魔法に匹敵する。
そんな魔法で縛られれば抵抗する気力さえ取れない・・はずだった。
「うそ・・ッ」
しかし、化け物はそんな魔法をパワーだけで簡単に弾き飛ばしてしまったのだ。
そして当然、自分を縛りつけようと魔法を発動させた相手に化け物はすぐにテレサを睨みつける。
(やばい、どうしよう・・マニュアル通りに、ダメ。 遅い。 このままじゃ・・・)
周囲の視界に写るのは不安な様子で眺める一般人。
そこに数人の同業者とシスター達が必死に逃げる様に叫んでいるようだったが、テレサが次の動作へ動き出す前に、化け物はテレサへの攻撃範囲にまで一瞬で近寄ってきていた。
あと半歩、足を進められれば化け物が振り上げた腕がテレサの頭を叩きつける。
防御魔法
遅い
避ける
間に合わない
どうしよう
どうしよう
どうしよう
どうし――
『ねぇ、知ってた? 人が最後に死ぬ時に見る走馬灯にはさ。 2つのビジョンを見る為らしいよ。 1つはその場で死を回避する為の知識を無理矢理引き出そうとする人間の本能なんだってさ』
いつの日か。
仕事の休憩の合間に仲の良い同僚がそんな話をしていた事を思い出す。
『そんでもって2つ目はさ』
愛しい人の顔を最後に思い出す為なんだってさ。
(あぁ、本当だね)
私が最後に見た人の顔はやっぱり、少し意地悪で年上の男性の顔だった。
「せんぱ―――」
ドンッ!!
大きな衝撃音が教会内に響き渡り、周囲の人達は息を飲んで言葉を失った。
「・・・?」
しかし、テレサは不思議だった。
化け物の腕が頭に振り下ろされそうになった直後に目を閉じてしまい、状況が分からない。
何故ならテレサはまだ、生きているからだ。
だけど確かに大きな音と足元から大きな振動が伝わってきた。
少しずつ目を開けると、化け物の身体には黒い鞭のような物が何重にも縛りつけられ動きを止められていたからだ。
一体何が起きたのか呆然とする中、コツッと誰かが教会の奥から歩いてくる音が聞こえた。
「 全員、今起きた事はすべて忘れなさい 」
静かで、でもハッキリと外まで響き渡る声。
「 落ち着きなさい。 冷静になりなさい。 今、この場所には何も起きなかった。 何も起こらなかった。 だから全員、元のいた場所へ戻りなさい 」
女性の声だ。
聞いた事がある声。
その声の女性が放つ声は何故か安心感があり、心の底から信じられる確信のような物が伝わってくる。
すると、周辺の人達は次から次へとさっきの騒動が嘘だったかのように落ち着いた様子で教会の外へと出て行った。
コツ・・コツ・・コツ・・
近づいてくる足音の方を見ると、そこには先ほどまでテレサが治癒していた女性、由紀が長い髪を揺らしながら、ゆっくりと歩き寄ってきた。
「・・・なるほど。 神鬼ね」
・・・しん、き?
由紀が小さく呟いた言葉に疑問を持っていると、急に目の前がクラクラとしてきた事に気が付く。
「あら、貴女は確か・・・。 いいわ。 とりあえず安心しなさい。 外の鬼もここにいる鬼も全部連れて行くわ。 だから今ここで起きた事は全部忘れなさい」
そういうと、由紀は黒い渦のような物を空間に発現させて、鬼と呼ばれた化け物と共に消えていってしまった。
「待っててね正樹さん・・今、行くわ!!」
最後に何か聞こえたような気がしたが、テレサはそれを最後に意識がプツンッと切れた。




