第75話 登場
「正樹様ッ!」
巨大な生物へと一直線に頭部までたどり着いた正樹の姿が消えたと同時に隣の建物から大きな音が聞こえた。
ハッキリとは見えなかったけど一瞬、人影のような物が正樹様に突っ込んいくように見えた。
案の定、さっきまで痩せこけた女性はあれだけピースちゃんに固執していたはずなのに周囲を見渡しても見当たらない。
~~~ッ・・~~~~!!
「ピースちゃん・・」
腕の中で両耳を手で押さえながら震えるピースはあの巨大な生物が現れてからずっと同じ事を呟いていた。
「来る? おに? おにって一体、何の事?」
聞いた事もない個体名を呟き続けるピースを少しでも安心させようと抱きかかえる力を強くしてある事に気付いた。
両耳を抑える手で気づかなかったが、いつの間にかピースは目をハッキリと開けて巨大な生物を凝視していたのだ。
その瞳から感じ取れるのは恐怖、憎悪、そして齢10歳の少女がするはずのない殺意だった。
「もしかして、あの大きなのが・・おに?」
攻撃を仕掛けてきた正樹を見失い周りを見渡している巨大な生物。
頭には2本の角を生やしているそれは真っ赤な瞳をこちらに向けた。
「ッ! まずい!」
正樹の事は気になるが、今は兎に角ピースを安全な場所へ連れて行く事を優先する事にした。
神に敗れる前の状態であれば、あれくらいの生物などどうにか出来る。
だが今のアンナは町娘と変わらない力しか発揮できない。
唯一対抗できる賢者の石はあくまでも神との闘いに抵抗する為の代物だ。
通常の魔法や物理攻撃には一切効果を発揮しない。
グラァァァァァァァァッ!!!!!
「キャッ!」
ピースが おに と呼ぶ巨大な生物はまるで逃げ去ろうとするアンナに向けて咆哮した衝撃音のような物でバランスを崩してしまった。
「ピースちゃん?! ごめんね! 大丈夫?!」
咄嗟に庇うように倒れ、一見ピースに怪我はないようだったが先ほどの咆哮でピースの様子はさらにおかしくなった。
――おにが来る倒さないと逃げないとダメ来るおにがにげないと倒さないとおにがたおさないと逃げないとダメくるおにが来る倒さないと逃げないとダメ来るおにがにげないと倒さないとおにがたおさないと逃げないとダメくるおにが来る倒さないと逃げないとダメ来るおにがにげないと倒さないとおにがたおさないと逃げないとダメくるおにが来る倒さないと逃げないとダメ来るおにがにげないと倒さないとおにがたおさないと逃げないとダメくるおにが来る倒さないと逃げないとダメ来るおにがにげないと倒さないとおにがたおさないと逃げないとダメくる――
一息もつく事なく同じ事をずっと言い続けるようになった。
目の焦点もあっておらずまるで何かトラウマを思い出したかのうように身体を震わせている。
(どうしよう・・このままだとピースちゃんが、でも逃げないと・・どうやって? 倒す? あの巨大なのと? 無理、今の私じゃ・・でもこのままじゃ・・)
幼い少女の錯乱した状態を見てアンナは適切な判断が出来なくなっていた。
多少の修羅場など魔王の座にいた頃に経験してきた。
命を狙われる事など日常的にあった。
魔族を統一する為に危険な事も多く行ってきた。
しかし
それらはどれも自分の身が危険な場合の状況だった事だ。
周りにいた信頼できる魔族は先代の魔王でさえたじろぐほどの強さを持った者達ばかりだった。
知識も知恵も、魔力も身体能力も戦いにおいて必要なスキルは恐らく現役の魔王だったアンナ以上の強さがあった。
だからこそ、アンナは今まで経験したことがない。
他人が自分よりも弱く、守り救わなければならない対象である事を。
「 ! おにの手がッ!」
判断の整理が出来ずに考え込んでいる最中、いつの間にか鬼はアンナとピースを掴みかかろうと手を伸ばしていた。
まるで大きな岩のような手との距離は子供を抱えた状態のアンナには避ける事が出来ず、咄嗟にピースを庇おうと抱きかかえる。
(正樹様ッ!!)
グギャァァァァアアアアアアッ!!!!!
逃げる事も出来ず、思わず鬼に握り潰されると諦めたその時だ。
鬼は悲鳴を上げて咆哮を上げた。
一体何が起きたのか理解できずにゆっくりと目を開けて鬼を見ると、アンナとピースを掴みかかろうとした鬼の片手が肘の辺りまで綺麗に消えていた。
「い、一体何が・・・ッ!!」
何が起きたのか。
何故鬼の手が綺麗に消えたのか分からない。
・・でも
でも1つだけ
理解は出来ないけど納得してしまう光景をアンナは目にしてしまった。
痛そうに腕を抑えながら、鬼は大きな巨体を空へと向けて真っ赤な瞳で睨むように空を見る。
鬼が見ているの満天の星空でも夜空そのものでもない。
宙に浮いているそれを睨んでいた。
街が燃える火で真っ赤に輝くように見える長い黒髪を風になびかせながら、誰にも怖気ない堂々とした姿勢でその人は鬼を見下している。
鬼を見下しているその人は、よく見ると口を動かしている。
どうやら何かを言っている。
耳を傾けても聞こえない声ではあるが、アンナはその人の口の動きで何を言っているのか理解できてしまった。
「ねぇ、アンちゃん」
その人は誰よりも正樹の事を知り
「私、知りたい事があるの」
その人は誰よりも正樹の事を愛して
「この鬼みたいなのとかここが何処なのかどうでもいいの」
その人は誰よりも、正樹の事を想って
「私が知りたい事はただ1つ」
そして、誰よりも正樹の事を慕っている
「正樹さんは・・・どこ?」
そんな綺麗で素敵な恐ろしい人が、首をカクンッと斜めに倒して私を見た。
 




