第74話 女の先手
「なんだ・・あれ」
目の前に立つ大きな生物に正樹はただ呆然と立ち尽くして眺める事しかできなかった。
人間のような姿形をしているが、明らかなに出鱈目な大きさからして人間とは全く別の生物である事は明白だ。
ただ、正樹にはその生物がどういった名称なのか一目見て理解はできていた。
人間と同じ形状をしていながら、頭に角を生やした巨大な生物。
御伽噺にも出てくる悪の概念。
――人はそれを 鬼 と呼ぶ。
「キャはハはハはッ!! スゴイすごーいッ! 本当に来タッ!」
痩せこけた女性は鬼を見上げながらプレゼントをもらった子供のように飛び跳ねて笑っていた。
「まさかこれ、アンタの仲間か・・ッ」
もしそうなのだとすれば最悪だ。
英雄の国とも呼ばれた平和な国の現状が悲惨な状況となっていながら、さらには気の狂った女を相手にしながらあんな巨体まで相手にしなければならないのかと。
しかし
女性は正樹の質問を聞くと呆けたような表情を浮かべ、しばらく考えるように腕を組む。
「う~ン・・ウん? なかマ~・・ではないかなァ? ワタシも初めて見たシ」
「 ? でもアンタはあれの事を知ってるんだよな?」
「ん~ヤ? 知らないけドぉ?」
どういう事だ?
仲間でもないのにあれだけはしゃいでいたのか?
やっぱり完全に気が狂ってる変人?
「あ~でもあレ! なカまでもないしワタシはアれの事は何も知らないけどォ・・・」
女性はクネクネと体を左右に揺らしながら質問に答えていくと、首だけ傾けた状態でピタリと止まりにんまりとした不気味な笑みを再び浮かべた。
「ワタシの同類、にはなるのかナぁ??」
「・・・同類?」
次から次へと理解できない状況を組み込まれていく。
正直言ってもう頭が一杯で考える力もない。
このまま何も考えずに倒れ込んでしまいたい気持ちが内側から溢れ上がってこぼれてしまいそうだ。
「だけど、そういう訳にもいかないよな」
ダンッ! と足を踏み込み崩れそうな精神を無理矢理覚醒させる。
「こんな地獄みたいな状況をひっくり返す事なんて僕に出来る訳がないのは重々承知。 だけど、どうしても何とかしないといけない状況でもあるんだ!」
現実から目を背いている時間はない。
今、この瞬間、この時に!
どれだけの困難で理不尽な事だったとしても!
目の前に立つ悪を、見過ごすわけにはいかない!!
「・・・フ~~~~ん・・・」
女性は不気味な笑みを浮かべたまま、目を細めて正樹を見る。
まるで品定めでもしているかのようにじっくりと。
そんな中、女性の背後の建物から人が出てきた。
ボロボロで全身から血を流してはいるが鎧を見に纏い立派な剣を片手に持っている相手は恐らくこの国の兵士の男性だ。
「お・・おのれ・・よくも国を、家族・・を」
兵士の男性は血反吐を吐きながら最後の力を振り絞り雄叫びを上げて女性に向かって突進してくる。
「このッ化け物がァァァあああああッ!!」
剣を振り上げ、今にも女性の背後を真っ二つに斬り降ろそうとした。
その時
「グハッ! な、なんだ・・やめろ、オイッ!!」
さっきまで立ち尽くして止まっていた鬼が兵士の男性をまるで人形を持つかのように握り絞め持ち上げた。
「グッッ!! なんだッ? なんの魔法だこれはッ!!」
兵士の男性は、まるで鬼に自分が掴まれている事を視認していないかのように混乱している。
「クソッ! クソッ!! 殺してやる! 貴様のせいで!! 貴様達のせいで! 国は!! 家族は―――――ッ!!」
憎悪・嫌悪・殺意、そして復讐心。
兵士の心にはすでにそれらの感情が混ざり合って心の制御が出来ていない状態だったが、兵士は突然なんの前触れもなく鬼の手の中で力尽きた。
まるで兵士の命を鬼が奪ったかのように。
「―――ッ」
「正樹様! ダメッ!!」
兵士が鬼に掴まれ力尽きたその瞬間、正樹は女性にではなく鬼に向かって走っていた。
あんな巨人に一体何が出来るかと聞かれるとどうする事も出来ないが、それでもこれ以上ただ見ているが出来なかった。
鬼も正樹が近づいてきている事に気が付いたのか今度は逆側の手で正樹を掴みかかろうと手を伸ばしてくる。
「おせぇッ!!」
しかし巨体故なのか動きが襲い鬼の手を避け、正樹は伸びてきた鬼の腕に飛び乗り一直線に鬼の顔へと駆け寄る。
「ここならどうだァァァァァアアアッ!!」
正樹が狙ったのは鬼の片目。
いくら巨大とは言えどんな生物でも目に攻撃されれば少しは怯む。
人間でさえ小さな虫が目に入るだけで怯むのだ。
同じ2つ目がある鬼が効かない訳がない。
握り絞めた正樹の拳が鬼の目に届く・・・その瞬間。
正樹の視界は突然ぐるりと世界が周り、気が付けば鬼の横に建っていた建物の中に変わっていた。
「バぁッ!」
「!? アンタッ!!」
起き上がろうとした瞬間に床に押し付けてきたのは痩せこけた女性だ。
恐らく鬼に攻撃を当てようとした時に建物の中へ引きこまれた。
「ッ! 放せ!!」
「やァ~よォ」
女性は正樹に上乗りとなり動きを封じてきた。
腕も関節を決められ身動きがとりづらい。
さらにまずいのは床に押し付けられる際に女性のマントから見えた腰に装備している武器。
完全に短刀だった。
さっきまで神様の供物にしてやるのなんだのと笑いながら言ってきたのだ。
確実にここで殺しに来る!
どうにかして女性を押しのけようと暴れるが、痩せこけた顔に似合わず強い力で体を押さえつけられている。
まるで大きな岩が乗っかっているかのようだ。
「・・・ふフふ・・き~メたッ!」
床に押し付けてからジィ~ッと顔を眺めてくると思っていると何かを考え付いたのか今度はニマッと笑みを浮かべた。
何?
何を決めたの?
殺し方?
それとも人体の捌き方?
やれるもんならやってみろッ!
こう見えても多少のお仕置きなら彼女から受けて我慢できるからなッ!
・・・思い出しただけでもトラウマもんだったな・・
「なんて思い更けてる場合じゃ――ん」
最初に感じたのは柔らかい感触だった。
血の匂いと混じって香水の匂いが漂い、吐きかけた息が止まる。
なんだ・・いま・・何をされて・・・
現状の把握に時間がかかり口に感じる柔らかい感覚が離れるまで何をされていたのかまったく理解できなかった。
頬を赤らめながらペロリと舌で口元を舐めて見下ろしてくる女性を見て吹き飛びかけた意識が一瞬で覚醒する。
「ごちソウ様♪」
僕は今、名前も知らない気の狂った女性にキスをされていた。




