第71話 供物
目の前で涙を流す痩せこけた女性は体を震わせて深々と頭を下げた。
「ワタシですゥ。 わたしデございまスぅ! 貴女様の信者でございますゥ!」
女性はまるで神を崇めるかのように胸を握り絞め必死に自分が何者なのかを気づかせようと叫び続ける。
しかし
その必死な叫びの先には寝ぼけながらボーッとしているピースを抱きかかえて警戒しているアンナだけだ。
正樹はとりあえずアンナとピースの前まで駆け足で移動して2人から女性の視界を妨げる。
「いい加減にしてください。 子供もいるんですから迷惑を考えてください」
なるべく冷静に、かつ低い声で怒っている事をわざとらしく表に出しながら警告をしてみる。
しかし女性は2人の間に入って視界を妨げる正樹に対してさっきまでの崇拝していた表情から一変して睨みつけてきた。
「・・・アナタ邪魔でスねェ・・・今、ワタシが神サマに挨拶をしていたのが分かりませんかァ?」
カクンッと首を傾ける女性は一見ホラー映画の女性の幽霊のようだ。
それに合わせ殺気や憎悪と言った気分が悪くなるオーラまで感じ取れて更に不気味さがアップしている。
・・・が、それがどうした。
こちとらホラー映画の幽霊よりも恐ろしいヤンデレな彼女がいるんだぞ!
その程度の殺気や憎悪など受け流せるくらいに鍛えているわ!!
「ここに神様なんていません。 早くここから出て行ってください」
まったく動こうとしない正樹に対して女性はイライラと耐え切れなくなったのか自分の爪がガシガシと噛み砕きながら手に持っていた刃物を床に何度も何度も突き刺し始めた。
「なんなんですか貴方はァ? なんで邪魔するんですかァ? なんで死なないんですかァ?」
おかしいィですゥ・・おかしィッ!!
と何度も何度も同じ事を繰り返して言い続けると、まるで何かに気が付いたかのようにその不審な動きはピタリと止まった。
「そうゥ・・・そうかァ・・ッ!! 貴様は悪魔だなァッ?!」
「はぁ?」
思わず声が漏れた。
神様の次は悪魔ときた。
正樹はあまりにも自分の都合がいいような言い回しをしている女性に呆れ肩を落とす。
ここまで異常がある人であるのなら仕方がない。
扉を斬りつけ壊してしまった事で騒ぎを聞きつけホテルの従業員がそろそろ来る頃だろう。
それまで何とかアンナ達に近づかせないように立ち振る舞えば連れて行ってくれると考えた。
その時だ。
女性が持つ刃物からポタッと液体のような物が流れ落ちた。
「さっき神サマに捧げるはずだった供物を贄にして現れたんだなァ! 卑しい奴ッ! 厚かましい奴ッ! これだから悪魔はッ!」
液体は一滴ほどの量だけだが、真っ赤な色をしたそれは刃物と照り合わせ考えたくもないイメージが湧き上がる。
「待って、アンタそれ・・・一体・・」
「しらばっくれるかァ悪魔めェ! 人サマの供物を横取りしておいてよくもまァのうのうとしていられるものだァ」
女性は噛み砕く爪がなくなった事で今度は痩せこけた顔をガリガリと自分でひっかきまわす。
その際にマントで隠れていた刃物の柄が見えた。
それを見て正樹は思わず腹から胃液が混みあがりそうになったのが分かる。
刃物は料理に疎い正樹でも分かる立派な包丁だった。
遠くからでも鏡のように反射する包丁は大変大事に手入れされている物だと分かる。
しかし、刃物から上に柄部分。
女性の手と握り絞める包丁の柄は大量の血で濡れていた。
「神サマをお目にかかるのだァ。 それ相応の供物が必要だろォ? だから侵入した裏口にいた2人の料理人の命を捧げたのだァ」
さっきまでの憎悪と殺気で溢れた顔はゆっくりと快楽と至福を感じる幸せそうな表情へと浮かび上がる。
「しかし供物を準備する際に服と体を汚してしまってなァ? 仕方なく近くにあったこのマントで身を隠して供物で使ったこの包丁を綺麗にしたのだァ。 どうダぁ? 綺麗になっているだろうゥ?」
手に付いた血をペロッと舐めながら女性は今も幸せそうな表情を浮かびあげる。
「だけど仕方がないィ。 貴様のようなおぞましい存在を呼び起こしてしまったのはワタシの不始末ぅ。 だからァ~」
そして再び女性は殺気と憎悪を掛け合わして感情を表に出して正樹を睨みつける。
「貴様をォ、代わりに捧げるとしようォ・・・我が主の為に」




