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聡盟大学附置哲学人研究所FW部  作者: にじいろ
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3:【意味を見出だすこと】

 各種カメラ三台、小型発信器、P逆療法式抗哲機とA同質効果式抗哲機(共に試作段階。実験用とラベルがされてある)に、検体サンプル容器、採取シリンジとスポイト、飴玉にタオルに受信機に新品のメモ帳。

 ……といういつもの仕事道具は荷台に押し込んで、私は今小型録音機と抗哲機二種だけを隠し持った状態で車に乗っている。服装も私服だ。ただ私は普段から地味で動きやすい服を選んでいるし、私の勤める聡盟大学附置哲学人研究所は私服と白衣が基本だ。

 隣に居るのは哲学人犯罪取締課職員の馬場さん。彼も今日は制服ではなく、私服を着ている。彼のこの姿は珍しくはあるが、初めて見るものではない。

 オーバーサイズのだぼっとしたシャツとカーディガンに、手に持つそれ何を入れるんだとツッコミたくなるポーチ。そしてさりげなく身を飾る控えめなアクセサリー。極めつきは、隣に座るとなんとなく漂ってきた上品そうないい香り。いつもの眼鏡まで何故かいつもより知的に見えるそれに、なんとも言葉にできない感情を抱き何も言えなくなったのは、記憶を探った限り初めてじゃなかったのだ。配色が落ち着いてるから悪目立ちしない辺り、こう、『わかってる』感じがして余計にうわってなるのも。袖で手を隠してるのが妙にあざとくてひえってなるのも。

 いや、うん、似合うけど。似合うんだけど。普段の様子を思い出すとカッチカチな警察の制服姿だから不思議な気分になる。確かに似合うんだけどさぁ……隣に立つ私と比べると、気合いのレベルがさぁ……ガチじゃん……。

 さて、私の情緒を揺るがすこの男は私の恋人……否、友人、という役をすることになった仕事仲間だ。ああ、うん。こういう役作りとか演技とか、私はすごく苦手かもしれない。いや確実に苦手だ。

 いつの間にか嘘と本当が混ざって、どっちがどっちだか忘れそうになる。思い出し間違いをしそうになる。まるで初めから本当にそうだったみたいに思い込みそうになる。

 しかもよりにもよって相手が馬場さんだから余計に嫌っていうね。うっかり変なことしたら無限にからかわれるよね……。

 私がこんな状態になった理由を思い出そう。三時間ほど前のことだ。


 私は哲学人犯罪取締課から連絡を受け、マニュアル通りの行動として警察署に向かった。小さな会議室に通され、そこには二名の職員がいて、今回私を呼んだ理由について詳しく話し始めた。

 曰く、『怪しい占い師』が居るとのこと。

「怪しくない占い師の方が矛盾と思いますけどね」

 こう言ったのは職員の片方、関島さん。

「怪しいのレベルが度を越えてっから出動要請来てんだけどね」

 こう言ったのはもう片方、馬場さん。

 関島さんがわくわくした様子で続ける。

「いやー、占い師に正面から喧嘩売れるなんて楽しみですね」

「関島は遠くで待機」

「何故?」

「何故ってよく聞けんね? 喧嘩売っちゃ駄目なのわかる?」

 関島さん、占い嫌いなのか。ああ、うん、嫌いそうだなぁ……決定論とかも嫌いそうだなぁ……そもそも束縛が嫌いなんだろうなこの自由人。

 馬場さんは話題を戻した。

「通報したのが、パネスっていう結構有名な占い店の店主。で、通報されたのが、その近くで無許可の路上占いやってる女。営業妨害されて気に食わねーんだろうな」

 ふむふむ。

「んで、無許可の露店は駄目ってことで、初めは警察が行ったんだけど、全員が『あれは本物の予言者だ』とか言い初めちゃって。そんで取締課にお鉢が回ってきたわけよ」

 うちは超常現象調査隊だとでも思われてんのかね。なんて愚痴っぽい言葉をヘラヘラ笑って言った後、彼は数枚の資料を机に広げる。警察からの引き継ぎ資料のようだ。

「具体的になにされたかって言うと、その場の全員に関する占いとか、予知っぽいこと言って、逃げたんだって」

「それで、予言通りのことが起きたと」

「いんや?」

 え、違うの。

 馬場さんは呆れたように言った。

「特に何かあったわけでもないのに、全員、『あの予言は正しかった』、『あの予言のおかげで無事だった』って言うわけよ」

「ああ、能力影響受けてるね……」

 関島さんが嫌う理由もわかった。これは苦手だろうね……。

「そう。んで、俺達は潜入捜査をするってわけ。その占い師が哲学人なのか、それとも哲学人がそいつに協力してるのか、ってのを確認してから確保しちゃいたいの」

「ああ、その、哲学人かどうかの判定に私が必要と」

「そ。プロの目線を期待してまーす」

 抗哲機を使えば、哲学人の判定が楽になるからね。そして抗哲機は本来、使用に免許を必要とする。私が持ってる二つは、開発元から直々に渡されてる低出力の試作品だから、許可を持ってる私だけが使える。

 私は差し出された資料に目を向けた。怪しい占い師が現れるのは、駅前の路地裏や高架下らしい。目撃範囲は広い。簡易な椅子と机さえ設置できる場所ならどこでも現れるらしい。出没時刻は早くて午後五時から、遅くて午前二時までに目撃された情報があるらしい。

 読んでいると、馬場さんが言った。

「あ、只野さんは恋人役でお願いねー」

「え、セクハラ?」

「じょーだん。友達でもいいんだけどね。とりあえずあれよ、おふざけしあえる仲良しな雰囲気醸し出しといて」

 仕事仲間の距離感で占いしに行くのは流石に違和感あるってことか。その点は問題ないし、わからなくはないけど。

「初めから、取締課として接触したら駄目かな」

「多分隠れるっしょ。この前警察から逃げたばっかなんだし」

 そうかなぁ。

 私達は普通の警察と違って、哲学人の保護と確保を目的としてるだけなんだけど。でもまあ、違法営業の自覚があるみたいだし、また制服姿を見たら逃げるよね。うーん、仕方がない。


 そして後に私服姿で合流したとき、彼は言葉を失った私に向かってニヤニヤしながら「えー、見惚れちゃったー?」と言った。そういうことを言いそうな男の外見になってしまったから言葉を失ったんだよ。私を見てみなよ、意図せず全身真っ黒になったんだぞ。これから夜道を歩くのに。

 ってか、そんな気合い入ったデートみたいな服装されたらアンバランスで困る!



 五時。制服姿の関島さんが運転する車で駅前ロータリーに辿り着き、私達は降り立った。まだ空は明るいけど、夕方の雰囲気が漂い始める頃だ。人通りはかなり多い。

 それじゃあ待機してます、と私達を送り出す関島さんに、運転中は聞けなかったことを訊ねる。

「そういえば、関島さんの私服ってどんなの?」

「ほぼジャージですね」

「あー……良いね……落ち着きを感じる」

「動くための服装ですが?」

 気取らないし気負わない感じが楽なんだよ。と言うと、なので愛用してますと返事が返ってくる。うん、趣味が合いそうだ。

 気になってたことを聞き終えて、私は馬場さんの隣に戻る。

「引き摺るねぇ、只野さん」

「気が引けるんだよ。隣歩きたくない」

「それ俺の台詞じゃない?」

「その通りだと思うし申し訳なくも思う。ちゃんとおしゃれすればよかったな」

 駅前の人混みを掻き分けるようにして、並んで歩く。例の占い師が居ないか、路地裏をちらほら見るけどそれらしき姿はない。

「……いや、俺は気にしないんだけど」

「服装を気にしない人の服じゃないんだよね」

「自分の基準を他人に合わせませんー。これは俺の趣味なだけですぅー」

 馬場さんはわざとらしくからかうような言い方をする。ああ、これは多分気を紛らわしてくれてるんだろう。多分。

 気にしすぎてるのはわかってるけどさ。なんか引っ込みつかないし。それに。

「ちょっと照れるんだよね、私服とか普段見ないし」

「そりゃまあ、仕事でしか会わないからなぁ」

 こうやって雑談をしながら、高架下や駅前の商店街、大通り沿いの街路、路地裏、と違和感のない程度に歩いて見回る。

 一周、二周して、日が傾いてから屋台で食事を取った後、また見回りを再開する。

 人通りは変わらず多い。いつ頃どの辺りに現れて去るのかわからないから、どこかで張り込むことも出来ないし、立ち止まっていられない。

 やっぱり緊張するな、と思いながら見回って、そして。

 見付けた。

 道端に簡素な椅子と机と『占い』の旗。路地裏なんかじゃなく堂々と、車道に面した道に居る、仮面を着けて目元を隠して、胸元を晒している派手な服装の占い師。

 あれは。

「馬場さん、あれ」

「あー! 占いやってんじゃん。只野さん、ああいうの好き?」

 おっと。そういう感じで行くわけね。

 私の返事を待たず、馬場さんはさっさと占いの露店に向かってしまった。そういえば元から占いとか好きだったなぁ、と思い出しつつ、後を追う。馬場さんは既に話し始めていた。

「おねーさん占い師?」

「ふふふ。それ以外に見えるー?」

「えー、哲学人とか?」

「どーでしょー」

「そりゃないかー。今店やってんの? 俺占ってよ」

 凄いなこの人。

 さて。私はこの期に占い師を観察する。占い師の雰囲気作りのためなんだろう、やたらと肌を露出する服装と、やはり目と鼻を完全に隠す仮面が目を引く。逆三角形になるよう三つの丸が書かれている仮面は、それだけで顔に見えはするけど。

 ……哲学人は、普通、その哲学を人に知らせようとする。能力や体質の都合で言えなかったり、言い当てるように『考えさせる』ことを重視したりする場合はその限りではなくて、例外は多いとしても。

「良いよ良いよー! 何占いがいーい?」

 占い師は明るく言った。外見に合わず、全く不信感を抱かせないような話し方だ。

 私はこっそり、抗哲機に視線を向ける。反応がある。哲学人由来の何かがある。占いの時だけ外から誰かの影響を受ける、という線はほぼ消えた。

「何占いできんの?」

「手相も水晶もタロットもお好きなものを選んでいいよー」

「へー、凄い。それじゃタロットお願いしていい?」

 馬場さんは迷いなく選んだ。もしかして事前に調べてたのか。

「タロットカード、俺も持ってんだよね。趣味でさー」

 あ、実はかなり占い好きだな? わざわざそんな嘘つく必要ないもんね。本当に持ってるなこれは。

「何について占いたい?」

「んー、今後の運勢とか?」

「はーい」

 占い師はカードの束を手早くシャッフルする。最後に机の上において混ぜてから、整えた。

「それではこちらを一枚引いてごらん?」

 カードの山が差し出される。

 彼が引いたのは、丸い何かが書かれたタロット。私はそれが何か知らないけど、彼の表情からは何も読み取れない。

 占い師は言った。

「うーん……君、最近探しものしてるでしょ」

「え」

「近々、探しているモノが見付かるよ」

 当たり障りのない普通の占いだ。抽象的で、幅が広すぎる。大抵の人に当てはまる可能性があるような。それなのに。

千聡(ゆきとし)が……?」

 ゆきとし?

 馬場さんの反応が明らかにおかしくて、私はその名前を記憶から探る。思い出す……うん、彼がその名前を私の前で出したことはない。一般的な名前の一つだから詳しくはわからないな。馬場さんの知り合いで、『探しているモノ』だってことくらい。

 占い師は言う。

「んー、まー、あまり深くは言えないけどね。心当たりがあるなら、色々当たってみるといいかもー。意外なところから出てくる感じ。良かったね!」

「……ああ」

 頷く馬場さんの表情は。

「そうする」

 真剣な顔だった。

 ……これ能力暴露してそうだな。抗哲機の反応は変わらない。だから常に一定の力で何かが発動してると考えられる。観察した限り外部からの協力者も居なさそうで、この占い師の単独行動っぽいし、これはもう。

「それじゃあそっちのお姉さんも! そう怪しまないでさ、一発やっとく?」

 そう言われてドキッとする。怪しんでるように見えたんだろうか。見えたんだろうな。

 どうしよう。

 私はちらりと馬場さんの様子を窺う……ああ、うん、どうも彼は今頼れなさそうだね。仕方がない。

 バレないように足で蹴りつけて正気に戻れとアピールしつつ、私もカードを引く。

 引かれたのは、笛を吹いた、天使が書かれたカード。

「むむ……隠し事してるねー」

 占い師は言った。隠し事。そんなの誰だって多かれ少なかれしてることだ。

 私だって……あれ。

「そしてその隠し事に罪悪感を抱いている。無理な隠し事はいつかバレちゃうよ」

 思い出す。私にとっての隠し事って。

 私に対して(・・・)の隠し事って。

 私にしかわからないのに、絶対に思い出さないようにしているものって。

「気を付けてね」

 あ、駄目だ。

 全部、大掃除(リセット)しなきゃ。


 ――衝撃でハッと我に返った。

 見たら、隣の……馬場さんが占い師の腕を掴んでいる。焦った顔をして、言葉を選びながら占い師と睨み合って……そして、無理して笑った。

「……アンタ、哲学人でしょ。ちょっと署まで来てくんない?」

 腕を掴まれたまま、占い師は平然と言う。

「私の名前、わかったの?」

「いーやわかんないね。でも人間離れしてんのはわかる。覚悟して来たのに雰囲気に流されるとかおかしいっしょ」

「それがプロの占い師なんだよー?」

「弟のこととか記憶のこととか、知ってんのもおかしいんだよ。どこから漏れた」

 あはは、と彼女は笑う。

「人間って不思議だよねー。私は一言も『弟さんを探してる』とも、『記憶について隠してる』とも、何も言ってないのに。勝手にそう思い込むんだもん」

 あ。

 私だってそれがわかってたのに、それなのに、騙された。いや、考え込まされた。こっちの理論武装が剥がされた。

「占いもおんなじ。手のシワは手のシワ以外に何もないよ。亀の甲羅がどんな形に割れようが、ガラスの割れ方が違うのと同じ。血の成分がちょっと違うことで性格は変わらない。何日に生まれたって貴方は貴方。なんでそんなものに意味を見付けちゃったの?」

 占い師は占いを否定する。

「哲学人だっておんなじ。哲学から生まれた特殊な生き物は人間に知恵を与えるために遣わされた? まっさかー、ただの生物だよ」

 哲学人が哲学を否定する。

 彼女は、何の思想によってこう語るんだ。

 どうして、こうも。

「……名前は?」

「当ててごらん?」

 名乗らない。いや。

「名を当てないと能力が解除されない? それとも、伝承に残ってる妖怪の真似事……いや、そういう性質を持ってる?」

「あはははは!」

 彼女はやっぱり、不信感を吹き飛ばす晴々とした笑い方で言う。

「意味なんてないよ。すべては気紛れなのだ! なんてね」

 すべては、気紛れ。

「哲学人様!」

 声と同時に、机が爆ぜた。いや、誰かが駆け寄って蹴り上げた。咄嗟のことで私は反応できなくて硬直して、馬場さんは占い師の腕を引いて離さなくて。

「離せ!」

 怒鳴り声と一緒に飛び込んできた男が、馬場さんの腕を叩いた。

 その隙に拘束を解いた占い師が逃げ出す。私は逃げていった先に振り返るので精一杯。

 車道にはバイクが現れていた。乗っているのは一人。占い師は迷うことなくそのバイクに乗ってしまって。

「じゃあね!」

「僕ら失礼しまーす!」

 あっという間に、去ってしまった。

 ……本当に、一瞬の出来事だった。

 気付いたら、馬場さんは飛び込んできた男を地面に押さえ込んでいて。言う。

「関島に連絡してくれ」



「俺はあの哲学人様の正体を知らないんですよー。ただ、哲学人様であるってことと、信託を授けてくださるってことだけでー」

 取締課の車の中。ちょっとした騒ぎになってしまったので屋根にパトランプを乗せて人避けしつつ、私達は男性を尋問していた。

 『哲学人様』って呼ぶし、助けに来たつもりみたいだし、哲学人信仰組織の人なんだろう。呈する恵智の会、略してTK会という、哲学人を使ったテロリスト集団の一員の可能性が高い。見覚えあったっけな、と思い出す。

「ってか俺はただの民間人だし、か弱い女性が襲われてるところを助けただけですけど? 警察だからってこういうの許されるんですかー?」

 男性がこう言うと、馬場さんは私を見た。

「只野さん、こいつの顔思い出せる?」

「【ルサンチマン】の確保のときに邪魔してきたTK会のメンバーの一人だね。それ以外でも哲学人確保のときに何度か妨害してきてる。研究所帰ったらデータあるし、顔くらい映ってるんじゃない?」

「はい、ということで公務執行妨害常習犯じゃねーかお前」

 うーん、今回私服だったし可哀想かなぁとか思わなくはないんだけど、まあ、実際あの団体は銃刀法も違反してるからなぁ。余罪ぽろぽろ出てくるだろうし。

「あの占い師が哲学人ってことでいいわけ? アンタんとこの会員なの? それと、あのバイクでどこ連れてった?」

 馬場さんは次々に訊ねて、両手で頬杖をつくと、悪戯っぽく笑った。

「教えてくれたら解放しちゃう」

 そういうことして良いんだっけ。えーと、逮捕者が情報提供者になるのは有りか。ふーん。

 男は真っ直ぐに答えた。

「哲学人様以上のことはないんですよ、俺達にとって」

「そーか」

 馬場さんは窓を開けた。外で見張りをしていた関島さんが気付いて覗き込む。

「関島ぁ、チェンジ」

「え、良いんですか?」

「怪我させないならなんでもいい。任せた」

 言って、馬場さんは関島さんと座席を交代した。

 関島さんは交渉慣れしてるように見えないけど、良いのかな。自分を隠すの苦手そうだし、話を引き出すとか、相手に合わせるとか出来る人でもないし。

 馬場さんは私の隣に座り直すと、真面目ぶった顔をした。

「あの哲学人の正体を当てなきゃ意味ねぇ気がするんだよな。だからそっち考えたい。只野さんわかる?」

 ああ、そっか。

 次会うまでに、あれが何の哲学人なのか言い当てないと。あの言動になにか、ヒントがあるはずなんだ。哲学人の行動はその哲学に基づくものだから。

 思い出さないと。

 占いといえば、そう、『バーナム効果』が有名。誰にでも当てはまるような言葉を、自分のためのことだと思う錯覚。馬場さんが、探し物なんて普遍的な概念を、自分が人探ししていると言い当てられたように感じたように。

「『意味はない』っつってたね。哲学なんか全部意味があると思うんだけど、その点どうよ」

 馬場さんが言う。私は答える。

「『ニヒリズム』なら、人生に意味はないって価値観や思想のことだよ。どうせ忘れるし死ぬから意味ないよねってやつ」

「そんな殊勝な女には見えなかったけどな」

「それはそう思う」

 前向きというわけではないけど、そう大人しい人ではないのは確かだ。目的を持って動いている……ような気はするんだけどな。

「あと、タロット占いだけど。只野さん気付いた?」

「何かあった?」

「絵柄と関係ないこと言ってた。俺が知らない手法なのかと納得してたんだけど……今考えるとおかしいな」

 え、あれってあのカードに書かれてる模様によるものじゃないの? そう思ってたんだけどな。思い込みだったか。

 ということは、初めから言うことを決めていた? 本当に未来予知? それとも心を読むとか?

 ただ、それにしては汎用的な答え方というか……。

「……あのさ、馬場さん」

「おう」

「『すべては気紛れだ』って言ってたよね、あの占い師」

 なんだか、妙に気にかかる言葉だ。

 何もかも無意味って言われてるみたいな。

「私は、この世のすべては偶然で、物事に意味はないし、そこに意思はない……という風に聞き取ったんだよね。馬場さんは?」

「……この世のすべては神の気紛れという意思により定められてる、って聞き取ったかなー」

 真逆。

 ……馬場さんは、神話も占いも好きだ。そこの趣味は私とは違う。

「馬場さんには『決定論』的に聞こえたんだよね。それもそれで、物事は全部決まってるから意味はない、みたいに考えられるけど……」

「只野さんはそう思わなかったんだろ?」

「うん」

「思う内容自体とか、思想自体は操作されてない。じゃあ多分、それじゃない」

「それ?」

「思考に由来する哲学人じゃない」

 哲学ってそもそも考えることだけど、ええと、でも他にも色々あったっけ。哲学人になりうるのは社会現象とか、心理とか、錯覚とか。何かの物事を表す言葉もある。それなら。

「じゃあ、『確証バイアス』?」

「さあ、俺わかんないけど」

 『確証バイアス』は、『これが正解だと前もって思ったものに当てはまる情報を集める』心理のことだ。凄く近い気がする。

 ただ、バイアスって言葉がそもそも思い込みを意味する。これは他の言葉にも言い換えができる。例えば。

 『誤解(イドラ)』。

「あいつ!」

 男が叫んだ。関島さんの制止を受けながら、男は前の座席に座る私達に迫った。

「車を出してくれ! あいつ、あの、メット野郎! Bee Schoolの奴だ!」

「あ?」

「アンチ哲学人組織のBee School! そこの武装集団の一員! 俺達の集会所も支部も、あいつに何個もぶっ壊されてる!」

 鬼気迫る顔だ。嘘を言っているようには思えない。

 見れば、遠くの方にバイクが走っていくのが僅かに視認できた。さて『Bee School』とは。

 ……ああ、私の記憶にもある組織だ。

「あいつが向かってんの、哲学人様を連れてった方角なんだよ! 狙われてんのかもしれない……道案内はするから!」

 殺されるよりはマシだもんね。前もそんなこと言われたっけな。

 なんとも物騒な助け船だ。



 案内されたのは、数分車で進んだ先にある、何の変哲もないビルだった。立ち入り禁止と書いたカラーコーンが置いてある上、何の看板も出ていないし、窓も設置されてなくて、一室だけが明るく染まっているけど他は真っ暗。廃ビルなんだろう。

 必要だろう備品をいくつか持って、私達は乗り込む。

「関島は裏口探して。居るってバレてないし」

「そうですね」

「君は俺達と一緒に来よーね」

 馬場さんは男性と肩を組んだ。


 男性の先導で階段を使い、二階に上がる。男性に扉を開けさせて、目的の部屋に入る。壁もなく吹き抜けの広い部屋になっていて、扉が、向かい側にも一つ。あっちは裏口に繋がってそうだ。

 真っ先に反応したのは哲学人だった。

「また会ったねお二人さん! 答えはわかったかなー?」

「まーだわかってないんだけどさー、すぐに来てもらわないと困るわけよ」

 答えたのは馬場さん。

 警戒するように、若者が立ち塞がる。片手にビデオカメラを持ってる子だ。あれはさっきバイクに乗ってた子。確か、名前は。

「はいはいはーい! 目が合ったよね僕を見たよねどうも! さっき名乗れてなかったけど僕は呈する恵智の会所属! 哲学人様を愛し知恵を授かりお守りする特攻、撮影、新人教育係! 兼子洋でーす! 僕らが居る限り、哲学人様は渡さないから!」

「あ、同じくエストっす。どーも」

 ……うん。

 ええと、部屋の隅にいる、エストって名乗ってる男は初対面だね。以前に会ったことはない。うん。TK会の人だね。わかったけど。これで全員っぽいけど。

 思い出す前に全部言われると凄く歯痒い。

「そ。俺らは哲学人犯罪取締課の人間。そんでちょーっと休戦したいんだけど。どうやらBee Schoolのやんちゃな人がこっち来てるらしいんだよ。ね?」

 馬場さんが男性の背を叩く。彼は言った。

「『ヒマツブシ』のメット野郎だ。この近くに来てるのを見た! すぐ伝えたかったんだが……」

「俺らが取っ捕まえてたから連絡できなかったわけ。ごめんねー」

 馬場さんの意地が悪い発言に、兼子という子はわかりやすく顔をしかめた。

「なーるほどね。すぐに逃げた方がいいってことは……」

 カラン。

 軽い音がした。見れば、私達の間にガラスの無い窓から何かが投げ入れられている。黒い円筒形の……手榴弾!

「伏せろ!」

 馬場さんに突き飛ばされる。ほぼ同時に炸裂音。閃光。耳をつんざく爆音。これ、閃光発音筒!?


 ――数秒経って、感覚が戻る。誰かが倒れる音がする。

「俺様参上ー、ってな」

 部屋の真ん中に、ミラーシールドのフルフェイスヘルメットで顔を隠した男が立っていた。

 彼はまず、TK会の面々が居る方向を見て肩を竦める。

「うわ。まーたお前ら居んの、TK会」

「当然でっしょー! 哲学人様あるところ僕らあり! ってかここ僕らの隠れ家なんですけど!?」

「知らね」

 彼は彼らに背を向け、私と馬場さんに向かい軽く手を振る。

「……やあ、ハジメマシテ。こちらはアンチ哲学人組織のもんだ」

「知ってる。前も会ったね」

「いい記憶力してんなぁ」

 アンチ哲学人組織『Bee School』。その中にある、哲学人殺害専用の武装集団『ヒマツブシ』。その存在は調べていた。ほんと、ふざけた名前のふざけた組織だ。

 前は車ごと爆破されたんだっけね。ああ、色々思い出してきた。TK会の人にとっては天敵だろうし、私達にとっても困った相手だ。

 ヘルメットの男は言う。

「哲学人を疎ましく思ってんのはてめーらも同じだろ。あれ、譲ってくんね?」

「お断りするよ。保護が目的だからね」

「待って待って待ってなんでそっちの所有物みたいな扱いするの!」

 あ、兼子って名乗った子の声が乱入してきた。兼子さんはカメラのレンズを自分に向けながら、涙声で話す。

「ってかそんなのいいから僕を見てくれない!? ねえねえねえ無視されるの嫌なんだけど! 視線ください! 僕を認識して! 一瞬なにも見えないの怖かったんだからね馬鹿! ばーか!」

「俺が見てるんで大丈夫っすよ」

「私も見ててあげるよー」

「わーん皆優しいー! TKの皆大好き!」

 ああ、うん。TK会の二人と占い師の茶番だ。無視で良いかな。

 空気が急に緩くなってしまって、どうも気が抜ける。それはヘルメットの男も同じらしく、彼はだるそうに首に手をやっていた。

 そういえばあと一人はどこかな、と思って見回せば、ここに案内をしてくれた男性は部屋の端で転がっている。体勢的に、あのヘルメットの男に突き飛ばされでもしたんだろうか。丁度立っている位置が被ったとかして。不憫な。

「じゃあ、てめーでいいや。そっちの哲学人を寄越せ」

 ヘルメットの男は兼子って子に言う。兼子さんは元気いっぱいに答えた。 

「やだ!」

「やだじゃねーの」

「無理!」

「無理でもなくてな」

 うーん、あの子に真正面からぶつかると、どうもペースを乱されるな。

「ああそう。じゃあ」

 ヘルメットの男はイライラした様子でジャケットのポケットに手を突っ込む。まだ何か武器を持ってるのかと思って私は身構える。

 けど。

「げっ」

 銃声が二発。ヘルメットの男じゃなくて、TK会の側から放たれた。銃弾は床を削っただけだったが、動きを止めるには充分だった。その間に彼らは彼らの背後の扉を開けて、階段に逃げる。

 ……階段、上って行ったね。

「TK会の武力、どうなってんだろね?」

 ヘルメットの男が肩を竦めて言った。それはこっちの台詞だ。閃光弾なんか投げ付けるような人には言われたくない。

 ということを言ってる暇はないので、私は彼らを追いかけるために、私の背後にある階段に飛び込む。

「いっ、た!?」

 後ろで馬場さんの悲鳴が聞こえた。思わず振り返ってしまったら、あのヘルメットの男が金属の棒を振り下ろしていて、馬場さんはそれを警棒で受け止めている。

「……反哲学人組織のわりに、現実離れした身体能力じゃねーの。哲学人の能力影響受けてたりしない?」

「ははっ! 言ってくれるねぇ。俺のこれは自前だよ」

「うっそ、それが自前ぇー?」

 馬場さんはいつもみたいに茶化している。ああ、どうしようかな。こういう場合って先に行くのと手助けするのと……。

「只野さん、あいつら追って!」

 ……任せるしかないか!

 裏口から入った関島さんとどうにか合流出来ることを祈って。階段を駆け上がる。



 只野さんが走っていく音を背中で聞いて、俺は目の前の男に笑みを向ける。一目で腹が立つだろうような、余裕ぶった笑いを。

「あれ? 追わねーんだ?」

「てめぇを潰してからで充分」

 男からの返事はこれ。囮になれるなら目論見通りだ。

 ただ問題は、本当にすぐ力負けしそうなこと。

 男の持つバールと俺の警棒で押し合いになったこの状態で、全然押し返せそうにない。

 男が一瞬離れて、またバールが振り下ろされる。それを受けて、反動で弾いて、今度は俺から警棒で殴りかかる。まずは胴、防がれる。肘、防がれる。肩も、防がれる。

 剣道やってんじゃねーぞ、バールで全部防ぐなよ!

「まっ、待て! 待てって」

 俺は両手を前にして制止する。息が切れてる。

 男は素直なのか、手を止めた。よし。

「いや、てかおかしくない? アンタさ、さっさと哲学人を奪うか……いや、このビルごと全員殺しゃいいな。それをなーんでわざわざ、TK会の奴ら無視して取締課に話しかけた? 何が目的よ」

「今お喋りする時間あんのー? あのお姉さん今一人だろー? それとも何か策でも?」

「……ねーよ!」

 煽ったら煽り返される。情報を得ようとすれば探り返されて、結局動揺したのは俺だ。

 研究員に単騎突入させるとか悪手もいいとこだってわかってんのにどうしようもない。

 また殴れば防がれて、手痛いカウンターが返ってきた。頬を殴られてすっ転ぶ。

 いってぇなクソ、俺は関島と違って武闘派じゃないってのに!

「変っわんねぇなあ、アンタ!」

 嬉々とした声。追撃されちゃたまらない、俺はすぐに起き上がる。さっきまで俺がいたところに蹴りが入る。こっわ。

 体勢を立て直して、構え直して。どうにか時間を。

「なんだよ。メット男に知り合いはいねーんだけど?」

「……そりゃあそうだろうな」

「何、知り合い? 取締課の人間のダチに犯罪者が居るとか普通に困るんだよなぁ」

「ダチじゃねーよ」

「ったりめーだ」

 こんなやつが友人に居たら、今すぐ縁を切ってやるっての。そういう意味で言ったら。

 こいつは、深く、深くため息を吐いて。

「もういい」

 あっ。

 一瞬で距離がゼロになった。避けきれなかった。受け流しきれなかった拳がおもいっきり鳩尾に入る。やばっ、息……!

 咳が出て、息が吸えない。痛い。何より痛くて立ってられない。

 駄目だ。倒れる。

「……あー、だっる。やる気失せたわ。今回は引き下がってやるよ」

 ゆっくりと、焦らすような、余裕のある足音が遠ざかっていく。俺は床に倒れたまま、起き上がれずにそれを見ている。

 あいつは、振り返りもせずに手を振る。

「じゃあねー、千徳(ちさと)さん! 二度と会わねぇよう祈ってろ」

 ……名前。

 俺の名前。なんで、知ってんだ。それを知ってんのは、人事資料見た奴か、ろくに連絡とってない昔の知り合いか。それじゃないなら。

 居なくなった、千聡(おとうと)くらい。

「千聡……?」

 必死で紡いだ声は、掠れるくらい小さかった。それでもちゃんと届いたらしい。ヘルメットの男は立ち止まる。振り返る。手が伸びて、ヘルメットが外される。顔が見える。

 それは、俺の記憶よりずっと大人びているけど。それでも記憶のまま。

「気付くの遅ぇよ、兄ちゃん」

 そんな。

 今までどこで、何して。なんで。

 俺を置いて居なくなったくせに、なんで。

 なんで。


 なんで俺を捨てたんだよ、お前。



 私はあの占い師達を追って階段を上り、フロアを移動してたんだけど。

「そう邪魔する必要はないのでは? 俺達は哲学人をどうこうするつもりはありませんし」

「どうこうするつもりないなら、追っかけてこないと思いますー!」

「いやー、無許可営業されてたので」

「あちゃー、法に反してたー」

「こればっかりは仕方がないですよねー、現行犯でしたー」

 兼子という人と、エストという人と、そして関島さんが遊んでいる。いや、遊んでいるわけではないんだろうけど、どう見ても遊んでいる。

 具体的には、兼子さんのカメラを向けられ、その野次に答えながら、エストさんによって行く手を遮られている。

 ……緊張感ないなぁこの人達。

 ところでそこに占い師の姿がない。私は辺りを見渡しつつ、関島さんに状況を聞こうと手を振って存在をアピールする。

「只野さん、追ってください! 哲学人は階段を上って行きました!」

「あ、はい」

 取って付けたように真面目な声で言われて、ちょっと反応に困った。うん、上ね。行くよ。この人達に巻き込まれてる場合じゃないし。

「させるか……だっ!?」

 後ろで悲鳴が聞こえる。関島さんが彼らを食い止めてくれているらしい。

「兼子さんが追ってくんないっすか!?」

「えええごめん僕単独行動無理ひとりこわい誰かと一緒が良い無理ー!」

「ああもうアンタは!」

 何か身内同士で喧嘩してるけど、私はこのまま進もう。


 階段を上がって、上がって……見付からなくて、いつの間にか、五階建ての屋上に。



 風が吹いていた。

 月明かりが照らしていた。

 占い師の仮面が月明かりを反射して煌めいた。

 そこで私は、思い出す。名前を呼ばなきゃいけないんだったと。だから記憶を検索して、答えを導き出す。

 『誤解』を意味する哲学用語は多い。ドクサ、イドラ、バイアス……他。

 『無意味』を呼び起こす哲学用語は多い。悲観主義、虚無主義、認識論……他。

 彼女の服装。逆三角形に配置された三点が顔に見える『シミュラクラ現象』。

 ランダムで選び出されたカードに意味があるように思うこと。

 彼女は言った。『勝手に思い込む』『占い』『意味を見付ける』……。

 それらのすべてを含んだ哲学用語は。


「君は、哲学人【アポフェニア】でしょう。『意味のない物事に、何らかの意味があると思うこと』だ」

「あははっ。せいかーい!」

 ここは廃ビルの屋上だ。

 隣の高い立派なビル群に塞がれて狭く照らされた空を、仮面の占い師は見上げている。

「ま、当てたことに意味はないけどね」

「……確かに」

 思い出す。『当ててごらん』とは言ったけど、『当てたら素直に連行される』なんて言っていない。そう思い込んでただけ。

 これも含めて、広義のアポフェニアだ。ちょっと拡大解釈な気もするけど。元々意味が広い言葉だからね、定義の範疇として考えるならまだ許容範囲。

 私はゆっくり、彼女へと足を進める。逃げられたら困るんだ。もうこの占い師の意見なんて聞かずにさっさと手錠でもなんでもかけて連行した方がいい。馬場さんから備品の手錠は貰ってるし。

 私が歩むと、彼女の方も私に歩み寄ってくる。本当に逃げる意思が無さそう……というのも歩み寄ってきたという行動に付随した思い込みである可能性もあって。

 彼女は言う。

「しかし君達の努力には報いよう。私を連れていくがいいさ、哲学人犯罪取締課の諸君」

 私は彼女に手錠をかける。

「……私は研究員だけどね」

「ありゃ、これは失礼。ま、占いが外れることなんて日常だもん、気にしないでねー」

 また占い否定。

 ……ああ、ようやくちゃんと理解した気がする。この占い師は予言者でも、予知能力も、真実を知るわけでもない。

 彼女はただ誤解させるだけだ。ありもしないものを見せるだけ。そしてそこに意味はなく、意味を付加するのはいつも見聞きする人。

 つまりは、適当。

「TK会の人達はどう説得してくれるの」

「えー、あの子達言っても聞かないからなー、抜けるって言ったら監禁ルートかも。うーん、うーん、どーしよっかなー」

 彼女はこちらをからかうように笑う。からかうように言う。そして手錠で繋がった腕を引っ張った。

 引っ張られた私の体に手を回して、そして軽々と抱えて、足が地面から浮かぶ。え、待って。待って何する気。

「こうしよっか」

 彼女は私を抱き上げたまま走った。狭い屋上を跳ねた。そして屋上から飛び降り、落ちっ……!


 ……ふわりと、異様なほど軽く。猫が塀から降りるみたいに、自然に、彼女は地面に降り立った。

 すぐそばには私達が乗ってきた車がある。

 私は腰が抜けていて、彼女に抱えられたまま、訊ねた。

「この行為に、意味は」

「あるわけないじゃん! あはははは!」

 ああ、そう。

 ……うん。常識を当てはめる方が間違いだ、これは。人間の形をしてるからって人間並みの身体能力だと思うのは錯覚だ。多分。

 私は二人にメールをして、先に車に入り込む。

 合流出来るかな、これ。二人とも無事だといいんだけど。

 ……どうにかなると信じよう。



 無事に哲学人確保と調査と輸送を終え、無事に職場である聡盟大学附置哲学人研究所に帰ってきた、ので。

 私は、講堂で同業者の前に立っていた。

「さーてそれではお待ちかね。聡盟大学附置哲学人研究所にて保護された哲学人【アポフェニア】の」

 出来る限り大振りで。出来る限り大袈裟に。出来る限り声を張り。

 私は言う。

「大乱闘、担当研究員決めブラザーズ!」

「いえぇぇーい!!」

 はい。恒例行事。

 以前まではレースゲームの勝者が担当になる大会が開かれていたと記憶があるんだけど、いつの間にかゲームの種類が変わっていた。対戦ゲームであることは変わりがないので実質は同じだ。

 私は勝者が決まるまでの時間を、椅子に座って待つ。

 待ちながら……思い出す。


 あの後、TK会の人達に逃げられる形で合流した関島さんは、いつも通りだった。何ならいつもより頼もしくすらあった。【アポフェニア】ののらりくらりとした発言を全部バッサリ切り捨てて取り合わないから、私達よりも上手く渡り合っていたくらい。初めから任せれば良かったかも、と言ったら「嫌です」と返事が帰ってきたけど。

 馬場さんは。

 ……怪我は、一応、自力で歩けるくらいだった。ただ骨が折れてたらしくて、数週間は休暇を取るだろうと聞いた。話せないような状態でもないらしい。

 全部曖昧なのは、本人からなにも聞けなかったからだ。帰ってきてからの彼は、指示以外でほとんど話さなかった。それは疲労や痛みからというには違和感があって、でも何があったのか教えてくれることもなく、なにもわからないままだ。

 記憶としては残るし、重要なことの気がする。だから覚えておきたいな、なんて叶わないことを思った。


 ゲームは白熱している。何故か歓声が上がって、私は意識をそちらに向ける。

 ゲームの観戦をしている、サボり途中らしき研究員が居た。

 あの人は、ええと、そう。ルイスさんだ。繁殖学の人。うん。

 気分転換で、なんとなく思い返す。まず思い出すのは前に話したときのこと。他愛のない話をした。そして、あれ?

 記憶の中の彼と私は、あまりにも気安い会話をしている。そして私がその事に気付き、彼はいったい私にとってなんだったのかと気付くと同時に何かの要因で意識が逸れ、思い出そうとしていたことを忘れている。前回はそうだ。その前もそうだ。そのさらに前もそうだ。

 ……ということに気付いたところで、いつも、意識を逸らしてしまって忘れていた。

 あまりにもミスが重なっていて我ながら嫌になる。いや、もしかしたら、全部わざとで。なんて、あり得ない裏を読もうとするのは広義のアポフェニアだ。

 私は、今まで思い出せなかったその先を考える。思い出す。ええと、それより前に彼と話したときの記憶は。

 それは。彼の部屋で。彼の前で。温かな日のことで。

 ――もういい、無理すんな。

 彼は。

 ――返してもらわなくてもいい。俺がずっと、一方的に想ってるだけでも成立するからよ。

 私の。

 ――愛ってそんなもんだろ。

 恋人だった、人。

 ……忘れて、思い出して、謝って。それを繰り返した私に終わりを告げた人。一方的なさよならをした人。もう辛いだけなんだからって、思って、それで。

 これ以上遡るのは、やめよう。


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