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聡盟大学附置哲学人研究所FW部  作者: にじいろ
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2:【無限思考】

 各種カメラ三台、録音機、小型発信器、P逆療法式抗哲機とA同質効果式抗哲機(共に試作段階。実験用とラベルがされてある)に、検体サンプル容器、採取シリンジとスポイト、飴玉にタオルに受信機に新品のメモ帳。

 これらの大荷物を持って、私は山を登っていた。

 ……山を、登っていた。

 季節は春。登山日和。空と木々は瑞々しく青々とした輝きを誇っており、今朝のテレビを思い出すと花見がどうのこうのと言われていた時期であり、ちょっと歩けば額を汗が伝うようなこの気温。

 そんなところに私が大荷物を抱えて向かう理由なんてただ一つ。

 そう、フィールドワークだ。

「本当に、こんな、山奥に……哲学人が……居るの?」

「居るのは確認済みだって。哲学人名がわかんなくってさー」

 言ってヘラヘラ笑いながら先を歩くのは、哲学人犯罪取締課の馬場さんだ。息を切らしている私と違って、彼は全く平気らしい。私の荷物の半分を持ってもらってはいるが、元の体力と筋力が違う。

 私もそこそこ体力ある方なんだけどな。鍛えている警官とよく動く研究員じゃ比べようもないか。

 登山ルートを示す看板に従い進むと、立ち入り禁止のテープが貼られていた。それを無視して、というか関係者だから入れるんだけど、進む。

 木々の間から、大柄な男性が立っているのが見えた。あれは、そうだ、関島さんだ。馬場さんと同じ取締課の人。

 挨拶を交わし、荷物を下ろしながら気が付いた。関島さんにも荷物持ってもらえば楽だったな? 帰りはちゃんと思い出すことにしよう。

「で、どーよ関島」

「変わらずですね」

 馬場さんの問いに、関島さんは洞窟を指差し答える。彼の前には、きちんと整備されている洞窟の入り口がぽっかりと口を開けていた。鍾乳洞入り口はこちら、と書かれた古い看板も立っている。

「入った人間は全員、ああなりました」

 そこは洞窟内だというのに明るい。内からも外からもライトで照らしているらしい。その数メートル奥に、照らされて見える人間が一人。歩き出そうとする直前みたいなポーズで止まっている。ガスマスクを付けたその人の表情はよくわからない。

「結局何人になったわけ?」

「把握してるだけで、観光客が五名。救助に向かった隊員が二名です。洞窟内の人が入れる範囲が一キロ。出口側からも調査した結果、立ち止まってしまうのは入り口付近のみと判明しました」

「そこに何かあるってことね。りょーかーい」

 二人の話を聞きながら、私は洞窟前にカメラを設置して、記録を取る。

 ええと。経緯を思い出す。

 異変に気付いたのはツアーガイドだったらしい。鍾乳洞に入ると同時に、観光客が立ち止まり動かなくなってしまった。話しかけても反応はなく、近寄った人も次々に動きを止め、まるで石になってしまったかのようになる。

 それで、これはおかしいと思い通報があった。

 哲学人の影響か危険物質の噴出かわからなかったので、駆け付けた職員は防護マスクを付けて、抗哲機を使用しながらゆっくりと侵入した。が、意味はなし。途中で立ち止まって動かなくなってしまった。反対側からの侵入も同じく。

 うーん。

「メデューサって哲学人になると思う?」

「哲学じゃないよ。ならない」

 馬場さんの質問に答えると、彼は少し残念そうな顔をした。神話好きだっけ? 神話好きだった、この人。

 私は関島さんに訊ねる。

「……中の人は、どうなってるの?」

「外から覗いた限り、生存はしています。しかし状況がわからなくてですね。体験してくれませんか?」

 体験。

 見れば、いつの間にか関島さんは長いロープを持っている。山での活動用の資材にあったなぁ、そんなの。そしていつものおっとりした呑気な声で言う。

「命綱、俺が持っときますよ」

「うっわ」

 ロープを体にくくりつけて突撃しろと。それで動かなくなったら引き摺り出されるわけだよね。うわ、怖いし痛そう。

「抗哲機作動させとけよー」

「わかってるよ」

 他人事みたいな言い方をする馬場さんに答える。いや、ちょっと待って。

「私がやらなきゃ駄目なの?」

 こう言うと、馬場さんと関島さんからそれぞれ返事が返ってきた。

「俺は詳しくないし、哲学人のプロの観察眼に頼りたいなーってことで」

「俺は嫌です」

 あ、はい。

 関島さんは一番力持ちだから、命綱役に適任ということにしとこう。多分私が一番軽いし。

「検知器を放り込んでも反応は無かったので、一般的な有毒ガスでもありませんよ。中に入る方々も立ったままで、見た目上は生きています」

「あ、うん。安心できる情報をありがとう」

 関島さんからロープを受け取って、ベルトみたいにズボンに通して腰に巻いた。

 小型録音機を布に包んで、手持ちのカメラを準備して、P逆療法式抗哲機(哲学人の能力に反応して反発する力場を発生させる機械)を起動させて。

 さて、行くか。


 一番手前に直立してる人は、洞窟の入り口からたった八メートル程度の位置にいる。そこから少しして洞窟は右に緩やかなカーブを描きつつ下り坂になっているみたいで、更に先はよく見えない。そこに、ゆっくり、ゆっくり近付く。

 職員らしき人より二メートルは手前から、私は録音機を投げた。布に守られたそれは、坂道を転げ落ちて見えなくなる。どうか地底湖なんかに入ってませんように!

 そして、もう一歩進む。この一歩によって哲学人に近付いているとしたら歩み出すことによって天候の変化が起こる場合は今考慮する必要がないな。ああそれと空気による能力媒介だとしたら呼吸には気を付けるべきだよね。出来る限り深く吸い込まないよう落ち着こう。

 ん?

 中は今のところ無音だけどどうなってるのかを見ることによって私に記憶喪失現象が起こる可能性は極めて低いから考慮しなくていいとして思考することによる弊害は今思考している最中であるため考慮しなくていいとしてええと。

「動けるー?」

 馬場さんの声。動く。私が動く……ことにより起きるあらゆる変化はというか私いつの間に立ち止まっているということに対する問題は今存在しないので立ち止まり続けても損害はないけど。

「只野さーん」

 声はわかる聞こえるでも待って気になる湿度はどうか急激な変動が起きる可能性が低いため考慮しなくていい温度は急激な変動が起きる可能性が低いため考慮しなくていい私の呼気により爆発物が反応する可能性はそれは低いでは吸気ではそれは低い考慮しなくていい歩行の振動により私の鼓動が止まる可能性は考慮しなくていい同様事象で発声が行われるそれもない考慮しなくていいそれなら私の体内の電気信号により洞窟壁の色が変わる可能性は無。

 ロープが引っ張られて。



「思考の強制、だね」

「ほー」

 洞窟の外で、私はぐったりと力尽きた体で座り込み、報告する。引っ張られて打った腰が痛い。

 私が正気に戻ったのは、ロープが引っ張られて尻餅をついて、数秒後のことだった。つまり能力範囲と思われる場所から離れてすぐに、解除されたわけだ。関島さんにそのあと洞窟外まで五メートル引き摺られはしたけど。

「無意味なことをずーっと考えさせ続けられる。行動する為の意思というか、その分の脳の領域まで使って、壁の色だの大気の成分だのを思考させられる。皆が動けないのはそのせいだね」

「ふーん。恐怖で固まるわけでも石になるわけでもないわけね」

 うん? なに、ああ、メデューサの逸話か。馬場さん神話好きだったな。

「それじゃあさ、只野さん」

 馬場さんは甘えたみたいな声を出した。

「これどーやって救助するか考えて?」

「無理だよね?」

「諦めたらそこで試合終了! ってか君研究員なんだからこれがお仕事でしょーが」

 おっしゃる通りで。

 しかし、抗哲機も役立たずだし、近寄るだけでこうも見事に影響が出るとなると、難しい問題だ。考えさせられたわりに何も得られなかったし。

 そうだ、なにも知らないんだ。

「そもそも、何の哲学なのかって情報ないよね?」

「あー、そーね。無いわ。哲学人の姿が観測できてないし」

「似たような事案がないか思い出すけど、今まで未発見の哲学人ならどうしようも」

 ……うん、駄目だ。

 思い出そうとしたけど該当なし。ということは私の知識外。

 なので哲学人じゃなくて、当てはまりそうな哲学用語から考えることにする。ええと、今のところわかってることから……。

「理性とかアポリアとかテオリアとか、『考える』のみを意味する哲学用語由来、かな」

 私が言うと、関島さんがぽんと手を打った。

「洞窟、といえばイデア論ですね」

「イデア論系列で、『考える』といえばエピステーメーかなぁ。意味が単純な哲学人って、能力範囲が広すぎて対応しにくいんだよね。古い哲学用語は意味が広がりすぎて余計に何でもありになってるし」

「そうですか……」

 哲学人の名前がわかったら、対抗手段もわかりそうなんだけどな。エピステーメーならドクサが反対概念だし、理性の反対は感情だ。それらを全面に押し出せば……試してみないと何とも言えないな。

「そーいや只野さん、さっき投げてたのなーに?」

「あ。録音機」

 おっと、危ない危ない。思い出せてよかった。

 私は録音機に対応している受信機を荷物から取り出す。

「カメラは投げて壊れそうだけど、音だけなら撮れるかなと思って。これで少し様子がわからないかなと」

 人間は立ち止まってるけど、哲学人は中で動き回ってる可能性がある。音から行動がわかれば少しは助けになるかもしれない。哲学人の目的とか、状況によっては対話に持ち込める。

 私は受信機のスイッチを入れた。

 機械音、ノイズに混ざって、確かに声が聞こえる。それは若々しい少年の声で、淡々と、続く。

『……り心拍数に変動はありますか? 関係ありません。当機体の行動により洞窟内の水分量は変化しますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動により洞窟の天井は落下しますか? 関係ありません。当機体の行動により地震は発生しますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動によりKruschtya Equationは解かれますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動により椅子は壊れますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動によりラプラスの悪魔は量子力学的存在を許されますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動により虹の色は減少しますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行動により睡眠は誘発されますか? 現在考慮する必要がありません。当機体の行』

 関島さんが受信機のスイッチを切った。

「……うん」

「こっわ」

「声を聞くことによる影響は無いようですね。物理的距離だけですか」

 おっと、その件を考えてなかった。

 ミスしたなぁと思っている私の前で関島さんが耳栓を外す。優秀な仲間のお陰で助かったのかもしれない。

「……ところで、只野さん」

「なに?」

「さっき、他の人達より手前で立ち止まりましたよね」

「うん。あっ」

 もしかして、能力の作用範囲が広がっている。

 ……これは、厄介だね? 時間経過での増悪か、人数を多く取り込んだ故の結果かはわからないけど、中心に辿り着くのが難しいってことで。

 声は一人分だった。おそらくは哲学人のもので、そして哲学人自身も自分の能力によって身動きが取れないようだ。

「どうしよう」

「……どうしましょう」

 私が困惑のままに言うと、関島さんは口元に指を当てて考えたあと、これぞ名案と言いたげに、人差し指を立てた。

「洞窟壊します?」

「中の奴らが生き埋めになるわ」

 馬場さんが止めた。

 関島さん、この状況がかなり嫌なんだな。



「釣りしちゃうか」

 どうしようかと唸っているとき、馬場さんが言った。彼はもう一本のロープを持って、自分の腰にくくりつけ始める。

「物理で引き摺り出せることと、外に出しゃ元に戻ることが証明されたっしょ。次は俺の番ね」

 確かに、ここで延々と悩んでるよりは行動した方がいい。でも、ん? 待ってよ、それって。

「元に戻る確証無いのに突っ込ませたの」

「只野さんなら大丈夫かと思ってー」

「そんなわけ……あー……」

 我ながら、こういった部類の能力に暴露しても、気絶したらリセットされそうな気はする。するけどね。するけどさぁ……。

 馬場さんは全く悪びれずに笑って、関島さんにロープの片方を渡している。

「俺がダッシュであいつに飛び付いてぇ、関島が引き摺り出す。で、どーよ」

「二人分の体重を動かせと?」

「無理?」

「いけますよ」

 強いな関島さん。この人の体力と筋力はどうなってるんだ。少なくとも私にはできない。

「只野さんも居ますし」

 あ、二人で引っ張ればそりゃあまあそうか。

「んじゃよろしく」

 馬場さんは気軽に言って、説明通り、走って洞窟に入る。そして勢いが止まる前に職員に飛び付く。関島さんと私で引っ張る。二人が倒れてこちらに引き戻される。

 うん、釣りだこれ。

 倒れている馬場さんを覗き込んで、関島さんが言う。

「この方法で全員救出します?」

「死ぬわ!」

 馬場さんは何故か眼鏡を外しながら怒鳴った。そして目元を押さえて俯いて座り直す。

「あー、の一瞬で頭ぐらっぐらにされたし……なんだあれ……」

 目眩がしてるのか。一瞬だったけど、効果範囲に入ったわけだし。

 私より辛そうなのは、もしかして飛び込んだからかな。ゆっくり能力暴露した私と違って、急激に思考量が増えたからその落差で辛いのかもしれない。体を慣らすことで活動時間が増える可能性を考えておこう。

「起きてくださーい」

 関島さんが、救出した職員を揺さぶっている。あちらからの情報も貰って、そこから考察を深めていこうかな。

 ガスマスクを外された職員は、意識はあるみたいだった。ただ、朦朧としている。

「あ……え……?」

「もう考えなくて良いんですよー」

「そう……ああ、そうか……」

 関島さんの声に対して、弱々しい反応が返ってくる。長時間暴露してたからか、復帰が遅いな。入るときと同じで、急激な変化が負担かもしれない。それなら段階的に外に出す必要が出るけど……いや、待てよ。

「覚えてますか? 洞窟内でのこと」

「なんとなく……」

 私は職員の彼を観察する。顔色が悪い。手が震えている。冷や汗が凄い。恐怖で怯えてるみたいに見える、けど、違うよねこれ。

 私は荷物のポケットに手を突っ込んで、飴を取り出す。そして横から差し出した。

「これ食べてください」

「え、あ、ああ」

「低血糖の可能性があります」

「ああ、なるほど……」

 脳はグルコースを使う。長時間立ちっぱなしでも筋肉でグルコースが消費される。あの洞窟内の環境は、常に体に負荷をかけてくるから、エネルギー不足に陥りやすい。

 観光客が心配だ。いっそ気絶しててほしいな。そしたらエネルギー消費少ないし。

 彼は飴を舐めながら、少しだけ回復したようだった。顔色は悪いけど。

「……あー……研究所の……」

「只野です。ええと、野田さんでしたね」

 一度だけ会ったことがある人だ。前も仕事で会ったんだったな。

 名前を当てたことが驚きだったらしく、彼は感心したような目で私を見る。表情に変化が出てきたし、話すだけなら大丈夫かな。

「洞窟内はどうでした?」

「……ああ。ええと、洞窟自体は普通に見えたんだが……やたらと、気にかかって」

「気にかかる?」

「なんだろうな……自分が動いた結果、何か起きるんじゃないかと……不安か? そういう考えが過って、気が付いたらずっと何か考えて……途中から、何を考えてたかもよく覚えていない」

 あ、能力の影響だと認識できてない。異常事態じゃなくて、あくまでも自分の意思だと思ってる。

 だから危険を感じたり、逃げようだとかの発想にならないのか。自分の意思で考え続けているわけだから。

「要救助者の姿は確認できました?」

 関島さんが訊ねる。

「俺の位置だと、坂の下に二人見えた。どちらも立ったまま、硬直してて……他は、すまん。見てる余裕がなかった」

「そうですか」

「生きてるとわかれば充分です。ありがとうございます」

 他に新しい情報は、特にないか。

 もう一回やるにも、入り口の坂道がネックだな……考えていると、馬場さんが手招きする。

「只野さん、ちょっといい?」

「なに?」

「脳内検索。『洞窟』アンド『ロボット』アンド『考慮しなくてもいい』」

 条件に合う哲学を思い出せと。そう言われてもな。

 『ロボット』と言われて出てくるのはロボット論理学で幅広すぎる……『洞窟』? イデア論がとにかく有名。そこに、『考慮しなくてもいい』って、変わったフレーズ。そういえば録音された音声でも繰り返されてた。この三つが揃うのは。

 ――ロボットが洞窟内にあるバッテリーと爆弾のうち、バッテリーのみを無事に取り出す際に壁の色や温度について等の考慮をしなくてもいい――

 ああ、これは。

「……フレーム問題」

「どんなの?」

「大体、今の状況と同じだよ。考え込んじゃって行動ができない、人工知能の話」

 人間のように、物事に対する対応の仕方を自分で考える人工知能が居るとする。これが不測の事態に対応するためには、『不測の事態を無くす』しかない。つまりあらかじめ、この世に無限に存在する可能性を一度考えておき、全て『予測の範囲』にしなければ動けないだろう……という概念だ。

 今回なら、洞窟内に入って哲学人らしきものを見付けて外に出るという動きをするときに、『洞窟内に入ったことで何が起きて何が起きないのか』をあらかじめ考える処理に追われて止まってしまうこと。

 『考える』を意味する哲学人にしては無駄な思考が多かったのは、これだ。

「対策は?」

「あー……」

 人間は、フレーム問題を疑似解決していると言われている。『常識的に考えたらわかるだろう』って思えるからね。誰も、洞窟に入ったら空の色が変わるとか気にしないし、考えもしない。

 本来気付きもしないことを、無理矢理考えさせられているなら。

「考えないで行動すれば、いいんじゃないかな」

「できたらやってんだって」

 うん、わかる。

 ただ、そうだな。意識を逸らし続けたら良いのかもしれない。その方法は……反対哲学をぶつける方は思い付くんだけどな。

「常識の哲学人とかぶつけると止まりそうだけど。連れてこれないんだよね」

「無理。取締課には居ないし」

 うちにも居ないし、居たとしても連れては来れない。

 にこにこ笑っている関島さんが、態度だけは呑気に言い出した。

「思考する余裕がない状態にすればいいんですね?」

「そーだけど。関島なんか案あんの?」

「人間が思考停止する状況に陥らせれば良いと思います」

「具体的には?」

「恐怖と痛みです」

「却下」

 さてどうしようかな。イライラしてる関島さんの対応。

 なんか、思い返すと今日はずっとこんな感じだし。充分仕事はしてるし、むしろ頼りになってて、何も問題はないんだけど。

「あのさ、関島」

 おっと。馬場さんが遂に怒りを露にした。

「何ですか」

「その態度、何だよ」

「いつもと変わりませんよ」

「真面目にやれ!」

 馬場さんが怒るなんて珍しいだろうか。思い出す。ああうん、珍しいな。基本ヘラヘラ笑って茶化す方だった。

 喧嘩して時間を取られる方が困るんだけどな……ということを、わからない人ではないと思うのに。

「……ええそうですね。確かに不真面目に映るかもしれませんが、俺は意見を出してます」

「現実味のない意見でか?」

「マクドナルド理論って知ってますか」

「今は要らねぇんだよそれは!」

 うーん、関島さんの態度は気になる。

 何か理由があるんだろうか。考える。思い出す。思い返せば彼と一緒に仕事をするのは初めてじゃない。今から考えれば、似たような態度になったときが何度かあって……傾向を考える。ええと、違法団体の妨害でこちらが行動制限を受けたときとか……でも逃げるときは平然としてて。

 ん。もしかして。

「関島さん、精神汚染系苦手だもんね」

「はい?」

 わかりやすい苛立ちが返ってきた。図星っぽい。

 今回のこれは思考の強制であって、精神汚染ではないけど。それでも、外から頭の中に何かが入り込んでくる感覚は心地良いものじゃない。そこかな。

「というより、自分の領域を乱されるのが苦手かな。運転中のマナー違反とか、活動中の野次馬とか、他組織の妨害とか、かなり苛立つしこだわってる」

 経歴思い出すか。一度だけ何かの機会で資料を見たことがある。その時は偶然目に入っただけだったけど。特に問題になるようなことはなかったけど。えーと。

 ああ、これか。

「抗哲機の使用歴あったね。もしかして、精神汚染系の影響受けやすい。それか、今も何か受けてて行動制限ある? 思い出したら過激ではあるけど理屈は通る発言が多いし、理性的な人に感情面の影響は辛いものだよね」

 見れば、関島さんは俯いて手で顔を覆っている。

「……関島」

「言い当てられるの、凄く恥ずかしいですね」

「私情挟んだ罰じゃねーの」

「体質的不利です。それなりの配慮がされるべきです」

「言っとけ、先に」

「哲学人って精神汚染系多くないですか。心理学系とか。それ全部無理なら俺仕事できませんよ。あと医者から許可は出てます」

 あ、まだ通院中なんだ。

 ……いや、それは言っておこうよ、同僚の馬場さんには。

 馬場さんも呆れたみたいで、深くため息を吐いて、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。何を言おうか迷ってるみたいに歯噛みして、そして言う。

「お前がやれねぇことをやるのが俺らだし、俺らが出来ねぇことを任せるために、お前が居んだろが。頼れよ」

 おお。

 これに対する関島さんの答えは。

「うっわ恥ずかし……漫画みたいな……似合わな……」

「茶化すな! 真面目に言ってんだから!」

「いや、だって馬場さんこそ、そういうの笑うタイプでしょ……」

「空気を読んでるわ俺は!」

 うーん、この人達は噛み合わないなぁ。

 さて空気は多少マシになった。馬場さんが真面目なのも良いことだ。それに実際、役割分担は大切なことだし。

 私は哲学人研究者としての知識を、馬場さんは現場の指揮を、関島さんは実地活動を、と上手く分かれてるから、私達はよく組んでいるわけで。

 あ。

「全員が考えるんじゃなくて、一人が全員分の思考をすれば良いんじゃないかな」

 これは、良い閃きだ。

 つまりは外付けハードディスクを誰かが担当するということ。うん、人工知能である概念の前提とも合致する。

 突然話が飛んだからか、二人は理解が追い付いてない様子で私を見る。

「この哲学人の対処法。ほら、皆、中に入ったら何か考えるよね。それを声にして伝える。そしたら耳から入った情報は、一応『考えた』ことになるから」

「その分思考に余裕ができるって?」

「だったら良いなって」

 確証はない。ただ、刺激で思考から意識を逸らすという意味でも、声というツールは適任だ。目を向けずとも勝手に聞こえて意識に入ってくる上に、言葉は望まなくても認識される。

 馬場さんは納得したみたいだ。

「とりあえず試すか。じゃ、只野さんが拡声器使ってね」

「うん」

「関島は命綱な」

「もちろんです」

「野田さんは俺が連れ出した救助者の案内お願いしまーす」

「了解……」

 まだ辛そうな野田さんが起き上がる。申し訳ないけど、急がないといけない事態なのでまだ働いてもらわないとね。

 馬場さんが取締課の荷物から拡声器を探し出したのを、私は待つ。なにか他に準備あるかな。抗哲機も一応、ほぼ役に立たないけど起動させないとな。

「あ、あの。お二人とも」

「ん?」

 関島さんだ。何かあったかなと思って見る。彼はいつも通りの穏やかな笑顔で、少し言いにくそうに話した。

「……さっきはすみませんでした。今後は気を付けますし、必要な情報は事前に伝えます」

「おー。わかれば良し」

 答えたのは馬場さんだ。うん、これ以上責める必要はない。

 というか初めから責めるようなことでもないと思ってたから、言う。

「業務に支障はなかったし、問題ないよ。突っかかって時間を消費した馬場さんとどっこいどっこい」

「はいはーい俺も悪かったよごめんねー」

「私も体質的に、ミスとか見逃しが多いんだよね。善処はしてるよ」

 さてと、フォローはこのくらいでいいんじゃないかな。言ったことは全部事実とはいえ、理屈っぽい彼を擁護しても納得されないだろうし反感も買うし。あと時間もったいないし。

 関島さんは、照れたように目線を逸らして、言った。

「ありがとうございます」

 なんだかくすぐったいな。まあ、悪いことになってないからいいか。



 ゆっくり、ゆっくり、私と馬場さんは歩いて洞窟に入る。能力暴露の自覚がないということがわかってるので、思ったことは全部口に出すようにする。

「こういう洞窟って街中にはないから、ちょっと特別感あるよね。地面はしっかりしてて歩きやすいけど、やっぱり観光客用に整備してるのかな。そういえば鍾乳洞って観光地としての人気って……」

 あー、なんか。

「全部話すのって、これちょっと恥ずかしいけど羞恥心を感じることによって洞窟内に反響する音声の周波数に変化はあるわけじゃないし考慮しなくていいとして」

 急に馬場さんが早足で坂を下った。よし、動けてるね。

「取締課です。気を確かに!」

 聞きながら、私は話し続ける。

「歩行によって落ち葉が洞窟に侵入する可能性は考慮する必要がないし、洞窟内の人数が増えることによって鍾乳洞が家屋に変わることは無いので考えなくていいし、時間経過によって今すぐ空が消滅することはないし、発声することに」

 あ。

「っあ、よって」

 声を出して良いのかなんて疑問に思って躊躇してる場合では。

「問題はない! 故にいくらでも」

 いくらでも話して良いこの結果は既に検証されました次の情報処理に移行します。

「動けるなら外へ!」

 声が――洞窟内に反響する声に――馬場さんは動けて――はありますか? 今考慮する必要がありません呼吸により洞窟上空を飛ぶ鳥へ心労はありますか? 今考慮する必要がありません風圧により地面が揺れる可能性はあ今考慮する必要がありません体重移動による洞窟内の壁面の色の変化はあります今考慮する必要がありません人間の移動により天井が落。

 衝撃を感知。当機体に0.00002%の損傷。情報処理能力に問題ありません。データ分析中。情報処理用媒体数の増加を感知。情報処理用媒体数の減少を感知。情報処理効率向上を感知。処理方法のアップデートを行います。アップデート必要予測時間あと約二十四時間。

「終わった!」

 当機体はスリープモードに移行します――

「只野!」

「……あ」

 誰。

 ええと、ああ、馬場さんだ。

 只野は、私で。

 何してたっけ。そうだ、【フレーム問題】の対応。仕事だ。フィールドワークの。取締課からの連絡で。

 ここどこだっけ。洞窟。

「……哲学人は、寝ちまったみたいで」

「そう」

「クッソ。必死こいて避難させた意味……」

 ああ、今、哲学人は不活動状態になったのか。それで思考の強制が解除された。うん、だいたい状況がわかってきた。

 馬場さんは疲れ果てた顔で、へらりと笑った。

「帰り道、覚えてる?」

「うん」

 思い出す。うん、問題なく思い出せる。

 少しくらくらする頭をそのままに、私は情報収集のために目線を動かした。洞窟の奥、見れなかったところに、哲学人の姿を確認しに行く。

 そこで眠っていたのは、少年のような姿をした機械。所謂アンドロイドだった。

 人工知能に関する概念の【フレーム問題】だから、哲学人も機械の姿ということなんだろうね。人型以外……いや、人の形はしてるけど、人間以外の哲学人は珍しい。

 これは取り扱いが難しそうだ。

 ……何となく、試しに触れてみる。金属製みたいで、とても重い。

 これ下山させるの大変だろうな。ここまで乗り物持ち込めないし。


 哲学人の運び出しは取締課の人達に任せて、私は付き添いの馬場さんと一緒に、歩ける程回復した救助者を引き連れて一足先に下山することになった。麓にバイクを停めてあるから、取締課にも先に帰るつもりだ。

 行きより随分重く感じる荷物を抱え、歩きにくい山の斜面をある程度降りてから、気付いた。

「あ、荷物」

 帰りは関島さんにも持ってもらおうと思ってたのに。思い出し損ねた!



 無事に仕事を終え、哲学人の引き取りも決まり、私は研究所に帰ってきた。それじゃああの哲学人を担当する研究員を数人見繕って……と、思ったのだけれど。

 あの哲学人を担当させて大丈夫な職員は、うちの研究所では一人しかいない。ので、私は面倒な手間を省いて、彼に会いに行った。

 聡盟大学附置哲学人研究所、工学部に。

 研究室のドアにノックをする。ドアが開く。男性が姿を表す。

「機戸さん」

「おや、只野さん。なんですか?」

「哲学人の担当とか、やる時間あります?」

「と、いうことは」

 彼の表情が、期待に染まる。よかった、これなら断られることはないだろう。

「アンドロイドの哲学人が発見されました。ただ、かなり扱いにくい哲学人で……」

「やろう! 担当!」

 注意をする前に答えられてしまった。私はいいけどね。

「道君に副担当任せていいですよね? 工学部で最も頼りになる子ですからね彼は。ああこれで研究が大きく進みます」

「ああ、まあ、はい」

「私の研究内容はこの研究所では異端扱いですからね。しかし非常に有意義であると自負しているんですが」

 おっと。何か語りたそうな気配がし始めたので、私はさっさと記録媒体を彼に押し付ける。

「それでこれ、データです。かなり特殊な特性を持つので、気を付けて」

「ええ、わかりました。慎重にやらせてもらいますね」

 言いながら、機戸さんは興奮を押さえきれない様子でいる。

 大丈夫かな、これ。

 ……まあ、仮の対処法は見付かったし、なんとかなるといいな。

 それじゃこれで終わりだ。立ち去ろうと踵を返す私に、声がかかった。

「そういえば、記憶の件。今も変わらずですか?」

「え」

「変わらなさそうですね。貴方が直々に、私に話しかけるくらいですから」

「え、それ、どういう……」

 記憶の件。そしてこの言い方。私と彼は以前不仲だっただろうか。もしもそうなら、彼は、私の過去を知っていることに。

 思い出せ。思い出せ、彼の言葉の原因を。以前話したときの情報を。

 あ、待って、私は以前もこの会話をしている。

 その時私はどうしたっけ。その時私は。

 思い出したんだ。かなり昔の、彼の言葉を。

 ――思わせ振りな言葉をかけたら、前後のやりとりもついでに思い出してくれそうですね。

 え。

 ――というわけで、私は貴方があらゆる手を使い封じた記憶についてお話ししました。

 待って、この記憶は。

 ――あ、緊急事態以外でこれ以上遡ったら駄目ですよ。もうわかりますよね。

 御丁寧に私を止める言葉まで用意して!

 それで、もう思い出すことのないはずの記憶に、栞を挟んで。

 私に、過去を消し去ったのだという事実だけを思い出させた。

「……思い出しました。貴方が『これ以上辿るな』と言う場面まで」

「それはよかった。きちんと機能してますね」

「どうなんですかね」

「さあ。以前お話ししたときも、同じ反応ではありましたよ。その前も」

「でしょうね」

 ……会う度に、確認してるな。この人は。

 私の記憶は空白だ。その代わり、そこに過去に見聞きした情報を置くことができる。『思い出す』と呼ばれる形で。

 置いた情報はすぐに元の場所に戻り、私の記憶は空白に戻る。『忘れる』という形で。

 私は、その事すらも『忘れる』。

 私は、私の記憶が空白であるその理由すらも『忘れる』。

 忘れてはいけないと思ったことも『忘れる』。

 思い出してはいけないと思ったことも『忘れる』。

 もう思い出したくもないと思ったことも。

 ――自分自身について考えてはいけないなんて、他人が決めて良いものと私は思わないのです。例えそれにより貴方が死ぬとしても。

 本音かどうかわからない、自分勝手な笑みを思い出した。

 機戸さんは、かつての私が叩き潰した思い出す『きっかけ』を、叩き潰したすべての『証拠』を、思い出そうと思うことと、思い出さなければということを思い出すことを呼び覚ます一切を、誰にも知られないままその身によって保持した。断ち切った導火線に自らが成った! 私の意思によって、あのときに引き返せるようにした。

 お節介な人だ。


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