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時計の針が十二時を指した。
月が変わり、いよいよ今日は幼稚園スタートの日である。
ナギくん達の入園が決まったあの日から、すでに十日が経過していた。
……その間、色々あったことを思い出す。
あの日ロイさんが言っていたように、四日前にヤンさん家族が無料体験に来てくれたのだ。
相変わらずというか、本当に何を話しても全く表情を変えないヤンさんと違い、奥様や子ども達はとても表情豊かだった。
双子の兄弟である兄ゲイルくんと弟ゾイルくんはヤンさんと同じ狐獣人であり、奥様は狸獣人なんだとか。
ナギくんのご両親は猫獣人同士だったから、てっきり同じ種族の獣人同士が結婚するものだと思い込んでいたと話せば、奥様がカラカラと笑って『違う種族でも結婚出来るし、その子どもは必ずどちらかの種族で産まれてくる』と教えてくれた。
ヤンさんの子ども達は元気いっぱいで、私の体力持つかな? なんて思ったりもしたけれど。
とても懐いてくれて、帰る時間には里緒菜にピッタリとくっついて離れないほどで、奥様が怖い顔をしながらひっぺがして頭にゲンコツを落としていた。
基本のびのびだが、叱るときはしっかりと叱るのが奥様の子育てルールらしい。
実際体験入園して、料理もだが楽しみながら学べることに特に興味を持ってくれて。
ヤンさんの意見は全く聞くこともなく、里緒菜に聞かれる前ににっこり笑顔で「入園します」と言われた時には、
「旦那様のご意見を聞かれなくて大丈夫ですか?」
と思わず聞いてしまった。
ヤンさん家族の力関係が見えてしまい、苦笑を浮かべてしまったのは仕方がないと思う。
そんなこんなで、記念すべき幼稚園の始まりは四人の生徒達からスタートすることになったのだ。
子ども達が毎日楽しく通ってくれる、笑顔の絶えない幼稚園にしていきたい。
いや、していくのだという意味を込めて、里緒菜は自身の頬をパシンと叩いて更に気合を入れた。
新月の日に、手帳にグリーンのペンで願い事を書くと叶うという話を聞いたことがある。
ただし、『〜したい』『〜になるといいな』などの書き方をしてしまうと『〜したいと思っている自分』が叶い、ずっと思っているだけになってしまうので、『〜になっている』というような書き方をするのが正しいのだとか。
相手を動かすことは出来ないので、『○○が私のことを好きになる』といった書き方もダメらしい。
そういえば、プロのサッカー選手や野球選手の卒業文集には、将来の自分を『プロになって活躍している』と書いている人が多いのだとか。
……よし。引き出しから手帳を出し、新月ではないけど、グリーンのペンでもないけど、『笑顔の絶えない幼稚園にする』と書いた。
言霊という言葉があるように、言葉には力があるのなら。きっと文字にも力があるはずだから。
これからは何かに対して『〜したい』といった言い方はせずに、『〜する』と言うようにしようと心に決めて、先ほど書いた文字をゆっくりとなぞった。
トントンとノックの音が聞こえ、
「は〜い!」
と返事をしながらパタパタとスリッパの音を立てて玄関扉を開けると、勢いよくゲイルくんとゾイルくんが抱きついてきた。
「うわぁ」
色気もへったくれもない悲鳴を上げて尻もちをついた里緒菜に、
「あぁぁぁぁ、すみません!」
とヤンさんの奥様が駆け寄り、ゲイルくんとゾイルくんをひっぺがすと、頭にゲンコツを落とした。
「いきなり抱きついたら危ないじゃないかっ!」
二人は痛みに涙目になりながら、
「「ごめんなさぁい」」
ペコリと頭を下げる。
「ちょっとビックリしたけど、大丈夫よ? おはよう、二人とも」
両手で二人の頭を撫でると、パッと顔を上げて嬉しそうに、
「「おはよう」」
とまた抱きついてくる。
ヤンさんの奥様が申し訳なさそうに「すみません」と謝罪するのを、里緒菜は首を横に振って謝罪はいらないことをアピールして言った。
「今日からゲイルくんとゾイルくんをお預かりします。よろしくお願いします」
「こちらこそ、元気ばっかりが取り柄の息子達ですが、よろしくお願いします。何か悪さした時には、遠慮なくゲンコツをお見舞してください」
そう言ってヤンさんの奥様は手を振り、仕事に向かう。
ゲイルくんとゾイルくんと一緒に「行ってらっしゃい」と手を振り見送ると、
「さ、中に入ろうね」
二人の背中を押して家の中に入った。
少ししてフェンさんとララさんに連れられたナギくんとリリちゃんもやって来て、家の中が一気に賑やかになる。
「さて、今日からみんなはこの幼稚園のお仲間さんだよ! ゲイルくんとゾイルくん兄弟と、ナギくんとリリちゃん兄妹。リリちゃんは三歳で、ゲイルくんとゾイルくんとナギくんは五歳で同い年だね。みんなで仲良く楽しい時間を過ごしましょうね」
恥ずかしがり屋のリリちゃんは、やはりというかナギくんの後ろに隠れてモジモジしている。
でも気になるのか、時々チラリとナギくんの背中から顔を出すのが可愛くて可愛くて。
同い年というのもあってか男の子三人は息が合ったようで、もう仲良くなっている。
自然と年下であり女の子であるリリちゃんは一人になってしまうので、今は私の膝の上に乗せている。
大事なことなのでもう一度。
私の膝の上に乗せているのだ。
嗚呼、幸せ……。