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ケインに診てもらった後、彼女を家まで送ってきたのだが……。
何なんだ、コイツは!
安静にしろと言われたばかりのくせして、全く安静にする気配すらない。
俺に冷えた麦茶を注いだグラスを「どうぞ」と言って出してきたかと思えば、またキッチンに向かって何やらしようとしているようなので、
「君は止まると死んでしまう魚なのか? 先ほど安静にと言われたばかりだろう? なぜ大人しく座っていられないのか」
思わず呆れたように言ってしまった。
彼女はとても表情が豊かなようで、『気を付けて動けば大丈夫でしょ?』とでも思っているだろうことが、その顔を見れば一目瞭然である。そもそも彼女の中には『動かない』という選択肢がなさそうだ。
「その様子だと大人しく座っているのは無理そうだな」
俺はソファーから立ち上がり、キッチンにいる彼女の横へ移動した。
並べば彼女は俺の胸の高さほどしかなく、かなり小柄なことが分かる。
今日やらなければいけないことは何かと問えば、
「え? やらなきゃいけないこと? えっと、傷んだ果物をフルーツポンチにして、それが終わったら晩御飯の支度して、洗濯物畳んで、シャワー浴びて、寝る?」
などと呑気に答える。
眉間にシワが寄り、思わず口から大きな息が漏れた。これを人は嘆息と呼ぶのだろうな、などと思ってしまったのは仕方がないことだろう。
「手伝おう」
と言えば、彼女は驚いたように目を大きく見開いた。一体何を驚くことがあるというのか。
少々強引に手伝うことを了承させ、野菜とベーコンを切りながら横目に見ていれば、彼女の動きには全くのムダがない。
結局俺がやったのは野菜を切ることだけで、あっという間に彼女は調理を終えてしまった。
しかも、その料理が美味すぎた。
少し甘めのタレが絡んだ鶏肉料理はもちろんのこと、少し変わったサラダもスープも、その全てが美味かった。
渡り人達の住む世界には、こんなに美味い料理が存在しているのかと少しだけ羨ましく思う。
とにもかくにも、このような美味いものを頂いたことに感謝の言葉を述べると、彼女は少し照れたように笑った。
今日は非番で久しぶりにゆっくりと休むつもりでいたのだが……。
ふとした拍子に、昨日の彼女はちゃんと安静にしているのだろうかと、そればかりが気になって何だか落ち着かない。
医師のもとに連れていき、治療もし、無事自宅にも送り届けた。それで十分のはずだろうと思うのだが。
なぜか『こうしている間にも彼女はちょこまかと動いているに違いない』などと考えている自分がいる。
一体なぜ、俺はここまで彼女を気にしているんだ?
怪我をさせてしまったというのももちろんあるだろうが、これは……そう、箱に入れられた捨て猫を見てしまった時の心境だ。
無事に新たな飼い主が見つかるだろうかと気にしてしまう、アレだ。
渡り人としてこの世界に突然現れた彼女に、頼れる人と出会えるのかを俺は心配していたのだろう。一人納得して頷く。
気分もスッキリしたところで、着替えて寮を出た。
「え~っと、おはようございます?」
玄関扉を開けて驚いたようにこちらを凝視しつつ、小首を傾げながら疑問符をつけて挨拶してきた彼女。
「あの、今日は私服でどうされたんですか?」
とりあえず来てはみたものの、何と説明したらいいのか分からず彼女の質問はスルーし、違う質問を返す。
「無理はしてないか?」
「えっと、無理した記憶はないですけど」
「そうか。ならば邪魔するぞ」
「ええ、邪魔を……え? ええ?」
勢いに任せて彼女の家に邪魔をする。
困惑しながらも彼女はスリッパとやらを出し「どうぞ」と招き入れた。
昨日と同じくグラスに入れた冷えた麦茶を出され、座り心地の良いソファーに腰掛けている。
彼女が麦茶をコクコクと飲みながらチラチラとこちらを見てくるので、とりあえず『なぜ来たの?』と思っているだろう疑問に答えた。
「今日は非番だからな。君が無理をしないようにと思ってな」
乾いた笑いを浮かべつつ視線が泳ぐ彼女を見て『やっぱり』と心の中で深い溜息をつく。
「最低でも今日一日は大人しくじっとしていてもらうからな」
彼女はきっとジッとしているのが耐えられないタイプなのだろうとは思うが、せめて今日一日くらいは安静にしていなければ捻挫が長引いてしまう。
「いや、あの、一応大人しくしているつもりではいます、よ?」
この期に及んでまだ『つもり』だなどと言っていることにカチンときて、つい余計なことを言ってしまった。
「君の『つもり』が信用出来ないことは、昨日で十分理解している。今日は俺がきみのかわりに動くから、大人しくしとくように」
「ええぇぇぇええ?」
ーー結果から言えば、やはりここに来て正解だった。
彼女の思う安静は安静ではないことを確信したからだ。