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俺が初めて彼女に出会ったのは、騎士団が強盗団の討伐を行った際に隙をついて逃げた奴を追っている時だった。
市場で買い物を終え、家に帰る途中だったという彼女が交差点で逃げる奴と出会い頭にぶつかり、二人共に転倒したのだ。
そのお陰で奴を捕まえることが出来たのだが、彼女は転倒によって右足首を負傷したらしく、仲間達に断りを入れて彼女を家まで送ることに。
サッと抱き上げると、顔を真っ赤にして慌てて下ろすように言う彼女は、子どもを抱き上げているのかと思うほどにとても軽かった。
すぐ近くに住んでいたようだが、家の中は見たこともないような作りになっており、玄関で靴を脱ぐように言われた。どうやら『土足厳禁』な家らしい。そんなのは初めて耳にする。
正直言って面倒くさいとは思ったが、家主がそうと決めている以上従う他なく、仕方がないと靴を脱いで再び抱き上げて中へと進めば。
扉を開いた先の正面には大きな窓があり、広い室内には見たこともないような家具がズラリと並んでいた。これは一体……。
彼女をソファーへと下ろすと靴を玄関に置いてきてほしいと頼まれ、靴を置いて部屋へ戻れば彼女は先ほどまで被っていた帽子をとっており、その頭にはあるべきはずの耳がなかった。
「耳が、ない? ……渡り人か?」
話には聞いたことがあったが、実際に目にするのは初めてだ。
ーー本当に(頭に)耳がないんだな。
ついマジマジと見てしまう。
耳と尻尾がないのはもちろん、肌の色は若干白く、黒髪黒目が印象的ではあるが顔立ちは彫りが浅くアッサリしている。
そんな風に観察していれば、
「えっと、多分?」
少しばかり自信なさげに小首を傾げて答える彼女。
「もしかして、この家は……」
「うちの玄関扉とこちらの世界が繋がってしまったみたいなんです。ですから、この家の中のものは全て、私がいた世界のものなんですよ」
どうりで見たことがないものばかりなわけだと、一人小さく頷く。
役目は終わったとばかりに彼女が市場で買った果物の入った袋を渡して帰ろうと思ったのだが、どうやら彼女は自分が右足首を痛めていることをすっかり忘れていたらしく。
ソファーから立ち上がる際に思い切り痛めた方の足に体重を掛けてしまったようだ。
「痛っ!」
「おい、無理をするな!」
痛いと言いながらも立ち上がろうとする彼女の肩を押してソファーに座らせるが、
「あの、今のはついうっかり足首のことを忘れて体重を掛けてしまっただけなので……」
などと言い訳を始め、まだ立ち上がって何かをしようとする素振りが見えて、つい怒鳴ってしまった。
「『だけ』じゃないだろ! 痛かったんだろ? ……君は放っておけば無理するタイプなのが、この短時間でよぉく分かった」
彼女は目を離したらいけないタイプの女性だ。放っておいたら何を仕出かすか分からない。
小さく息を吐き仕方なくもう一度彼女を抱き上げて先ほどまで被っていた帽子を被らせると、ソファーの足もとに置いてあったバッグを押し付けて玄関に向かった。
無理やりにでも医師のもとへ連れて行かなければ、彼女はきっと自力で治そうとするだろう予感がプンプンする。
ここから一番近いのは、騎士団宿舎のアイツだな。
まあ腕がいいのは認めるが、何とも口が悪い面倒くさい男なのだ。とんでもなく気が重いが仕方がない。
家を出て騎士団宿舎に向かっていると、彼女がおずおずといった感じで声を掛けてくる。
「あの、どこに行くんでしょう?」
「騎士団の宿舎だ。宿舎には常駐の医師がいる。……口煩い面倒なヤツだが」
「あの、私なら大丈夫です! しばらく大人しくしとけば、そのうち治りますから」
宿舎に行くと言えば、彼女が大丈夫だと必死にアピールしてくるが。
「大人しく出来るなら、な」
「……」
言外に『絶対に無理だろう?』という意味を込めて言えば、黙ってしまった。どうやら自覚はあるようだ。
しばらく歩くと二メートルほどの高さの塀に囲まれた宿舎に到着し、門の前には警備のために熊獣人のマークと狐獣人のヤンが立っている。
「おいおい、マジかよ。ロイが女持ち帰ってくるとか、槍が降るんじゃねぇか?」
「ロイ、もとの場所に返してくるんだ」
ニヤニヤ顔のマークと違い、表情がほとんど変わらないヤンは冗談を言っても冗談に聞こえない。
俺らはそれを分かっていても、彼女には分かるはずもなく。
チラッと彼女に視線を向ければ、案の定ジト目でヤンを見ている。
真顔で冗談を言うのは止めるよう言ってはいるのだがな……。
気付かれぬよう小さな溜息をつき、
「追跡中に巻き込んで怪我を負わせてしまったんだ。ケインに診てもらうために連れてきた」
淡々と答えて、スタスタと門の中へと入って行く。
「あの……とっても今更ですけど、(宿舎に)部外者を連れ込んだりして、大丈夫なんですか?」
「ん? 大丈夫だろ?」
俺が適当に答えれば、それきり彼女は黙り込んで大人しくなった。
いつものように医療室の扉を開け、
「ケイン、捻挫だ。診てやってくれ」
と言いつつ、診察台の上にゆっくりと彼女を下ろす。
アライグマ獣人である医師ケインは変わらず何ともダルそうに椅子に座っており、眉間のシワを寄せて面倒くさそうに話し出した。
「いつも言っていますが、捻挫かどうかは私が診て判断することで、あなたがすることではありません。勝手な判断はしないようにと……」
「ご託はいいから、さっさと診ろ」
「……」
無言の睨み合いが続く。まあこれもいつものことだ。
ケインは大きな溜息をつくと、仕方ないといった風に彼女に視線を向ける。
「痛いのはどっちだ?」
「え? あの、右足、です」
言葉の割には丁寧に診察し、やはり捻挫ということで薬を塗って包帯をしっかりと巻いていくケイン。
「しばらくの間は安静にしておけ。少し良くなったからといって無理をすると長引くからな」
「はい、ありがとうございました」
「分かったのならそれでいい。治療は終わったのだから、サッサと出ていけ」
笑顔で礼を言う彼女に背を向けたケインの白衣から覗くうなじがうっすらと赤くなっているのが分かり、何だか無性にイラッとした。




