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里緒菜が静かに涙を流していると、トントンと玄関の扉をノックする音が聞こえた。
誰? 手の甲でグイッと涙を拭って立ち上がり、ふとシューズインクローゼットの扉についた姿見に映る自分の顔を見て、ピキンと固まる。
涙と、それを手の甲で拭ったせいでアイメイクが落ちてとんでもないことになっていた。
ヤバい、こんな顔で出られるわけがないじゃん! ど、どうしよう……。
扉を見つめる里緒菜の瞳に施錠されていない鍵が映り込んだ瞬間、リンデルさんに以前言われた言葉を思い出した。
『若い女の子の一人暮らしは危ないんだよ!』
里緒菜が転移したのは、この世界では比較的治安は悪くない場所とはいえども、日本と比べれば格段に悪いと言える。今扉をノックしたのが知り合いならばいいが、もし悪い人だったら……?
サァッと血の気が引き、慌てて鍵を閉めようと一歩踏み出そうとして、自分の足に引っ掛けて転倒した。
ビタンという音と共におよそ女性らしくない「へぶっ」という声が里緒菜の口から漏れると、扉が勢いよく開けられるのと同時に、
「リオナ! 大丈夫か!?」
頭上からロイさんの切羽詰まったような声が降ってきた。
悪い人でなかったことに安堵すると、途端に痛みが主張し始める。
ロイさんは玄関にうつ伏せに倒れている里緒菜を目にして、きっと驚いたのだろう。ウッと息を飲み込む音が微かに聞こえたように思う。
だが、そんなことを気にしていられないほどに、しこたま打ち付けた顎がジンジンと痛む。
「うぅぅぅぅ、顎、ぶつけた。……痛い」
情けなくも小さく呻く里緒菜に、とりあえず大きな怪我をしたわけではなさそうだと、しゃがんで声を掛けてきた。
「リオナ?」
思わず顔を上げれば、ロイさんが一瞬ギョッとしたような顔をしたのを、里緒菜は見逃さなかった。
……そういえば、泣いてメイクがグシャグシャになっていたんだったと、慌てて顔を隠すように下を向く。
こんなみっともない顔を見られるなんて。顎の痛みもあって、またジワリと涙が浮かんでくる。
「顎以外で痛い所はあるか?」
何とも優しい声で聞いてくる。
何て答えたらいいか分からず、とりあえず下を向いたまま頭を横に振った。
ーーどうしよう。このまま起き上がれば、またロイさんにこの残念な顔を見せる羽目になるよね? それってどんな罰ゲームよ。でも、ずっとこのままでいるわけにもいかないし……。
ええい、女は度胸だ! と勢いよくガバッと起き上がった瞬間、脳天にものすごい衝撃と共に「ぐっ!」という声が聞こえた。
どうやらロイさんの顎に、里緒菜の脳天がクリティカルヒットしてしまったらしい。
顎に手を当てて若干涙目になってるロイさんの前で、脳天を押さえて「ぐぅぅ」と唸る里緒菜。可愛らしさは皆無である。
「リオナ、大丈夫か?」
「うぅぅ、大丈夫。ロイさんゴメンね」
「いや、気にしなくていい。それより……」
ロイさんがいきなり里緒菜のわきに手を入れてグイッと持ち上げた。
「うひゃ……あ?」
ストンと足の裏が床について立たされ、脳天を撫でられる。
「とりあえず顎が少し赤くなっているのと若干脳天にコブが出来たの以外は大丈夫そうかな」
そう言って里緒菜の顔を覗き込むと、ん? と顔を顰めた。
「目が赤い。泣いていたのか?」
うぎゃぁぁぁぁああああ、ヤバい顔を凝視されただけじゃなくて、泣いてたこともバレた!
「いや、これはその」
「何があった?」
「べ、別に嫌なことがあったとかじゃなくてですね」
「詳しい話は中で聞かせてもらおうか」
あれ? ロイさんてば笑顔のはずなのに、何だか背筋がゾワッてするんですが。




