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「あ……」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。こういう時って、思い切り笑い飛ばしてくれる方がマシだと思うのは私だけかな?
さっきまで、締りのない顔してたって気にしない~なんて思ってた自分を殴りたい。
こんなんでもまだ一応嫁入り前の娘だし(未定だけど)、羞恥心だって一応ちゃんとあるんだもの!
「え、え~と」
何か言おうと口を開くも、全く何も出てこない。
そんな里緒菜を見てロイさんがフッと目尻を下げて小さく笑った。
「座らないのか?」
「す、座ります……」
おずおずとダイニングテーブルの方へと足を向けて、ロイさんの前の席にストンと腰を下ろす。
「とりあえず『おめでとう』でいいのかな?」
「え?」
「体験入園とやらの勧誘に成功したんだろう?」
「う、うん。ありがとう」
照れたように笑う里緒菜に大きな手が伸びてきて、頭を優しくポンポンされた。
いきなりの出来事に一瞬固まった里緒菜だったが、次の瞬間脳内で激しく転がり悶えまくる。
うわぁぁぁぁああ! イケメンのポンポン頂きましたぁぁぁぁああ! めっちゃキュンキュンするぅぅぅうう!
里緒菜の脳内で繰り広げられる奇行に気付くはずもないロイさんは、さきいかがなくなった皿に寂しそうな視線を向けつつチータラへと手を伸ばしながら、思い出したように話し出した。
「それにしても、無料で体験などというのは初めて耳にしたが、大丈夫なのか?」
「ん? 無料体験、こっちの世界にはないの?」
「少なくとも俺は聞いたことがないな。ん、これも美味い」
どうやらチータラも気に入ったようだ。里緒菜は柿の種に手を伸ばしながら返事を返す。
「そっかぁ。私がいた所では、割と普通にあったよ? たとえばスーパー……ええと、食料品を売っているお店とかでは試食とか試飲が出来るものもあったし、習い事とかは一回だけ無料でレッスンに参加出来たりとか。お客さん側もどんな味か分かって安心して購入できるし、習い事もどんな内容なのか、自分に合っているかどうかが分かって入会出来るから、お金をムダにしなくてすむものね」
「なるほど。無料で体験出来るのなら、人にも勧めやすいな」
「そうそう、そうなのよ。自分はいいと思って勧めてはみたけど相手には合わなかった場合、相手は『買わなきゃよかった』とか思うだろうし、勧めた方もちょっと気まずかったりするじゃない? でも無料だったらもし合わなかったとしても『残念だけど私には合わないみたい』で済むのよね。勧める側にも勧められる側にも気楽でいいっていうか。でも……、気に入ってくれるかなぁ」
きっと大丈夫だという前向きな気持ちと、初めてのものを受け入れてくれるだろうかという不安が少しだけない混ぜになって、柄にもなく少しだけ弱気な言葉を発した里緒菜の額に、ロイさんがバチンッといい音をさせてデコピンした。
「いだっ!」
「よし、お祝いに今日は俺が美味い所に連れて行ってやるよ」
「え? いやいやいや、まだ決まったわけじゃないから」
少し赤くなった額を擦りながらジロッと睨むようにして言えば、ロイさんはクツクツと笑いながら問いかける。
「何だ? 遠慮しているのか?」
「別にそういう訳じゃなくて……」
里緒菜は少しだけ考えるような仕草をした後、ウンと一つ頷く。
「じゃあさ、体験入園じゃなくてちゃんとした入園が決まったら、その美味しいお店とやらでお祝いしてくれる?」
「ああ、とびきり美味い店に連れて行ってやるよ」
「やったぁ、楽しみにしてる! そしたら今日は子ども達の遊びに付き合わせちゃったし、チャチャッと作るからうちで晩ご飯食べていってよ」
「いや、幼稚園の準備もあって忙しいだろうし、さすがに手間をかけさせるわけには」
「ううん、平気。それに一人分も二人分も手間は変わらないから大丈夫! すぐ出来るから、ロイさんは座って待ってて」
立ち上がりかけたロイさんの言葉に被せるように息つく暇もなく一息で言い切ると、彼は苦笑しつつ腰を下ろした。
グラスの残り少なくなった麦茶に冷えた麦茶を足して、スリッパの音をパタパタと立てながら里緒菜はキッチンに向かう。
大きめの鍋でお湯を沸かしている間に、フライパンに冷凍のほうれん草とキッチン鋏で一センチ幅くらいにチョキチョキしたベーコンを入れて炒めたら、パスタ用の醤油ベースのオイルソースをからめる。しめじも入れたいところだけど、今日は面倒なので入れない。
このオイルソース、常に二~三個ストックがあるほど重宝しているのだ。
お湯が沸いたら塩を入れて、早ゆでのパスタを投入。
パスタを茹でている間にレタスを手でちぎっておく。
茹で上がったらパスタをソースの入ったフライパンに入れて混ぜて出来上がり。
次はビニール袋にレモン汁と塩コショウとごま油と鶏ガラスープの素とニンニクチューブを入れて軽く揉んで混ぜ、そこにちぎったレタスを投入。シャカシャカ振ってよく混ぜてお皿に盛ればサラダの完成。
ご飯を作るのが面倒な時によく作るこのパスタとサラダ。
まな板と包丁要らずで洗い物も少なくて済むし、何より美味しいのが嬉しい!
「うまいな」
そう言って凄い勢いで、ロイさんの口の中にパスタとサラダが吸い込まれていく。
でも食べ方はキレイなんだよね。
美味しいって言葉と、こうして残さず食べてくれることが嬉しい。一人きりの食事は何だか味気なくて、誰かと一緒に美味しく食事が出来ることって、実はとっても幸せなことなのかもしれないと、里緒菜は思った。