夢と花火と巻き戻し2
4:4
「おい、待てよ」
俺は夕方、猫を追いかけた時のように、鷺香の後を追う。
「えへへ、もっと速く走らないと、追いつけないよーだっと」
「このぉ!」
夏祭りだ、と以前とは反対に張り切って浴衣に草履なんて格好でやってきたものだから走りにくくって仕方がない。
鷺香はこうなることを予想していたかのように、靴だけはしっかりと履いてきている。
俺と鬼ごっこでもするつもりだったんだろうか。なんて、そんなことを考えているうちに、気が付けばもう山の麓まで来ていた。
「鬼ごっこはここまでだね」
そういって急に足を止める鷺香。
「ん? どうしたんだ?」
「わざわざ優斗にここまで来てもらったのには、理由があるんだよ」
「なかったらびっくりだけどな」
「もう、そういうこと言わない!」
フグのようにプーっと頬を膨らます。
「はは、お前、なかなか面白い顔してるぞ」
「こんな顔にさせたの誰よ・・・・・・全くもう」
そんなやり取りをしながら、鷺香は、山頂へと続く石段を登っていく。
「この先には、何があるんだ?」
「神社だよ。向こうの山とは別の。最近は夏祭りを向こうで開催するから、こっちの山の神社はすっかり寂れちゃったけど、神様がいなくなったわけじゃないからこっちのほうにも来たかったんだよね」
「そうなのか・・・・・・でも、こっちには屋台も何もないし、正直不便なんじゃねーか?」
真っ暗な道で、危ないような気もするし。
「確かに、屋台も山道を照らす明かりの類も全くないけど、それが狙いってのも結構あるんだよ?」
「狙い?」
「うん。きっすぐにわかると思う。私、小さいころはよくお母さんとこの神社に来てたから」
こいつの母がまだ外出しているということは、もうすでに八年以上前のことだという訳か。俺はそんな解釈をしたが、
「病気になっちゃって、お母さんが入院するほんの少し前のことだったんだけどね」
と、すぐに八年もたっていなかったことがわかってしまった。
誰にも見解を述べていないものの、なんだか少し恥ずかしいものがある。
「んじゃ、お前の母さんとの最後の思い出の場所って事か・・・・・・」
「うん。そういう訳だね。まあ、兄さんがどこに行ったのかわからなくなってからのお母さんはずっとすっからかんになった水槽みたいに、何も言わなかったからこの場所にお母さんとの思い出があるかといわれると、正直疑問符なんだけどね」
あまりに現実的で正直な意見が鷺香の口から出たことに驚いたが、すぐに、もう完全に割り切ってしまったんだなと、失礼だが同情した。
「なんで、母さんここにきたんだ?」
「んー・・・・・・その時はまだ入院もしていなかったし、まあ所謂神頼みってやつなのかな? お母さんを元に戻してあげてくださいって。ここ、医療に関係する神様が祭られてるらしいから。まあでも、結局神様に頼んでも治らなかったんだけどね」
神様に願っても、頼んでも治らなかった。結局解決できなかった。
人間の精神とは神ですら動かすことは難しいのかもしれない。縋るために創造した神がその役割を果たせていないのには、やはり息子を亡くした、否、無くした親にしかわからないそんな感情があったのだろう。
「って、こんな暗い話をしにここに来たわけじゃないんだよ? 暗いのはこの夜だけでいいんだから、もっと他のこと話そ?」
俺が鷺香の母の話を深堀したことで、鷺香の心まで深く掘って、えぐってしまっていたのなら、ここで謝罪するべきだっただろうが、最早そんな謝罪すら受け付けないような、そんな雰囲気だった。
「あ、そうだ。結局今度のプラネタリウムの日程、決まったのか?」
「んー・・・・・・実はね」
「誘っておいてなんだけど」と、申し訳なさそうに、プラネタリウムに行けなくなったことを告げる鷺香。
俺は、この時の鷺香の表情に違和感を覚えた。
「あのさ、優斗。この前、電話で話したことの続きまた聞いてもらってもいいかな?」
「・・・・・・いい、けど」
「私ね、あの時は全くそんなこと考えてなかったんだけど・・・・・・」
「うん」
「やっぱり、しっかり本人に言うことにしたんだ」
それは即ち、そういうことなのか、と聞きそうになってすんでのところで押しとどまる。
「へぇ・・・・・・成功するといいな。告白・・・・・・」
はたから見れば、なんて男なんだと言いたくなるし、現に俺だったら間違いなく誹謗中傷をぶつけているだろうなと思うわけだが、あくまでそれは冷静に客観的に物事を処理できた場合の話であって、今目の前の幼馴染に告白されそうな状況で言えるような台詞は持ち合わせていない。
「ううん。成功するなんて、そんなことは考えてないよ。まあ、成功するには越したことないけど・・・・・・私、もう〝消えちゃうから〟」
「は?」
耳を疑うその現実離れした意味の解らない発言に、一瞬気を取られた隙に、鷺香は全速力で石段を駆け上がり始めた。
「おい! どこ行くんだよ! どういうことか説明しろよ!」
俺も大声を出しながら鷺香の後を追う。
「理由はうまく説明できないけれど、でも、ごめん‼ 最後に、最後に君にこれを・・・・・・」
鷺香がそういった次の瞬間。
町で唯一の時計台の四度目のチャイムと共に、打ち上げ花火が揚がった。
ドンッという激しい音と共に蒼い光がまるで流星群のように放物線を描きながら地に降り注ぐ。
「あ・・・・・・」
言葉を失い、鷺香を追いかける足を停めてしまう。
間髪いれず、というには少し遅い気がしたが、花火に見蕩れるあまり止まっていた足を前進させる。
厳密には、上進させる。
つい先ほどまで真っ暗だった空が蒼い光で満たされたことで、より一層、そのあとの漆黒が強調された。
ただひたすらに石段を登り続け、走り続ける。
一段飛ばしなど到底できないような高さの石段だったことと、先ほども記したように、草履なぞ履いていたものだから思うように追いかけられない。
俺は、足元にそんな不自由を感じながらも、先ほどの言葉の意味を紐解こうとする。
そんな言葉の、こんな、何処かからとってつけたような「消える」なんて、あんな言葉の意味は本当は本人にしか、事の当事者である彼女にしかわからないのだろうけれど、わかるから考える。わからないから、見つからないから考えない。というようなそんな短絡的で単純で矮小な概念ではなかった。
人間の行く先なんて本人にしかわからない。なんてそんな言葉があるけれど、現実からすれば、むしろ本人のほうが周りよりも理解できていないだろう。
行方、不明。
だから、その周りである、少なくとも鷺香を、この少女をずうっと隣で見守ってきた俺にしか、正真正銘彼女の「周り」である俺がこの事態を静止させないでどうすると、事を理解するよりも先にそういう答えに至った。
石段を登り続けていたんだから、いずれ頂上に、着いた。
「おい、待ってたのに、逃げるのかよ」
「・・・・・・逃げてるんじゃない。私だって君をずっと追いかけれるんだよ。何度も、何度も」
「消えるって、どういうことだよ」
「それは、この世界で私が君に伝えれることじゃないんだ。消える。正真正銘ただそれだけのことだよ」
「全く意味が解んねーよ!」
「私、語彙力がないのかな・・・・・・でも、君に、この世界でも君にこれだけは言わせて」
そういうと彼女は、慣れない手つきで眼鏡を外し、
「私、ずっと君のことが好きだったんだよ?」
知ってたでしょ? とそういう問いかけと共に鷺香は蕣のような哀しい笑みを浮かべ、消えた。