小説家になろうにて、百作品と作ってみて
気がついたら百と、エッセイ含めてなんですが百作品と書いてました。見返してみると短編が多いから、なんですけどね。
でも、三桁ってそれなりに多い方? これ自慢してもいいこと?
もしくは、そんなに書いても書籍化の話なんて来ない、という私の無能の証明ですか?
おうふ、自爆。でも、ここまで書き続けたことを少し振り返ってみて、他の方々の参考になることもあるかも? と。
短編をいくつか書いた後、何年と頭の中で寝かせていたものを長編と書いて投稿してみました。
初めて書いた長編がゾンビ物で、これがジャンル別の日間ランキング一位となり、ジャンル別の週間ランキング一位となり、うわお、となりましたよ。
で、もしかして私って文才あるのかも? これでやっていけるのか? と、調子に乗って次に書いたSFは、うけなかったようで評価など低迷しました。
ふふ、いい夢、見せてもらったぜ……。
ただ、書きたい物が湧いて出て来るので、それを書いていました。アクセス数とか、評価とか、感想に一喜一憂し、ハイになったり落ち込んだりと。
でも自分の思う物語を形に残していきたいと書いてました。
第五回ネット小説大賞で、一次突破、二次落ちが、最高記録ですね。
モチベーションが下がり止めようか、と思うこともよくありました。
継続を支えてくれたのは、今も応援してくれる方。
というか、活動報告のコメントがカンストして、これ以上書き込めません、とか赤字が出て、ここまで賑やかにしてくれる方がいる。ならば続きを書かねば、いろいろやらねば、と意欲も湧いてくるものです。
あとは、スコッパー速報というサイトですか、ここで紹介してもらったことがあります。
ここで拙作が、『読み終わった後は不思議と生への活力をもらえる作品』と、紹介されてたんですね。
私にとって、小説を読むのは現実逃避。書くこともまた現実逃避。読み終えた後に生きる活力を、というのは翻って私の願いでもあります。自分が生きる活力を欲している。だから、そういうものを書きたいし読みたい、と。
文才が欲しいとも思いつつ、才能という言葉は好きじゃ無い。というのも以前に『お前はこの厳しい現代社会で生きる才能が無いから、さっさと死ねば?』と、いったことを遠回しに言われたことがあるから。
生きる才能って、なんなのでしょうね? たぶん私には無いものです。つまり、才能が無いから諦めろっていうのは、生きる才能の無い私みたいな奴は自殺しろっていうことですからね。
私自身、碌でもないものをよく目にしてきたことで、世の中などどうでもいい、自分もさっさと死のうか、と、よく考えたりします。
とか言って一度、自殺未遂をしてからは死ぬ勇気も無く生き長らえています。
私のことを昔からよく知る悪友がいます。こいつが言うには、
『お前は人間嫌いのくせに、何処かで人を信じたがっている。世の中にはまともな人もいるはずだ、と、期待してる』
なんてことを言いました。
それはまぁ、確かにそうで、そんな人達に伝えたいことがあるから今もちまちまと書いてたりします。
異世界転生がうけるのか? と、それなら地球全人類が異世界転生したもの、とかも書いてみたり。
初めて書いた恋愛ものが、感動した、と感想をもらい嬉しくなったり。
自分の書いた作品にリサイクルタグをつけてみたところ、その作品の続きを書いてくれる人がいて驚いたり。
完結した作品が予想外に続きを読みたい、と言ってくれる人がいて、後日談を書いていたら、そっちの方がボリュームが増えたり。
今日の一冊で取り上げられて、アクセス数が増えたときは、こんなに読んでくれる人がいるのか、と嬉しくなったり。
で、頑張って続きを書いてみたら、更新するたびにブクマが減って凹んだり。
知らないところで自作が韓国語に翻訳されて、見知らぬサイトに出てて驚いたり。
自分の過去の体験をエッセイで書くと怒られたり。
仕事が変わってからは、思うように書けなくなって凹んだり。
自分の書いた小説のキャラをイラストに描いてもらったり、バルーンアートにしてもらったりして、狂喜したり。
ありがとうございます、いや、自分の書いたものの登場人物を描いたり作ったりしてもらえるのは、嬉しいものですね。
いろいろあったもんですな。
書いて投稿するのは誰かに読んでもらいたいことを書いているから。
やはり感想をもらえるのが、反応があるというのがモチベーションが上がりますね。
私の場合、チャンバラの経験が書くことに役立っている気がします。師匠が殺陣指導をした演劇で、斬られ役が足りないと舞台に立つ経験がありました。
ここで皆で物語を作る、世界観を作って客に見せる。その面白味を感じました。そのための演出の仕方なんていうのが、今の創作に役立ってるような。
物語ってなんなのか、現実逃避であり、現実では有り得ない、理想や正義の輪郭を求めるものかな? 人の生き方を問うものなのかな? とか。
かといってそこばかりを書くと、エンタメとしては説教臭くなりイマイチだったり。
うにゃうにゃと考えがまとまらず、なかなか筆が進まなくなってきて、喚き出したくなったり。
書くと、よし、これは面白いんじゃないか? と、投稿して、ありゃ、うけない、なんで? と悩んだり。
他の方の小説を読んで、これ、面白いのに何故、評価低い? と首を捻ったり。
小説家になろう、の投稿って宝くじみたいな気がしますね。その作品がツボに刺さる人に、運良く発見してもらえるかどうか、というところが。
もともと私が大ヒットするものよりも、いわゆるマイナーなものを好むから、というのもあるのでしょうが。
なぜ、これが書籍化しない? というのが埋もれてたりするものなんですね。
最近はいろいろと悩むこともふえて、前より書くのが遅くなりました。それでもまぁ、これからもちまちま書いていこうかな、と考えてます。
そのうちパソコンで執筆とかしてみたいですね。ずっとスマホで書いてるので視力が落ちたような。
創作論など語れるほどのものも無く、解ったことはひとつだけ。
技術やらテクニックやらがあっても、モチベーションが無ければ続かず、書けない。慣れで書くと惰性になり、中だるみする。
自分で言ってて、あいたたた。
『死ぬ前に世に残したいものがあるかどうか』
ここに行き着くのでは無いのかな、と。これは昔、悪友に言われたことではありますが。
また、自分より若い友人がガンで死ぬ前に、自分の書いたものを見せられ無かったことが後悔でもあります。
なので真面目なものからふざけたものまで、書けるときは書いていきたいな、と。読み終えたとき活力の湧いてくるようなものを、と。
さて、次にこういうの書くのは二百作品目か? 何年後だ? それまで生きてられるのか?
ちまちまとマイペースでやっていきます。