伝染
ワナワナと震える珠緒はパクパクと口を開け閉めする。鯉みたいだ、と悟は思う。
「やっぱりバレちゃったな。ごめーん。ストーカーくん」
亮治は矢張り軽薄そうに戦線布告をする。
「バ、ババ、バレちゃったじゃないでしょ。問題でしょ、これは。大問題ですよ。亮治くん酷い、酷過ぎるでしょ」
珠緒は錯乱しながら亮治を罵倒する。
悟は───、面倒臭くなって戦線離脱した。つまり、本を読みだした。
「だから謝ってるし。仕方ないじゃない。悟の色気はDKにはちょっと酷だろう?しょうがないって」
ねっ!とシナを作りながら亮治は笑う。笑いながら悟の頭をなでる。完全に珠緒を馬鹿にしている。
「ア、アンタねえ、女好きじゃなかったわけ?さっちゃん男でしょうが。僕のさっちゃん穢さないでよ」
誰も珠緒の物ではない。
「女の子大好きよ、今も」
「じゃあ、さっちゃんは諦めてよ」
珠緒は青筋をピクピク痙攣させている。
「否、俺は諦めようとしたんだぜ?でも間壁がね?」
意味深なところで言葉を切り、意味深な視線を悟に送る亮治。
「さっちゃん、ちゃんと断わってよ。僕の時みたいに!」
珠緒は鬼の形相で悟を見る。
悟は無視する。
「ほらな。ストーカーくんは諦めてカメラから指加えて見てな」
悟からサッと本を奪い、口付けする。今度は深く。亮治は悟の顎を伝った雫を最後に舐めとると、元通りに本を戻した。
珠緒はチクショーと泣きながら出て行った。
「ちょっと、やり過ぎでしょ」
悟は抗議する。
「ファーストキスだったか?お味はいかがだった?」
亮治は不敵に笑む。様になっている。
「コーヒーの味しかしないよ」
悟は思い出し、鼓動が早くなる胸を抑える。
「まったく。明日からの珠緒が怖いなあ」
悟はぼやくのだった。
★★★★★★★★★★★★
珠緒はベッドに伏せていた。
泣いている。号泣である。おいおいと声を出しながら泣いている。高校一年生の男子が無様に泣く様はちょっといただけない。
同室の山田は偶にチラチラと珠緒を見るが、声はかけない。珠緒が余りにも不気味だし、三年の先輩女子の着替えシーンが始まったからだ。
おぉっと小さく呟きながら画面に食いついている。
珠緒はおいおいを止め、しくしくと泣きだした。
矢張り、亮治は危険だったのだ。
あれ程忠告したにも関わらず、悟は全く警戒しなかったのだ。
気を許した珠緒も珠緒である。
言い訳に聞こえるが、亮治は他人の警戒心を解くのが抜群に上手い。珠緒も籠絡された人間だから分かるが、聞き上手だし、話術も巧みだ。
それでも十年以上追い回した獲物を横から掻っ攫われたのでは全くもって面白くない。
悟を奪われ、親しい間柄になりつつあった亮治に裏切られ、ダブルの意味で珠緒は傷心だった。
可愛さ余って憎さ百倍の気分である。悟と亮治に。
変態らしい鼻息と血走った目で前かがみに画面を見つめる山田をPCの前から退かす。
今だに流れる涙を拭いもせず、マウスを操作し、悟の部屋を映す。
ベッドに悟を縫い付けるように覆い被さる亮治。二人は先ほどよりアブナイ雰囲気で夢中でキスをしていた。山田は横から画面を覗き、ひえぇっと情け無い悲鳴を上げる。
珠緒は怒りの頂点を越えて、冷静になった。冷静にキレた。
冷静にキレた変態馬鹿の恐さは尋常ではない。嫉妬に狂ったバーサーカーモードのストーカーだ。
珠緒はキレながら笑い、楽しそうに計画を練りだしたのだ。
「本気でやべー奴と同室じゃん。関わらんとこ」
山田はしずしずと風呂場へ避難するのであった。
★
珠緒と山田は珍しく一緒に夕飯を取る為に食堂へと向かっていた。
「あの三年の先輩、京子先輩っつーんだけど、反則ボディなんだよなあ。全校男子の一人遊びに一度は必ず出てきたとかってゆー伝説があんだわ。平成の峰不二子って感じ?」
山田は熱く語っている。
「僕は何とも感じないなあ。清楚さが大事だよ。固く閉じられた詰襟から覗く白い首筋こそジャスティス」
負けじと珠緒も語る。
「それはお前だけだろーよ。普通男子高校生が詰襟なんか見てムフフとはなんねーよ。ホント早坂って残念イケメンな」
肩をすくませ山田はやれやれと首を振る。
定食を受け取りながら、席に着くと、少し離れた席に悟と亮治の姿があった。
あのレベルの美形が並んでいると、そこだけ異空間だ。何やら親密げに顔を寄せ合っている。
いつもの珠緒であったら迷わず突撃しているだろうが、珠緒はグッと堪え、無視を決め込んでいた。
「あれ、さっきの先輩達だな」
下卑た笑いで山田が囁いてくる。
「ここでおっぱじめたらどーするう??いやーん、お盛んー」
山田は楽しそうだ。
バキッと音がする。
珠緒の持っていた箸が無残にも真っ二つだ。ひえぇっと本日二度目の悲鳴を山田が上げる。
「山田くん……少し黙ってくれない?」
座った目の珠緒。
「あい……」
青ざめ、鼻水を垂らす山田。
空気が冷凍庫の中のようだ。