お出かけ前
メルネアの来訪という急な予定が入り、準備と後片付けにバタバタとした事もあったものの、基本的には落ち着いた日々を過ごすことができたエルーナは、着々と弱った体を元に戻していった。
メルネアの言葉をきっかけに努めて多く食事をとるようにしたり、軽い運動のために日中は庭園の中をうろうろと散歩したり、夜はできるだけ早くに就寝した。結果、1月かかる前に重い病気を患う前とほとんど変わらない状態にまで回復することができたのである。
ただ、回復したとは言っても、エルーナとして生きることになる前、海鳴 舩であった前世の記憶にある子供の姿と比べると、エルーナは虚弱体質と言っていいほどの体の弱さであり、これで体調がいい方であるとするならば、この先もちょっとしたことですぐ倒れてしまうのではないかと心配するほどであった。
実際、エルーナの記憶でもこの歳になるまで数えきれないほど病気にかかっている。まだ5歳であるという事を考えれば、一年に何度も寝込む状態というのはあまりよろしくないだろう。
「テレサ。」
「何でしょうか、エルーナ様。」
「体を丈夫にするにはどうすればいいかしら。」
エルーナの質問にしばらく目を伏せて考えたテレサであったが、エルーナが満足するような答えが思い浮かばなかったテレサは首を横に振った。
「私は存じ上げません。きちんと食事をとって、適度な運動をされ、夜更かしすることなく眠られるエルーナ様がなぜここまで病に伏してしまわれるのか。医者も元々体が弱いのだろうと言うばかりで、改善点は仰らないですから。申し訳ありません。」
一番長くエルーナについている侍女であるテレサもエルーナの体の弱さは気掛かりでならず、何度か医者にも話を聞いたことがあるのだが、特に情報は得られていない。
頭を下げるテレサに微笑みかけて顔を上げるように言うエルーナは、自室の小さな本棚に入っている本に目を向けて小さく息を吐いた。
「お医者様から答えを貰えないのであれば、私が勉強したところですぐにわかる事でもないのでしょうね。」
「医学もまだまだ発展途上にありますから、これから新しい発見があるかもしれません。いずれエルーナ様の体も丈夫にできるようになるかもしれませんが、次期ベッセル家当主となるべく教育されることになるだろうエルーナ様が、その片手間でできる勉強をされても、わかることは少ないでしょう。」
テレサの言葉通り、エルーナには兄弟がおらず、今から子供ができたとしても歳が開きすぎているために、当主交代の時期には間に合わない。男の子が産まれた場合は、数年間エルーナが当主を務めて後、弟に引き継ぐという形もなくはないが、どちらにしても当主となるべく教育は必須なのである。
通常、貴族の子供は7歳から貴族学校に入って、4年の教育機関を経た後に専門学校に進学することになる。
主を守る騎士となるための教育を施される騎士学校。魔法、魔術の発展を望み、暮らしを豊かにするために学ぶ魔法学校。大きな怪我や病気を少しでも早く、確実に治すための方法を模索する医療学校。神の奇跡を解き明かし、信仰の下に人々の心の平穏を守るための教えを学ぶ神学校。そして、国や領地を守るために領地経営の手法や帝王学を学ぶ領主学校が存在する。
エルーナはもう領主学校へ通うことが決まっており、今更進路を変更することなど叶わない。貴族学校に入学して、貴族に必要な事を教えられるわけだが、貴族学校の中にも専門性の強い選択授業が存在するため、入学前にどの専門学校に行くのかを予め決めさせられるのだ。
専門の勉強というのはとても片手間で独自に勉強できるような簡単なものではない。この世界ではまだ印刷技術がそれ程発展していないので、専門書のようなものは各専門学校でそれぞれ与えられるもので、基本的に家系によって行く学校が決まるということもあり、まず専門書を見かける機会さえほとんどない。卒業生も意見の交換という事で同じ学校に行っていた人へ本を書いて渡しあうことはあっても、市場に流すことはほとんどないので、エルーナでは学ぶことさえ叶わないのだ。
「テレサはどこの学校を卒業していたかしら。」
「私は魔法学校でございます。特に魔法工学について学び、修了制作として街路灯の改良型を発表しました。今は一部がそれに交換されていますよ。」
「そういえば一度見に行ったことがありましたね。記憶が朧気ですけど。」
微かに残る記憶の中に、夜の街中を馬車で移動中に、テレサの街路灯が備えられている道を通ったことで、エドワルドが馬車を止めて見に行った憶えがあった。
この世界では電力ではなく魔力によって明かりをともしたり、暮らしを良くする発明が行われている。電化製品ならぬ魔化製品が店頭に並び、設置されるのだ。
「体を丈夫にするような発明なんてできませんよね。」
「私の友人にはそれに挑戦する人はいませんでした。ですが、医療学校の生徒と一緒に考えて、共同で開発するという事も今では珍しくありません。近いうちにエルーナ様の望むものができると良いですね。」
どちらにしてもすぐの事にはならないだろうという話になったところで、エルーナの身だしなみは整い、出かけられる格好となった。
「すぐに丈夫になることはできませんが、今の状態を維持することに努めることはできます。本日は遠出になりますが、無理のないようにして動くことにしましょう。」
「今日のお出かけは楽しみでしたから、特に気を付けなければいけませんね。」
エルーナはそう言ってテレサと共に自室を出る。玄関に向かうと、出発の準備を終えて待っているアルテと護衛騎士2人がいた。
本日は王宮で開催される王子お披露目の1週間前。貴族街へと繰り出して、お披露目に行くためのドレスを仕立てたり、装飾品を見たりする予定である。